Lady Crystal















風がふわりと通り抜け、ウィリアム・マリーゴールドの前髪を揺らした。
欝陶しい。
書物に目をやったまま、濃い茶色の髪を掻き上げる。
周囲からの溜め息が、耳についた。
ウィリアムは顔をしかめる。
隣で、楽しそうな声が言った。

「今、男子にも溜め息つかれてたよ」

思わず長く息をつく。

「……俺は戻るぞ、トム」

そう宣言したウィリアムの手から、トム・リドルが書物を抜き取った。

「駄目。折角外に来たのに、キミ、さっきから本読んでばかりじゃないか」
「お前達も喋ってばかりじゃないか」

ウィリアムはトムと話していた連中を横目に見た。
外に居ても内に居ても変わらないと続けると、トムは笑って、まぁねと肩を竦めた。
七年生の先輩が、小声で話している二人に気付いたようだ。
他の寮なら、きっと違う。
しかしこのスリザリンでは、リドルとマリーゴールドに強くものを言うことは出来ない。

「マリーゴールドも、こっちに混ざらないか?」
「結構です」

いつものようににべもなく断り、トムから本を取り返す。
トムはもう、と溜め息一つ、先輩に笑顔を向ける。

「彼、機嫌、悪くしちゃったみたいで」
「ああ、いや、その……すまん」

トムがへりくだってそう言ったのではないと、誰もが理解していた。
あれは「僕が彼の機嫌を悪くした」でも「彼が貴方の機嫌を悪くした」でもない。
「貴方が彼の機嫌を悪くした」の意で受け取るのが正しい。
先輩も、笑顔の中の冷めた目を見て謝ったのだろう。
ウィリアムは推測し、トムのせいで分からなくなった頁を捜す。
取り巻き達の会話が、右から左へ流れていく。
再び頁を見つけたとき、唐突に怒声と嘲笑が飛び込んできた。
ウィリアムはぐ、と奥歯を噛み、読書を遮られた怒りをやり過ごす。
トムが輪から少し離れ、ウィリアムの隣にやってきた。

「……今度は何だ」
「先輩の背中にハッフルパフの生徒の鞄が当たった」

ウィリアムは大きく長く息をつく。
阿呆らしくて、やっていられない。
黄色いタイをした少女が二人、震えながら、先輩に向かって何度も頭を下げている。
タイミングが悪かったのだ。
リドルとマリーゴールドの二人にあしらわれ、先輩の気が立っている、今だったから。

「(つまり俺のせいでもある、か)」

しかも二人組はおそらく混血。
否、片方はついこの間も、スリザリン生に絡まれているのを見た記憶がある。
彼女は、マグル生まれなのだ。
薄汚い、下卑た嘲笑が、周囲の注目を集めていた。
ウィリアムの隣の監督生は、決して加わらず、決して目を離さず、口も出さずにただ座っている。
これは誰か教師が通り掛かるまで仲裁しないつもりだな、とウィリアムは確信した。

「この、穢れた血め」

先輩が吐き捨て、取り巻きが笑う。
ウィリアムは鼻を鳴らし、横を向いた。
特段有力な血筋でもない彼のその台詞は、ウィリアムにしてみれば些か滑稽なものだった。
しかし隣に座る友人は、ウィリアムが蔑ろにする「何でもない血筋」こそを何よりも求めているのだ。
今も先輩を見つめる瞳に、ちらりと緋色が走ったように見えた。

「ご、ごめ……なさ……」

少女達は成す術もなく縮こまり、消え入るような声で謝り続ける。
先輩がまた口を開いた時、遠巻きに見ていた生徒の群れの中から、一人の女生徒がつかつかと歩いてきた。
トムがぱっとそちらを見て呟いた。

「レディ・クリスタル……」

ウィリアムも彼女、シャロン・ロゼリアに目を遣った。
全校の女生徒が憧れる眩い金髪は今日も美しく、しかしその琥珀の瞳は冷ややかに怒りを湛えている。
シャロンは少女達を背で庇うように、先輩の前に立った。
先輩が少したじろいだ。
最高学年の男子を睨みつける、五年生の女の子。

「『高潔な純血貴族』ともあろう者があんな下品な言葉……お家の格も、知れたものね」

ロゼリア家の令嬢にこう言われて、言い返せる立場にあったのは、この場ではウィリアムだけだったろう。
黙り込む取り巻きの連中からフンと顔を背け、シャロンは少女達の頭を撫でる。
ウィリアムはふと先輩を見た。
続けざまに下級生に恥をかかされた彼は、流石に我慢の限界にきたようで顔を真っ赤にしていた。

「貴様……っ」

先輩がさっと杖を出し、何か唱えようと口を開いた。

「(無言呪文くらい使え)」

そう呆れながらも、ウィリアムはローブの下の杖に触れる。
彼女に何かしようものなら、失神程度では済まさないつもりだ。
トムも同じ考えなのだろう、顔が険しい。
振り返るシャロン。
彼女の金髪が、紅の輝きを帯びる。

「あら、決闘ですか? そちらからどうぞ」

綺麗に笑い、小首を傾げる。
そうだっだ。
彼ごときが、レディ・クリスタルに歯向かうなど。
先輩が言葉に詰まった。
渋々といった様子で杖を下ろす。
隣でトムがくすくすと笑っている。
ウィリアムも、口の端で小さく笑った。
陽光に、彼女の胸の監督生バッジが煌めく。

「スリザリンから五点減点」

シャロンが凜とした声で告げる。
周囲からは割れんばかりの拍手が沸き起こった。

「……おい、トム」
「何?」
「お前、これを見逃してたのが彼女にばれたら不味いんじゃないか?」
「……あっ」

普段なら見られない、慌てた彼の様子に満足して、ウィリアムはまた本を開いた。









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