燔祭の羊  
   <ハンサイノヒツジ>  









08.主亡き町へ









「――兵――る頃――」

微かな歌声に導かれ、マリは町の中へ戻った。
声の主は、開けた広場の中心、噴水に腰掛けている。
滑らかな声に、マリは少し離れた所で、そっと立ち止まった。
一度見たら目が離せないと言われる、彼の姿を想像する。
歌声ですら、こんなにも人の心を奪うというのに、皆は彼を見て、話をしているのだ。
いつものことながら、マリは表に出さずに感心した。

「――あの人の元へ……」

ちょうど終盤だったらしい。
歌い終わった彼は、暫く息を止め、やがて大きく空気を吸い込んだ。

「……居たんだ」

気付いていただろうに。
マリは一歩二歩、に近付いた。

「ああ……良いものを聞かせてもらった」
「マリに言われると嬉しいね」

彼が小さく笑い、マリも笑みを返した。
の前で立ち止まる。
何も言わずにじっと動きを止める彼の様子に、何か言わなければ、と不安な衝動に駆られた。

「聞いたことの無い歌だったが……」

声を出せば何てことはなく、はいつものようにふわりと笑って頷いた。

「……多分、もう俺しか知らない曲」
「自分で作ったのか?」
「まさか。そんなスキル無いって」

彼はおかしそうに笑って、溜め息のように息を吐いた。

「ずっと昔から、あった歌だよ。俺の生まれた村に、何百年も、前から」

滅多に聞けない、彼自身の話。
マリがそれに驚いているうちに、微笑みを風に乗せ、は立ち上がった。

「行こう」
「あ、ああ」

朝方の澄んだ空気の中、二人は人気の無い町を歩き出す。
彼の歩調に合わせて、ゆっくり駅に向かう道すがら、マリは先程の電話を思い出した。

「そういえば、コムイが怒ってたぞ」
「うわぁ、帰るの嫌だなぁ」

その表情が、心配されればされるほど嫌がる弟弟子を彷彿させる。
マリは笑った。

「……やっぱりお前、神田と似てるな」
「いやいや、俺の方が聞き分けいいよ?」



送られるべき人を失っていた鎮魂歌は、とうに風が連れ去ってしまった。
遂に無人になった町の中心で、ただ噴水だけが、変わらぬ音を立て続ける。








(主人公18歳)

090828