燔祭の羊  
   <ハンサイノヒツジ>  









38.聖域









一瞬、彼だとは分からなかった。

「……?」

が肩を押さえ、よろめきながら近づいてきた。
馴染みの団服が、所々破れている。
彼は神田を見て、安心したように息をついた。

「良かった……無事か……」

崩れるように膝をついた
思わず駆け寄った。らしくない。

「おい、どうした」
「アクマが……」

確かに、彼が来た方向からは人々の悲鳴や機械的な笑い声が、耳障りなほど騒々しく聞こえてくる。

「ちっ……何体だ? 俺が行く」
「レベル2……、五体……」

が苦しそうに咳き込む。
彼は今、「聖典」の同調率を調整している最中だ。
それが何か悪影響を及ぼしたのかもしれない。
見ていられなくなって、神田はその背に手を伸ばそうとした。



――背後に強烈な存在感



「……ちっ!」

すっかり気を緩めてしまった自分に、腹が立った。

「(怪我してたって、こいつの気配が消える訳が無い)」

一瞬、彼だとは分からなかった――そんなことが、に関しては「ある筈がない」のだ。
神田は眼前のから距離をとるため跳びすさった。
背後から、軽く咳込む音。
しかし振り返った時には既に、神田のよく知るは彼の姿をしたアクマへ銃を向けていた。
口の端には、微笑。

「いくらユウが……お人よしだからって、」
「オイちょっと待て」

神田の反論をしっかり聞き流して、がアクマへの笑みを深めた。

「俺のカッコして騙すのは感心しねぇな」

身に震えが疾った。
は滅多に怒らない。
特に、アクマに対して怒りを露にするのを、神田は初めて目にした。
赦す神の怒気に当てられ、アクマが慌ててその姿を変えていく。
「福音」の歯車が回転する高い音。
引き金は引かれた。
アクマに、弁解の時間は与えられなかった。

「主よ、彼らに赦しを」

重い音を響かせて、アクマが四散する。
長い溜め息の後にふらついたへ、今度こそ神田は手を伸ばした。
団服の上からでも分かる、ぐっしょりと血塗れた身体。

「この怪我……」
「向こうのアクマは、倒したよ」
「んなこと聞いてねぇよ! 何でこんなに怪我してんだ!」
「あいつ……心読むんだ」

膝をついたは力無く笑った。

「リナ、は……さす、がに……」

途切れ途切れの弱い声。
神田は近くに隠れているはずの探索部隊を呼んだ。
瓦礫を避ける音がする。

「お人よし」
「……お前も……」

が目を閉じて微笑む。

「『俺』に……手、貸して、くれて……」

ありがとう。
空気に吸い込まれた言葉に、舌打ちを一つ。
認めるようで嫌だったが、神田は彼の肩を軽く叩いた。
どう言い繕っても、戦場で最も気が合って、最も自分を理解してくれる「神様」は。

「……当たり前だろ」

いまや、神田の世界になくてはならない者なのだから。








(主人公16歳)

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