燔祭の羊  
   <ハンサイノヒツジ>  









31.夢見









クロスの使っている部屋を出て、は廊下を進んだ。
彼が先に寝てしまったので、今日の晩酌は打ち切りだ。
眠れない自分に付き合わせていたのだから、文句は言えない。
今宵は新月。
廊下の窓から見える夜空は暗い。
いよいよもって、今夜は眠れないだろう。
身体が重い。
自分とアレンが宛がわれた部屋の扉に手を掛けた。
この扉すら重く感じるのだ。
思わず、軽く苦笑いを浮かべてしまった。

「(重症……)」

ゆっくり扉を開ける。
弟弟子の寝息が、規則正しく聞こえてくる筈だった。

「うわあぁぁあ!」
「アレン!?」

扉の重さが頭から吹き飛んだ。
勢いよくそれを開け放ち、アレンを捜す。
自分用の皺一つ無いベッドの、その隣の寝台に、彼は居た。
悲鳴は既に言葉では無い。
浮かぶ汗と流れる涙。
震える、体。
見たくない夢から目を逸らすことが出来ず、現実の瞼を上げることが出来ないのだ。
は、こんな夜をよく知っている。

「(嗚呼)」

――こいつも、俺と同じか。









マナが目の前で壊れていく。
他でもない、自分の手によって。

「(……やめて……ヤメテ……)」

跳ね上がる鼓動。
掴むものが欲しい。
縋りつくことの出来る、何か。
誰か、助けて。

『――目を、開けるんだ』

暗闇からアレンを引き戻す、声が聞こえた。
唯一差し込む光へ、必死に手を伸ばす。

『――怖くないよ』

誰でもいい、助けて。
助けて。
たすけて。

『――おいで』

声に導かれ、目を開けた。
視界に入ったのは、黒いベスト。
深紅のタイ。
暗闇の中でも、潤んだ瞳でも、はっきりと分かる。
この包み込むような微笑みは。

「に、い……さ……」
「ああ」

アレンはいつの間にか、にしがみついていた。
彼は普通の人よりも少し体温が低い。
それが今は、アレンの心を温めていた。

「にい、さん……」
「……ああ」

彼は笑う。
アレンの肩を軽く叩いて、横に腰を下ろした。
ゆっくりと穏やかなリズムで背を叩かれ、だんだんと恐怖が去っていった。

「……ごめん、なさい……」
「ん?」
「起こ、し……ましたか……?」

は軽く笑う。

「まだ寝てねぇよ」

彼が指差したベッドは皺一つ無く、確かに未使用のままだった。

「お、起きてたんですか?」

驚いて尋ねると、は風のように微笑ってアレンの頭に手を乗せた。
そのままくしゃくしゃに掻き回される。
いつの間にか、アレンは俯いていた。









「マナ……マナ、を……」

――壊した日の夢を、見ました

そう呟くと、は何も言わずに頷いて、髪を掻き回していた手を止めた。

「マナは……ぼくの、義理の父なんです」

初めて、アレンはに養父の話をした。
家族に関する言葉はクロスによって固く禁じられていたから、今まで話す機会そのものが無かった。

「ぼくを、見捨てないでいてくれた、人を……ぼく、は……」

何故あの日、伯爵を呼んでしまったのか。
何故もっと強く在れなかったのか。
後悔ばかりが、胸に渦巻く。

「……優しい人だったんだ」
「はい……ちょっと、変な人でしたけど」

がくすりと、笑う。
彼の笑顔は、楽しかった日々を思い出させた。
アレンもほんの少し、笑った。

「最初に会った時は……ぼくはマナのこと、おかしい人だなって思ってて。
……だって冗談で首吊ったりするんですよ? ホント……」

マナはいつもアレンを笑わせようとしてくれたのに。
アレンは、涙無しに彼を思い出すことは出来なかった。

「ホント……変な、人なんです……」

再び熱くなる目頭。
アレンはごしごしと袖で目を擦った。
優しく頭を撫でる手。

「良い……お父さん、だな……」

どこか抑えた声音に、アレンは頷いた。
鼻を啜り上げる。
自分の愛する人を肯定してもらえることがこんなに嬉しいことだなんて、思いもしなかった。
アレンは涙を拭いた。
急に気恥ずかしくなって、何の気無しに尋ねた。

「あの……兄さんの、家族は……」
「いい奴ばっかりだよ」

その言い方に違和感を感じて、見上げる。

「大、家族なんですか?」
「ははっ。まぁ……そうだな」

慈しむような、しかし彼らしく、少し目を伏せた微笑み。
さて、と呟いたは、表情を変える。
少し悪戯っぽい笑顔が、アレンを捉えた。

「寝とけ、師匠はもう爆睡してっから。明日は早いぜ、新入り」
「え、あの人もう寝てるんですか!?」

意外過ぎる事象に声をあげると、は夜中だし、と笑った。
アレンはふと彼の語尾を反芻する。

「新入りって……?」

毛布を押し付けられ、アレンはその勢いのままベッドに仰向けになった。
縁に座ったは微笑む。
光源の無い中で、まるで彼だけが輝いているようだった。

「そうだろ? お前は俺の新しい家族なんだから」

一人じゃない。
家族と呼べる人が、また現れるなんて。
絡めとる安心感はやがて、アレンの瞼をゆっくりと下ろす。

「おやすみ、アレン」

遠く、声が聞こえた。









部屋を出て、扉に凭れ掛かる。
足に力が入らない。
ずるずると座り込んで、膝に顔を埋めた。
もう、苦笑しか浮かばない。

「……かみさま……」

――貴方は、どこまで苛めば気が済むのか








(主人公15歳)

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