燔祭の羊  
   <ハンサイノヒツジ>  









55.輪舞曲









三つ続いた任務が、やっと終わった。
任務中は睡眠をとる余裕など無く、例えあったとしても、が闇の中一人で眠れる訳も無く。

殿、そろそろ到着します」

同行の探索部隊に、笑みを返す。
上手く笑えた自信は無いが、相手が嬉しそうなのだから取り敢えず成功とみていいだろう。

「(だりぃ……)」

聖典は良くも悪くもしっかり働いてくれたようで、舟の縁から体を持ち上げるのも辛い。
アクマを殲滅したときは、こんなにひどくは無かったのに。
顔を顰めて、なんとか腕に力を込める。
いつの間にか教団の地下入口は目前に迫っていた。
帰りを待ち望んでくれる人々が、守らなければいけない家族が、居る。

――駄目だ。

「おかえりなさい! 
「お疲れ様ですっ」
「ただいま。二人もお疲れ様」

警備班と、いつものように言葉を交わす。
同時に階段から近付いてくる足音に耳を澄ました。
泣き顔の探索部隊が五人、駆け降りてきて、その場に座り込んだ。

殿……っ」
「隊長が……隊、長が……」

休む暇など、無いのだ。
珍しく、出迎えに科学班員が居ない。
医療班のもとへは行かず、は屈んだ。

「皆のせいじゃない」
「でも、俺達が!」
「俺があそこに居れば……!」

懺悔は、身体に残る全ての力を吸い取っていくような気さえする。
ただ、それは人間として当たり前の行為で、自分にもよく覚えのあることだから。

「……赦すよ」

彼らがこの言葉を望んでいると、知っているから。
例え神の真似事でも、それで一時救われる誰かがいるなら。
「そうする」と、自分で決めたのだ。



だから、は微笑んで立ち上がる。









聖堂から出たときには、視界が回っているように感じられた。
床が、壁が、天井が、入り組んで歪んでいる。
人気のない廊下で、凭れるように座り込んだ。
このまま膝の間に顔を埋めていられたら、どんなにか楽なのに。

――お兄ちゃん――

身に震えが走る。
暗闇は、まだ自分を近寄らせてくれない。
遠くから聞こえる誰かの足音。
はのろのろと立ち上がり、壁を伝いながら歩いた。

――駄目だ。









「ただいまー……皆生きてる?」

病室に行ったところで疲れが取れるとも思えなかった。
科学班の扉を開ける。
いつも以上にひどい光景に、思わず苦笑した。
科学班の半数は眠りについている。
残りは僅かに手を振って迎えるか、呻くように「おかえり」を言うかのどちらかだ。
唯一しっかり起きていたのはリーバーで、それには些か驚きながら慎重に自分の机へ向かった。

「よ、おかえり。悪いな、皆こんなんで」
「いやぁ……なんか兄貴は割と元気だね」
「オレは昨日に至るまで五連続徹夜でな。さっき休んできたんだ」

休んだとはいうものの、リーバーの目の下は色濃い隈に縁取られている。
お疲れ様、と言葉を返し、は机の上の山積みになった本を少し退かした。
常ならばの任務中は皆気を遣って仕事を置かないのに、今回はそんな余裕も無かったのだろう。
空いたスペースに頬杖をついて、体を支える。
眩暈がひどい。
リーバーがこちらを見ていた。

――駄目だ。

「何かあったの?」
「一度に大きな報告が続いてなぁ……お前そういえば聖典は」
「平気、なんともない」

この状況を見て、誰が白状できようか。
病室に入っている間に溜まるだろう本の量を思えば、医療班に行かなかったのは正解だと思えた。
軽く頭を振って、はペンを執る。

「一昨日、神田とラビが喧嘩してたんだ」
「また? ラビってホント懲りねぇよな……」
「結局ジェリーが怒って終わったんだけどさ」
「何でジェリーが?」
「食堂でやってたんだよ」

此処にいると、余計なことを考えずに済む。
病室でも自分の部屋でも、一人で部屋にいるのは、考える時間を与えられるのは一番困るのだ。
どうせ、碌な事を考えない。









「あれ、室長?」

リーバーの声に顔を上げる。
慌ただしく司令室から出てきたコムイと目があった。
病室に居なかったことを咎められるかと思いきや、彼は唇を噛んで目を逸らした。
咄嗟に声を掛ける。

「コムイ」
「……ピエールが、戦闘中に……」

隣から、リーバーの息を呑む音が聞こえた。
どうして今日はこうも続くのか、ましてや、エクソシストの殉職者なんて。

「……まだ片がついてないんだね?」

コムイが頷く。
開いた本に栞を挟んで、はペンを置いた。

「俺が代わる。武器も……あいつも、連れて帰るよ」

苦しい息と胸の痛みを、喪失の哀しみにすり替えて立ち上がる。
視界が暗くなったのは、机を掴んでごまかした。

……」
「お前のせいじゃねぇから。あいつのせいでも無いから」

身体が熱い。

――駄目だ。

「大丈夫」

コムイに微笑を向けた。
返ってきたのは、後悔と哀惜の入り交じった表情。

「大丈夫だよ、コムイ」

が笑むと、重かった空気も少しだけ和らいだ。
分かっているのだ、「教団の神様」がどれほど必要とされているか。
自分に関するほんの些細な出来事が、全体にどれほど大きな不安を与えるか。
だから。

――駄目だ。

「(……、行かなくちゃ)」









例え、この身が裂けようとも。









(主人公18歳)
141008