燔祭の羊
<ハンサイノヒツジ>
40.ワスレモノ
クロスは手元の紙袋を見る。
汽車の中で食べようと買ったものだ。
の好きな食べ物はさっぱり分からないが、これなら残さないだろう。
彼が未だフードを外さず、少しも笑わないことを思い出し、溜め息をつく。
「(まぁ、仕方ないか)」
煙草を捨てて、彼を待たせた場所へ向かう。
ちょうどその辺りに、人だかりが出来ていた。
男が喚く声が聞こえる。
酔っ払いが人に絡んでいるらしい。
人のことは言えないが、声を聞く限り、相当質の悪い酔い方だ。
クロスは人垣を見回した。
いくら捜してもの姿が見えない。
彼は年の割に小さいので、クロスの視線も自然と下方を彷徨う。
「見てんじゃねぇ!」
男の怒声が轟き、人垣から悲鳴が上がった。
何かが倒れる音。
空気が怯えを孕む。
その感覚に違和感を覚え、クロスは人垣の間を覗き込んだ。
尻餅をついたが男を見上げていた。
「!」
空気が変わったのは、フードが外れてしまったのが原因だろう。
クロスは人を押し退けて駆け寄った。
と世界を隔てるものが無くなってしまったのに、彼にはそれを直す余裕が無い。
瞬きも出来ず、ただ震えている。
男が後ろに立った。
「あー? 何だぁ? お前」
クロスは振り返って、男の胸倉を掴んだ。
男がヒッと喉を鳴らす。
迫力なら、無言でも負ける気はしない。
「お客様!」
男が大人しくなったからだろう、駅員が男を取り押さえた。
再び暴れ出した男の頭に、クロスは金づちを振り下ろす。
周りが静まり返る中、を立たせて汽車に乗り込んだ。
震える彼を手近な席に座らせる。
おずおずとフードに伸びた小さな手を止めた。
「っ……」
「大丈夫か?」
今にも泣きだしそうな瞳。
クロスは彼の頭に軽く手を置いた。
「迷惑じゃないから、困ったら呼べ」
「……おじ、さ……」
「だからお兄さんだって……」
いつものように返して、ふと思い止まった。
「いや、師匠だ」
漆黒が見つめ返す。
「ししょ……?」
例え本人が嫌がっても、例え自分が望まなくても、彼はもう、神に選ばれてしまったのだから。
「お前を、オレの一番弟子にしてやる」
「でしって、何……?」
「オレの背中をお前に預けるってことだ」
きょとんと、ようやく瞬いた瞳。
その拍子に、溜まっていた涙がほろっと零れる。
「……よく、分かんない」
「いつか解る」
クロスは、彼の涙を乱暴に拭った。
「今はまだ、オレの後ろに居ればいい」
預けた背中で、君を守るから。
(主人公9歳)
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