Lady Crystal
閉校になるか、否かと揉めている、この状況。
死者が出て、生徒たちは日々不安そうな表情を浮かべている。
教師陣とて然したる変わりはなく、生徒の目が届かぬ場所で「犯人」についての言葉を交わしていた。
そんなある日、アルバス・ダンブルドアは、何処からか響いてくる足音を聞いた。
一つ下の踊り場を覗くと、小さな影が、右に左に動いている。
ローブの内側からちらりと窺えた、紫。
はっとして、呼び止めようと息を吸った。
吐き出す前に、声が聞こえた。
「どこだ……っ!」
上げかけた手が、そのままの形で止まる。
「(あれは、『誰』だ)」
紫色の裏地など、纏うのはこの学舎の生徒にはたった一人しかいない筈。
けれどその「彼」は、あんなに機敏な動きをする子だっただろうか。
空気を切り裂くような、あんなに鋭い声を出す子だっただろうか。
笑み以外の形に表情を歪めるような子だっただろうか。
視線の先で、クリストファー・ホグワーツが頭を振って壁に手を着いた。
肖像画がざわめく。
彼の体が陽炎のような青い光を纏った。
「応えろ、ホグワーツ」
暫しその姿勢で留まっていたクリストファーが、厳しい表情で顔を上げた。
青い目を瞠って此方を見上げる。
「ダ、ンブルドア……先、生……」
不意を突かれたダンブルドアは、その視界から隠れることが出来なかった。
「やあ、クリストファー」
動揺を押さえつけ、普段通りの口調を心掛ける。
駆け足で階段を数段下った。
「こんな時間に一人でいては危ないよ。何かやりたい事があるなら、明日にしなさい」
クリストファーの喉元が、こくりと上下する。
その一瞬。
たった一瞬で、普段の、おっとりしすぎている彼の面影は、欠片も残らずかき消えた。
「……いいえ。今、やらなければならない事があるんです」
ダンブルドアは彼を見つめた。
よくよく見れば、彼の口煩い白猫が傍にいない。
この非常事態だ、必ず控えているよう、ダンブルドア自身がノーブルに注意した。
その彼女が、傍に居ない。
ついあからさまに眉を顰める。
「ノーブルは、一緒ではないのかね?」
「離れているように言いました。彼女に居て欲しい場所が、あったので」
「(……なるほど)」
学校を守る。
彼ら継承者に課せられた使命を、果たそうというのか。
これまでの間の抜けた振る舞いの隙間から、彼は周囲に鋭い視線を向けていたのだろう。
そして、まだ誰も解き明かせていない、何らかの真実に辿り着いたのだろう。
クリストファーのこのような素顔を知るのは、恐らく自分だけだと確信した。
誰も気付かなかった、当代継承者の真の姿に、自分だけが出会うとは。
沸き上がる興奮を胸のうちに抑えて、ダンブルドアは僅かに屈む。
視線を合わせないよう目を伏せる彼の、細い肩にそっと手を置いた。
「わしに手伝えることがあれば、何でも言いなさい」
クリストファーが俯く。
ぐっと拳を握り締め、口を開いた。
「……あの事件の犯人は、他にいるんです」
上げられた顔。
彼の青い目が、不安と怒りを湛えて輝いた。
「彼は、違う。先生、ルビウス・ハグリッドは、無実なんです」
「ルビウス?」
何故その名が出るのか、理由の見当もつかないダンブルドアに、少年が畳み掛ける。
「これからきっと、彼の名が挙がる。でも、違うんです、先生、彼は」
「クリス、落ち着きなさい」
言い募る彼の両肩をぐっと押さえて、ダンブルドアは言葉を遮った。
クリストファーが唇を噛んで目を逸らす。
肖像画達が、気遣わしげに此方を見ている。
ダンブルドアは、手から力を抜いた。
「君は、誰が犯人だと思うのかな?」
「言えません。……間違っているかも、しれないから」
「そうか。……わかった」
微笑んで手を離す。
クリストファーが、戸惑ったように顔を上げた。
「わしが必ず、ルビウスを弁護しよう」
「……信じてくれるんですか。僕の、言うことなのに」
「『貴方』の言うことだ。信じるよ、クリストファー」
少年の表情から、迷いが消える。
向かいの壁に掛けられた貴婦人が、そっと囁いた。
「お早く、クリストファー」
肖像画へと首肯を返して、クリストファーは一歩下がった。
暗がりに青が輝いた。
「頼みます、アルバス」
「君達は、知っていたのかね」
あの日と同じ場所で、ダンブルドアは言葉を投げる。
翌朝発見されたクリストファーは、入学以降の記憶を全て失っていた。
自分の為に友が辿った結末は、ハグリッドの顔をぐしゃぐしゃに濡らした。
「勿論です。我々は継承者の意思を受けて動いたのですから」
肖像画が答える。
睥睨して、ダンブルドアは再度訊ねた。
「彼は誰を探していたのじゃ」
「我らは現場を見ていない。当代が慎重を期したからこそ、口にする権利はないのだ」
別の肖像画が答える。
創始者の力と継承者の意思により息づくこの城が、継承者の命に背く筈がない。
そんなことは、とうに知っていたけれど。
ダンブルドアは長く息を吐いて、その場を後にした。
医務室の扉の前には、大柄な少年が俯いて立ち尽くしている。
「入らないのかね? ルビウス」
「ダンブルドア先生……」
声に応えるように上げられた彼の顔は、再び俯いた。
「合わせる顔がねぇんです。……もう会えねぇなら、ちゃんと、謝っておきたいけど」
声を震わせて、ハグリッドが呟く。
こんな優しい少年が、人を殺すために怪物をけしかけるなど。
彼との約束を、彼の命を思い返しながら、ダンブルドアは少年の背を優しく叩いた。
「君は、ホグワーツを去りたいのか?」
「そんなはず……! ありません、先生!」
顔を上げたハグリッドへ、笑みを向ける。
「ならば、君は此処に残ることができる。そう、例えば――」
罪人は裁かれぬまま。
忠実な絵画は語らぬまま。
記憶を継ぐ白猫は何も与えられぬまま。
気付きながらも動かなかった自分はせめて、と罪なき少年の行く先を照らす。
「(これで良いのか、クリストファー)」
誰も歯牙にも掛けない、道化の少年。
それは、仮初めの姿だった。
相手にもされていなかったのは自分達だ。
使い魔のみを従え、誰にも信を置かなかった彼は、それ故に舞台から降りてしまった。
降ろされてしまった。
「先生、おれ……ありがとう、ありがとうごぜぇます……!」
彼の肩をぽんぽんと叩き、顔を上げるよう促す。
「さあ、折角来たんじゃ。彼に会っていこうか。のう?」
ハグリッドが大きな音を立てて鼻をかむ。
それを待って、ダンブルドアは医務室の扉をノックし、開いた。
「クリストファー、君に会いたいという子がおっての。少し、良いだろうか」
ひたりと傍に控える白猫が、ダンブルドアを見上げて尻尾をシーツに下ろす。
その背を軽く撫でながら、身を起こしていた少年が此方を見た。
「ダンブルドア、先生?」
「ああ、そうじゃ。どうだね、此方の彼に、覚えはあるかな?」
有る筈もないと分かっていながら、敢えて尋ねる。
変わらぬ青の瞳が、緊張した面持ちのハグリッドを映した。
暫しの静寂。
眉を下げて、クリストファーが微笑んだ。
「えーと……ごめん、君は何処の寮の、誰?」
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