燔祭の羊  
   <ハンサイノヒツジ>  









51.君は、知らない









――此処は、何処だ……?

クロスは闇に包まれた空間に立っていた。
否、浮いているのかもしれない。
歩くように足を動かしても、足音がしないのだ。
そもそも、ちゃんと前に進んでいるのか。

――そういえば、自分は今何をしていただろう

確か眠り続けるの様子を見ていた筈だ。
なのに何故、彼が傍にいない?
封印を解いてもマリアは現れず、魔術を試しても何も音沙汰が無い。

――此処は、何処だ?

自分が戻らないと、彼は搦め捕られて目を醒ましてしまうのに。

「はぁ……はっ……は、ぁ……っ」

何処からか聞こえた、息遣い。
クロスは辺りを見回した。

「誰だ」

答える声は無い。
しかし、取り敢えず音源を探そうと歩き始めたクロスの眼前に、ぽっかりと白い空間が在った。
周りが暗いものだから、そこだけぼんやり浮かび上がったように見える。
慎重に歩み寄った視界に、少しずつ明度を増す輪郭。

「ぅ……ッ、ゲホ、ゴホッ」

横たわった輪郭は、紛れも無く。

「…………?」

弟子は、固く目を瞑ってしきりに咳き込んでいる。
胸を押さえる左手。
口許を覆う右手。
その指の隙間から溢れ出る、紅。

……!?」

近寄ろうとするが、見えない壁に阻まれて進めない。
壁を殴り付けても、びくともしない。

「ゴホッ、んっ……ゲホ、けほっ」
! おい、しっかりしろ!」

向こうの音は、息遣いまでハッキリ聞こえるのに。
こちらの音は何も伝わらないのだろうか。
彼は体を丸めて咳を繰り返す。
手が痺れても、クロスは何度も壁を殴り付けた。

ッ!!」

紅黒く染まった手が、床に落ちる。
大きくくぐもった音がした。
口の端から、紅い液体がゆっくりと流れ出る。
薄く開いた目から、血で汚れた頬を伝う一筋の涙。
クロス一人分の息が、荒く響く。

「…………」

目が合った、気がした。
濡れた唇が、微かに動く。



















――それは、最も怖れた言葉












「……、……ス、……い、クロス!」

クロスはハッと目の前を見つめた。
握っていた筈のの手は、いつの間にか離してしまったようだ。

「どうした? ぼうっとしてるなんて、らしくないじゃないか」

傍らでティエドールが不思議そうな顔をしていた。
クロスは白い手を探り、再び掴んだ。
その熱さに、少し心が落ち着いた。

「……うるせぇな、何で居るんだよ」
「神様の具合見に来ただけ」
「あぁ?」
「キミだけが心配してるんじゃない」

私の方がキミより詳しいし? と付け足し、彼はの枕元で屈む。
自分が居ない間、弟子の世話を丸投げにしてしまっていただけに、クロスは文句が言えず口を噤んだ。
ティエドールがそっと額のタオルを外し、氷水に浸す。
クロスは、ただ熱い手に視線を落とした。

――自分は、

、お前のこと待ってたんだよ」

絶妙なタイミングでこちらを向いたティエドール。
その射るような眼差しに、クロスは苦笑を零した。

「……そうか」









(主人公18歳、Night.54)
131208