燔祭の羊  
   <ハンサイノヒツジ>  









41.秘められた神の御宝









真夜中、バクは歩きながら一つ欠伸をして、首を回した。
明日はウォンと共にコムイ・リーの居城、黒の教団本部へ行かなければならない。
少し寝ておかなければ。
ふと廊下の床に目をやると、微動だにしない黒い影が映っていた。
この先はフォーの扉だが、彼女が何かしているのだろうか。
覗き込もうとすると、肩を後ろに引かれた。

「っ!」
「しーっ」

フォーがバクの口を塞ぎ、自分の口に人差し指を立てている。
彼女に引かれるまま、バクはその場にしゃがんだ。

「なんなんだ!」

あくまで小声で聞いたのに、「声が大きい」と殴られた。

「い……っ」
「さっきからずっとあそこに居るんだよ。なんか戻りにくくてさ」

言いながら、フォーはちらちらと扉の方角へ目をやっている。

「誰の話だ?」
「アイツ。お前らの護衛に入ってるガキ」

最近アジア支部の周りにはアクマが多い。
故に、明日の移動には、本部から派遣されたエクソシストが護衛につくことになっている。
その中に、半年ほど前に入団したエクソシストがいた。
クロス・マリアンの弟子。
何より、二つのイノセンスの適合者として、入団当初から各地で話題になっていた少年だ。
名前は確か。

……」
「あー、そうそう、そんな名前」



バクはフォーの視線の先へ目を向けた。
待っていろと言い置き、そっと廊下を歩く。
彼を見たのは一度きり。
護衛エクソシスト一行が到着した今朝のことだ。
コムイから散々聞かされていた通り、バクを含む全員が彼に惹き付けられた。
容姿が極端に良いせいだろうか、否、あの柔らかな笑顔のなせる業だろうか。
以外のエクソシストが自己紹介をしていても、どうしても彼に目がいってしまう。

「(誰もが放っておかないわけだ)」

聞くところによると、教団本部は実働派・サポート派問わず彼に心酔していて。
女以外寄せ付けないと言われるあのクロス元帥でさえ、片時も彼を離さないのだとか。
バクは苦笑する。

「(一度会ったきりなのに、こうして構いたくなるくらいだからな)」

それを抜きにしても、夜更かしをされてはこちらが困るのだ。
明日に備えてしっかり休んで貰わなければ。
心を鬼にして、表情を引き締めながら、バクはその場に一歩踏み入れた。









靴音の余韻の中で彼は振り返る。
フードが背中に落ち、ぱふっと軽い音を立てた。
まばゆい金が目に飛び込む。
バクは思わず彼へと歩を進めた。



怯えた瞳の水面が、揺れていた。



「ど、どうした?」

尋ねると、少年は何でもないと呟くように言った。
団服の袖で乱暴に目を擦る。
全身から放たれる拒絶のオーラ。
フォーにも伝わったのか、不思議そうな顔でこちらへやってきた。
彼はまだ、顔を上げない。

、どうした?」

先程のように驚きに任せず、口調を丸くする。
悔しいが、見本にしたのはウォンが自分にする話し方だ。
そっとの肩に手を乗せる。
涙が少年の頬を伝った。
触れた肩は、思っていたよりもずっと小さかった。









夢を見てしまいそうだったのだと、彼は言った。
それはある年のクリスマス・イヴ。
世界を、もう二度と手の届かない場所へ送ってしまった日。



ぽつり、ぽつり。
バクの問いに、は俯きながら答える。
もっとも口を噤むことのほうが遥かに多く、肝心なことは秘めたままだったが。

「いつもは夢を見ないのか?」
「……今日は、一人だったから……」

暗い部屋で、一人で寝るのが引き金になるらしい。
フォーが射るような目でこちらを見上げた。

「お前が傍で寝てやればいいじゃん。こいつもお前もあたしも寝れて、万事解決」

確かに。
そう思って頷きかけたバクを、が止める。

「ううん、もう大丈夫」
「そ、そうか?」
「うん。大丈夫だから、やめて」

そう言って、彼は微笑った。
予期せず向けられた輝きに、フォーと二人で声を失う。

「ありがと。バクさん、フォー」

おやすみなさい。
彼は背を向けて走り出す。
バクが伸ばした手は、空を掴んだ。









入団十年目のベテラン・ピエール、ティエドールの一番弟子・マリ。
寄生型の新人・スーマン、そしてマリアンの秘蔵っ子・
エクソシストが四人、対アクマ武器が五つ。
今回の護衛は、過去に例を見ない大人数で行われる。
スーマンはこれが二度目の任務だが、それ以外の三人は、名前の前に冠がつくほどに腕が立つ。
それなのに。

「(胸騒ぎがする……)」

ひどく嫌な、予感。

「バクさん」

ふ、と現れた声と気配に驚いて、バクは一瞬反応に遅れる。
不思議そうにこちらを見るに、慌てて返事をした。

「どうした?」
「ちゃんと寝れた?」
「ああ、僕は……お前こそ寝たのか?」

返ってきた微笑に、安堵する。

「そうか。あー、
「何?」
「さん、は付けなくても良いぞ」

コムイは呼び捨てなのに、自分がそうでないのは気に食わない。
が笑った。

「もしかして今コムイのこと考えた?」
「なっ、何で分かった!?」
「あはは!」

ピエールがを呼んでいる。
歳相応の笑顔を振り撒いて、彼はそちらへ駆けていった。









かみさまが、たからばこをひらく。








(主人公13歳)

120211