燔祭の羊  
   <ハンサイノヒツジ>  









60.杭打つこの手を









クロスは、目を眇めて溜め息をついた。
まさか、こんなことになるなんて、思わなかったのだ。
しかし今思い返せば、至らなかった過去の自分を罵りたくなる。
冷静に考えれば、この展開は容易に読めていた筈だ。

「(オレも呑まれてるって事か)」

それでもまだ、他の連中と自分は違うのだと、信じていたい。

「望まれたんだよ、お前が」

信じて、言い切る。
屋上の端に立つ小さな黒服が、呟くように返した。

「……そんな酷いこと、出来ないよ」
「その『神様』じゃねェ」

歩み寄り、隣に立つ。

「アイツらが求める神は、それじゃない。……分かってんだろ」

掴んだ手摺を見詰める漆黒。
縁取る黄金が、震えた。

「お前が信じてた方の、『神様』だ」

唇を引き結び、静かに目を伏せた少年は最早、「クロス・マリアンの弟子」には収まらない。
例える言葉が「神の寵児」であっても、まだ足りない。
そう思わせる力は、最初からあったけれど。
やはりこれは、手を打てなかった自分の過失に等しい。
よりにもよって。
否、其れが最も相応しいと、分かっているのだけれど。

「……かみ、さま……」

再び開かれた漆黒の水面は、震え、しかし溢れない。
瞳に込められる力は、纏う空気とはまるで違って、強く、意思のあるものだった。

「本当に、それで皆、救われるの……?」

視線を上げずに、彼が問う。

「俺が頑張れば、」

押し潰されそうな、けれどそれに堪え忍ぶような掠れた声で、彼は強く問う。

「……家族を、守れる……?」

今の今まで定まることのなかったの「空気」が、纏まりを持とうとしている。
それが、喜ぶべき事なのか否か、クロスには判断など、出来なかった。

「ああ」

出来ないまま、頷いた。
彼の手が、クロスの団服を握り締める。
そして前を見据え、彼は大きく息を吸い込んだ。
その息を吐き出すと共に離れていく手が、名残惜しい。
クロスの想いとは裏腹に、彼は既に、表情を消して空気を纏め上げていた。

「……、」

呼び掛けて、言葉を止める。
瞬き、軽く息を吐き出した。
金髪を乱暴に撫で、改めて言葉を紡ぐ。

「背中を守られる神なんて、いない」

見開かれた漆黒が、一瞬の迷いを浮かべてクロスを見上げた。
弟子の瞳を捕らえて、クロスはふ、と笑ってみせる。

「『オレ』は、そう思う」

が僅かに唇を開いた。
肩が大きく上下する。
息を吐ききって、彼は唇を結び、微笑った。
眉の下がった、苦笑に近い表情で。
けれどどこか安らいだ表情で。
そして、確たる空気を纏わせ、背負って。
彼は、微笑った。









(主人公13歳)
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