燔祭の羊  
   <ハンサイノヒツジ>  









05.理解









「ま……」

立ち並ぶ店、店、店。
道行く人、人、人。
長閑だが騒がしい、相反する性質を持つ、雑踏の中。

「迷った……!」

アレンは一人、成す術もなく立ち尽くしている。

「どうしよう……」

十五分ほど前の事だ。
アレンは、つい三日前強制的に修業に合流させられた兄弟子、と、昼食を調達しにきていた。
とはいっても師匠はまだぐうたら寝ているため、二人だけで何か美味しいものを食べて来ようという算段である。
そして二人連れだって来たこの街道で、店の一つに気を取られた、まさにその一瞬。
アレンは突如押し寄せた中年女性の軍団に弾き飛ばされ、気付いた時にはもう元の道への戻り方が分からなくなっていたのだ。

実は一本向こうへ行けば、元の場所へ戻れるのだが、アレンはそのことを知らない。
取り敢えず、その場に座ることにした。
迷子になった時の鉄則だ。
目の前を通り過ぎる、人の波。
アレンの白髪に目を向ける人も、少なくない。
アレンは頭に巻いた布を手で押さえた。

思えば、はこの髪に言及しなかった。
左目の呪いの事を話した時も、ただ「そうか」と言って、頭を撫でただけだった。
出会って、まだ三日だ。
彼はアレンが極度の方向音痴である事も知らないし、常人が食べる一人前の量しか食事にありつけなかったので、アレンが大食らいだということも知らない。
それはアレンも同じ事で、否、がアレンの事を知らない以上に、アレンはを知らない。

しかし何故か今、よく知りもしないその彼に、全幅の信頼を置いている自分がいる。

出会った時から、途切れることの無い笑顔がそうさせるのか。
それとも、彼の持つ、その場を飲み込むほどの存在感がそうさせるのか。
定かではないが、どちらもあながち間違いではないだろう。
今はただ、あの心安らぐ笑顔が、自分を見つけてくれることを祈るだけだ。



不意に、ガラスの割れる音が聞こえた。
アレンは顔を上げる。
斜向かいの裏路地からだ。
人の波は、その通りへの入口を避け、不自然に歪曲した流れを作る。
少し迷って、アレンは立ち上がった。ごくり、と唾を飲み込む。

――アクマかもしれない

こんなとき、あの金髪の少年ならば、直ぐさま駆け出すのだろう。
アレンは、必死に人波を掻き分けて、道を横切る。
やけに騒々しい路地。
何かが落ちるような鈍い音が幾度も聞こえ、続くのは男達の声、怒鳴り声、情けない悲鳴。
アクマにしては様子がおかしい、と思いながらも、アレンはやっとのことでそこに辿り着き、顔を出して状況を覗き見た。

常人の比では無い筋肉の盛り上がりを見せる、屈強の猛者達。
その彼らが、痛みに唸りをあげながら、皆が皆、地に伏している。
今、最後の一人が地面に叩きつけられた。
手に持っていたのだろう小振りの拳銃は、丈夫なブーツによっていとも軽々と遠方へ蹴り飛ばされる。
男達の真ん中で、大儀そうに溜め息をつき、コートの埃を払う、その姿は。

「兄さん!!」
「ん? ああアレン! 良かった」

が顔を綻ばせた。

「ごめんな、見失って」

怒られるかと思った矢先の笑顔に、謝ろうと思った矢先の謝罪に、思わず恐縮してしまう。

「そんな! 僕が悪かったんです、ごめんなさい」

まるで気にするなとでも言うように、はアレンの肩を叩いた。
と同時に、起き上がりかけた男の手を、顔も向けずに容赦なく踏み付ける。

「に、兄さん!?」

驚いて見上げるアレンだったが、男の手に拳銃を見つけて血の気が引いた。
がサッとアレンの手を掴んだ。

「おいで」
「へっ? あ、あのっ」

そのまま引きずられるように、大通りへ戻る。
最初にはぐれた店の前だ。

「あの……兄さん」
「ん?」
「あの人達……」

半信半疑で尋ねると、が苦笑いを浮かべ、頷く。

「路地に入ったらいきなり絡まれてさ。ほら、このコートって装飾が銀だろ? 金持ちにでも見えたんだろうな」
「いえあの、そういうことじゃなくて」

は小さく首を傾げ、ああ、と笑った。

「俺がやったよ」

今度こそ驚いて、の端正な横顔を見た。
どちらかと言えば華奢な雰囲気の漂うこの少年が、あの猛者と組み合ってあまつさえ勝ってしまったとは。
話に聞けばとても信じられないが、アレンは実際に、最後の一人が目の前の彼によって、轟音と共に地に叩き付けられるのを見ているのだ。
出会った瞬間の、対アクマ銃を抜く速度といい、先程の格闘での鮮やかさといい。
それらは今のこの穏やかな笑顔から全く想像もつかない、実戦での強さを物語っている。

「(僕は何だかとんでもない人と一緒にいるんじゃ……)」

よく知らない相手、それ故膨らむ期待と、憧憬。

「アレン? 人込みの中でぼーっとするなよ、またはぐれるぞ」
「あ……」

すいません、と続けようとしたが、が急に真剣な顔をしたことで、その言葉は不発に終わる。

「なぁ、様子を見ようと思って、聞かないでおいたんだけど」
「何ですか?」
「お前、その左手が対アクマ武器ってことでいいんだよな?」

アレンは驚き、しかし一瞬後には妙にすんなり納得した。
それも彼にはまだ言っていない事ではあったが、明らかに異様なこの左手は、見る人が見ればすぐにそれと分かるのだろう。

「は、はい、そうです」

の大きな溜め息。
肩を落とした兄弟子は、アレンの頭上で手を弾ませる。

「あのクソ親父……アレン、飯食って宿戻ったらすぐ師匠に掛け合ってやるから」
「へ? ……な、何を?」
「腹が満足するような食事の提供」

呆気にとられるアレンへ向けられた、優しい笑顔。

「三日間、あれだけじゃ足りなかったろ」

アレンは唐突に理解した。

――この人にだけは、隠し事は出来ない








(主人公15歳)

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