燔祭の羊
<ハンサイノヒツジ>
34.師匠
「なぁ、今日の鍛錬の事なんだけど……」
一緒にやるって話、無しにしてくれない?
朝一番のの言葉を、神田は苦々しく思い出した。
珍しく殊勝な態度で謝るに、何も言葉を返せなかった自分を悔やむ。
突然予定が空いてしまったが、一体何をして過ごそうか。
考えてはみたが、やはり鍛錬以外にやることが無い。
神田は大きく溜め息をつき、舌打ちをして立ち上がった。
食堂を出て修練場への道を行く。
「ユー君どこ行くんだい?」
突然後ろから、しかも一番呼ばれたくない呼び名で声を掛けられた。
ティエドール相手だが躊躇いなく舌打ちをして、神田は答えた。
「……修練場ですけど」
「あーやっぱり! ダメだよ、今日はあそこに近付かない方がいい」
何を言ってるんだという目を向けると、ティエドールは困ったように頭を掻いた。
「あそこねぇ……さっきすっごく楽しそうな顔でクロスがを引きずって行ったんだ……」
神田の師は遠くを見つめる。
その光景を想像し、流石に神田も背筋が寒くなった。
「あ、でも危険を顧みずに見たいって言うなら、付いていってあげるよ?」
扉の内側から、何か固いものが壊れる音が連続して聞こえる。
神田は扉を指差した。
「……」
無言の神田に、ティエドールが苦い顔で頷き、扉に手を掛けた。
「うん、修行という名で鍛錬という名の戦闘」
そっと扉を開けたティエドールの後ろから中を覗き込む。
絶妙なタイミングで、銃弾が二人の目の前を横切った。
「……ッ」
思わず息を止めた二人の視界の中で、黒い影がひた走る。
だ。
追うのはもちろん、「断罪者」の光。
は銃弾を引き付け、当たる直前にさっと身を屈めた。
一気に前方への逃走を図る。
銃弾は壁に命中し、しかしやがて跳ね返って再びを追った。
クロスはというと、うず高い瓦礫の山の上に腰掛け、足を組んで笑っていた。
「当たりたくなければ撃ち返すんだな」
見たこともないほど必死なは、ヒビの入っていない壁を蹴り、宙で一回転をした。
あの技はここから生まれたのか、と神田は一人納得する。
その時は既に「福音」を放ち、師の銃弾を沈めていた。
神田との鍛練で息を切らしたことなど一度も無い彼が、肩で息をして、クロスを睨み上げた。
「それが出来たら苦労しねーんだよ! つーか今アンタ六発全部撃っただろ!」
思わず顔が歪む。
「……鬼かあの人……」
「鬼より質が悪いんだよね……」
「あァ? 修行なんだから当たり前だろ、この馬鹿弟子」
ティエドールが言うには、クロスがをこう呼ぶのは鍛錬中だけなのだそうだ。
しかも、は気付いていないのだが、この時のクロスはとても機嫌がいいのだとか。
確かに、クロスは今、満面の笑顔で「断罪者」を玩んでいる。
同じ「笑顔」でも、人によって感じるものは違うのだということを、神田はたった今学んだ。
「こんなんで弱音吐いて、どうやってアクマと戦う気だ?」
「はっ、アクマのほうがまだ慈悲ってもんがあるよ」
「はっはっは! そうかそうか」
「……褒めてないんだけど」
の不機嫌な呟きに、クロスが銃を構えた。
「知ってるよ」
正面からに向かう光。
すかさずも銃を構え、片っ端から弾を撃ち落とす。
「二人とも、いい腕してるなぁ」
確かに、その点は悔しいが認めざるを得ない。
神田がの背中を見つめていた時、クロスは銃を投げ捨て、懐から愛用のハンマーを取り出した。
間髪入れずに勢いよく投げる。
がいつものように反転してそれを避け、必然的に神田と目を合わせて驚いた顔をした。
ティエドールの鋭い叫び。
「ユー君っ」
はっと目を移した。
突如目の前に迫った物体を認識し、反応するには遅すぎたことを悟る。
思わず目を瞑った。
「聖典!!」
怒号のような、の声が聞こえた。
ガン、ガン、と音が響く。
目を開けると、黒い壁の向こうに、ハンマーが転がって落ちていた。
ティエドールの安堵の溜め息が聞こえる。
がやってきて「帳」を解いた。
ハンマーを拾い上げ、反対の手で神田の肩を叩く。
こちらは疲れた溜め息。
「良かった……」
呟くと、彼は振り返ってハンマーを投げた。
山なりに弧を描いたそれは、持ち主の元に返る。
「人が居るなら途中で教えてよ」
「それくらいの余裕は残しとけ」
クロスが瓦礫から降りた。
ティエドールが尋ねる。
「あれ? 終わり?」
「一時休憩、ついでに腹拵え」
クロスは煙草に火をつけながら言った。
神田の横でがまた溜め息をつく。
「お前、朝まだなのか?」
「食う前に捕まった」
寄生型には辛いだろうその理由に、流石の神田も同情する。
が顔を上げた。
「って訳だから、今日はごめん」
「チッ……仕方ねぇな」
「俺を待たせんな!」
クロスが扉を開けて怒鳴る。
「今行く!」
走っていくを見て、次いでティエドールを見上げる。
神田は少しだけ、この師匠で良かったと思った。
(主人公14歳)
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