燔祭の羊  
   <ハンサイノヒツジ>  









64.あにおとうと









「ん?」

リーバーは、ふと、来た道を振り返った。
何か物音がした、ような気がする。
気のせいだろうか、オレも疲れてんな。
等々、苦笑しながら視線を外した時、再び物音が聞こえた。

「……気のせいじゃない、よな」

ごくり、唾を飲み込む。
音がしたのは、どうやら右の部屋。
科学班倉庫のようだ。
恐る恐る近付いて、ドアノブを掴む。

「(幽霊じゃありませんように!)」

左手の書類をぐっときつく抱き締め、目を瞑り、思い切って扉を開けた。

「誰だ!」
「う、わっ、あっ!」

応えたのは、慌てた声と荷物が崩れる音。
リーバーはぱちりと目を開ける。
先の声の持ち主に思い当たり、焦って声を掛けた。

「は……? !?」
「た、助けて、リーバーさん」

荷物の下から、くぐもった声が聞こえる。
リーバーは書類を投げ捨てた。

「あ、ああ!」

「空気」がより色濃く「困っている」場所の荷を退ける。

「ごめんな、脅かして」
「ぷはぁっ……大丈夫。足場が悪かったみたい」

先日入団した黄金色の少年が、リーバーを見上げ、にっこりと笑った。
唯我独尊、傍若無人で知られるクロス・マリアンの弟子。
最初は常識知らずの酷い人物に違いないと噂されていたが、とんでもない。
誰に対しても柔らかで穏やかな微笑を絶やさず、かと思うと戦場では先頭切って苛烈に戦う。
顔も知らない探索部隊の弔いにまで参加するばかりか、倒したアクマの冥福すら祈る。
まるで、預言を地で行くような。
まさに「神の寵児」というべき、高潔な子供だったのだ。

「よいしょっ」

そんなは、しかし、体格的には小柄で華奢な少年である。
荷物の山から這い出た彼は、決まり悪そうに笑った。

「落としちゃった」
「落としたどころじゃないけどな……どうした? 探し物か?」
「うん、ちょっと……あ、ありがとう」

彼では到底届かない場所の片付けを手伝いながら、リーバーは問いかける。

「何探してるんだ?」
「うん」

の漆黒が、此方を見つめた。

「リーバーさん、トランポリンの作り方って、知ってる?」

リーバーは漆黒を見下ろした。

「トランポリン?」
「うん、ほらサーカスとかで使う……」
「いや、それは分かるけど、何に使うんだ? そんなの」
「リナリーの訓練に」

曰く、新任室長に命じられ、リナリーがイノセンスを使えるよう指導することになったらしい。

「せめて、使ってる感覚だけでも慣れてくれたら、って思って」

彼は、リナリーが受けてきた仕打ちの全てを、知っている訳ではない。
けれど大抵の事は聞いたか、若しくは察した筈だ。
避けられないことを、出来る限り優しく教えようとするその姿勢は、中央庁とはまるで違う。
だからこそ、指導役として選ばれたのだろう。
誠実なその瞳に、リーバーもつい、応えてあげたくなった。

「よし、分かった。オレが作ってやる」
「うん……えっ!?」
「一週間もあれば出来るだろ、多分」
「え、そんな、でも、……いいの?」
「これくらい任せろって」

驚きながらも、嬉しそうに顔を上げる
空気が、急に輝く。

「ありがとう! リーバーさん!」

まるで年の離れた弟が出来たようで、何だかこそばゆい。
リーバーは金色を軽く掻き混ぜ、冗談めかして笑った。

「兄貴って呼んだっていいんだぞ」
「うんっ!」









「ちょっとぉ。どーしてリーバーくんだけそんな親しげに呼ぶの」
「すげぇ今更……別に? 敬う気持ちを素直に表しただけだよ」
「え!? ボクは!? ボクの事もたまにはお兄様って呼んでくれたって!」
「だってコムイはこうやってサボるし」

ね、兄貴。
向けられた微笑みは、少し大人びたものの、あの日と変わらない。
リーバーは、気恥ずかしさを誤魔化すように、コムイへ向けて仏頂面を作った。

「ほら室長、仕事してください」









(13歳→18歳)
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