燔祭の羊  
   <ハンサイノヒツジ>  









63.触れ合う羽









その空気に触れた瞬間、しまった、と思った。
絵画のような風景。
談話室のソファの上で、胸から下に毛布を掛け、が目を閉じていた。
扉を閉めるべきか、否か。
しかし、ここに居る約束をしてしまったのだ。

「……なぁ」

不意に掛けられた声に、ビクリと肩を揺らす。
自分らしくない。
伏し目がちな漆黒が、敵愾心なくこちらを見上げていた。

「寒いんだけど……閉めてもらえる?」

言われるままに扉を閉めて、中に入る。
彼はありがとうと呟き、また目を閉じた。

「……医務室に行ったら如何ですか」
「そっちこそ『仕事』は? 監査官」

リンクは若干眉を顰めつつ、空いているソファに座った。
せめてここにアレン・ウォーカーが居れば、もっと話しやすいだろうに。

「外せない用があったので。ここで合流することになっているんです」
「そう」

気にも留めていないように、彼は相槌を打つ。
会話の無い談話室。
用が無いのだから、リンクが話し掛ける必要は無いのだ。
けれど、何か落ち着かない。

「聞きたいことがあるんだ」

不意に向こうから声を掛けられた。

「何ですか」
「もしかして……『鴉』?」
「ッ!」

いきなり直球で突っ込まれるなんて。
自分はそんなにあからさまな行動を取っていただろうか。
何故、彼が鴉の事を知っているのか。

「……何故」
「身のこなしが。中央庁の戦闘部隊は、それしか知らないから」

違うの?
漆黒に絡めとられ、そう聞かれたら。
嘘など、突き通せる訳が無い。

「……そうです」
「大変?」
「さあ。貴方が大変だと思うなら、そうなんでしょう」

が片眉を上げた。

「いくつ?」
「今年で二十歳ですけど」
「なんだ、年上じゃん」

資料では、彼は自分より一つか二つ年下だった筈。
何故か誕生日の記載が無いので、いまいち不確実ではあるが。

「『貴方』なんて、そんな丁寧に喋らなくていいのに」

今日はやっぱり、らしくない。
らしくなく、素直に驚いた。
「神」と呼ばれ、崇められる人物が、そんな事を気にするなんて。

「それは……」
「リンクー、遅くなりました……あれ、兄さん?」

ひょっこり顔を覗かせたアレンに、が片手を挙げて応える。

「どうしたんですか、こんなところで」
「ん? 昼寝」
「あー、ここ暖かくていいですよねぇ」

笑顔なんか、先程まで微塵も見せなかったくせに。
これが彼にとっての、教団と中央庁の差なのだ。
中央庁は、彼の「家族」を脅かす存在だから。

「――じゃ、僕ら行きますね」

我に返り、リンクはアレンに続いた。

「失礼します」

呟くようにそう言って、に背を向ける。

「リンク」

初めて、この声に名を呼ばれた。
信じられない思いで、振り返る。
綺麗な微笑が、こちらを見上げていた。

「アイツのこと、頼むな。ハワード」

リンクは、ついと顔を背けた。

「キミに言われなくても。『仕事』ですから」

小さな笑い声に送られ、扉を閉める。
窓に映った自分の顔は、笑顔のような、顰め面のような、変な表情をしていた。

「リンク? どうしたんですか?」
「何もありませんよ」

ただ、神様にまみえた人間の、気持ちが分かっただけのこと。









(本編80話直前)
161023