燔祭の羊  
   <ハンサイノヒツジ>  









39.それこそが彼の業









そっと病室の扉を開ける。
医療班は席を外しているようだ。
眠る彼以外、誰も居ない。
ルベリエは中へ入った。
教団の病室を見るのは、リナリーを軟禁させた時以来かもしれない。



「……何してるんですか」

突然声がした。
その驚きは内心に留め、ルベリエはベッドへ目を向けた。
軽く笑む。

「起きていたのか」
「……眠れなかっただけ」
「ほう? それだけ元気なら、働いたらどうだね?」
「じゃあ室長を説得してくれます?」

溜め息混じりの言葉。
ルベリエは体を起こそうとしたを遮り、適当な椅子に座った。
そんな顔色で任務に出て、死なれても困る。
エクソシストが減るだけでは無い。
無駄に周囲から崇められる彼が、万が一命を落としたら。
真っ先に使えなくなるのは、此処を統べるべきコムイだろう。

「で、何の用ですか?」
「君ならクロス元帥の行方を知っていると思ってね」
「さあ? 知りません」
「君でも知らないことがあるとは、ねぇ」
「当たり前でしょう。あの人の行方なんか、寧ろ俺が知りたい」

例えばリナリーなら、こうして口許だけの笑みを向ければ簡単に口を割るのに。
「神」と呼ばれるだけあって、流石にの空気は強く、ルベリエは未だ、こうして探るようにしか話せない。
場の主導権を取られるのは、苦手だ。
思えば、ルベリエに屈しないのはだけではない。
神田ユウと、ブックマンのジュニアも、そうだ。
確か三人は同い年だった筈。
全く、末恐ろしい。



笑顔の裏で、ルベリエはふと考えを止めた。
末恐ろしい? そんな馬鹿な。

――三人とも、此処から居なくなる存在だろうに

それは、きっとそう遠くない未来。









「まぁ……今日のところはそういうことにしておきましょう」
「分かっていただけて光栄です」

茶番のような会話を交わす。
ルベリエは立ち上がった。

「いつまでも臥せてないで、早く任務を受けなさい。
エクソシストは、伯爵を倒すためだけに存在する義務がある筈だ。君達は神に選ばれたのだから」

……特に、君は。
そう続けると、は僅かに目を細めた。

「そのつもりですよ」
「なら良い。私は戻ります、お大事に」



「……非情に見せたいなら」

ルベリエの背を、彼の声が追う。



「神の名を使って戦いを強要するのは、やめた方がいい」
「……ほう?」

振り返れば、漆黒に射抜かれた。

「無理をしているように聞こえるから」

知らずに、強く深く、その海に飲み込まれていく。

「フ、私が何を無理する必要が……」

ゆっくりと開かれた唇。
胸を、衝かれた。



「咎落ち」



「……何故、それを知っている」

細心の注意を払い、声の震えを止める。
が静かに目を伏せた。
全てが見透かされているような、底知れぬ不安。

「方々から色んな相談を受けるもので」
「君には関係のないことだ」
「エクソシストが不甲斐ないせいで、彼等は犠牲になったのに?」

ルベリエは奥歯を噛み締めた。

「……ああ、そうだ。だから君達は余計なことを考えずに」
「ほら」

柔らかな言葉が放られる。

――やっぱり、悔やんでる









何が「教団の神」だ。
何が「神の寵児」だ。
皆、何故こうも寄ってたかって彼に近づきたがるのか。
ルベリエは一歩後退った。
気味が悪いのだ、この金色の少年は。
自分の考えは誰にも悟らせないくせに、彼は人のことを誰よりも理解しているのだから。









「いくら貴方の家がやったことだとしても、貴方に罪は無いのに」
「口を閉じたまえ、君にどうこう言われる筋合いは無い」
「嫌ですよ、貴方の勝手な悔恨でリナリーを傷つけられたら堪りません」

いつの間にか、が再びこちらを見ていた。
ルベリエは意識して目を逸らす。
今度あの瞳を見たら、もう二度と逃げられない気がする。

「逃げたくても逃れられない事くらい、エクソシストなら誰だって分かってます」
「……君は、そうかもしれないが」
「どんなに忌み嫌っても、教団にいる限り、結局俺達はそのために生きて、死んでいくんだから」

ふと、彼の瞳に目を移してしまった。
相変わらず感情の読めない瞳。
ただ、今日はひどく、憐憫を湛えているような気がした。
それがいつもより、ほんの少し人間味を帯びていて。
ルベリエは自然と、団員と変わらない言葉を口にしようとしていた。

「……赦、し……など、わたしは請いませんよ」
「どうぞお好きに。俺は、俺の『世界』が平和ならそれでいい」









部屋を出て、ルベリエは長く息を吐いた。
やはり、は苦手だ。
彼を頼った事を深く後悔する。

けれど、心のどこかで少し安堵している自分が居るのも、事実だった。








(主人公17歳)

111016