燔祭の羊
<ハンサイノヒツジ>
27.師弟
科学班の方から、何かが爆発する音と班員の悲鳴が聞こえる。
ちょうど司令室を出たコムイは、深い溜め息をついた。
「……またですか、元帥……」
明け方、緊急の任務で、彼の愛弟子がふもとの町に出た。
それからというもの、クロスはここで無意味な実験を続けている。
「暇なんだよ」
「だからってなにも此処でそんなことやらなくても……」
資料を全て吹き飛ばされたリーバーが、半ベソをかいて呟く。
クロスは悪びれた様子もなく、フンと鼻を鳴らした。
室長のお膝元である科学班ならば、教団内の何処に居るよりも迅速に、帰還を知ることができる。
きっと、彼が帰ってくるなり部屋に引っ張って、酌をさせるつもりなのだろう。
の近い未来を思い、コムイは少し憐れみを抱いた。
「元帥、そんなに暇なら手を貸していただけますか?」
「あ? 俺の手は高いぜ」
「がすぐそこまで帰ってきてます」
クロスが勢いよくこちらを振り向いた。
「なんでも、連絡をくれた探索部隊が重傷で、五人連れて帰るので人手が欲しいとか」
先の通信では、探索部隊の怪我が酷いため、が舟を漕いでいるとも言っていた。
流れるような自然な動作で、クロスがリーバーにフラスコを渡す。
「ちゃんと始末しとけよ、リーバー」
「自分でやってくださいよ!」
リーバーの言葉はもっともで、しかしクロスはやれやれ、と呟きながら出口へ向かっていた。
コムイは苦笑しながら、フラスコを見て立ち尽くすリーバーの肩を叩く。
「よろしくね」
「……っス。全く、やれやれとか言いつつ、すっごいノリノリじゃないですか……」
クロスの後ろ姿からは鼻歌が聞こえてきそうだ。
なおもぶつぶつ言い続けるリーバーの元を後にして、コムイはクロスを追った。
医療班と共に帰還する舟を待つ。
途中、クロスは婦長に煙草を取り上げられた。
やがて地下水路の先に、ランプの光がちらついてきた。
「にしても何で現地で医者に見せなかった?」
「入団したばかりの隊員がパニックになったんだそうです」
「阿呆か……」
蛇行しながら、ゆっくりと光が近付いてくる。
コムイが手を振ると、オールが高く掲げられ、振り返された。
「ホームだ……!」
「やっと帰ってこれた……」
身を横たえている探索部隊達が、涙ながらに歓声を上げた。
は、器用に片手でオールを操る。
明かりに照らされる微笑み。
「ただいま、コムイ」
「おかえり、お疲れ様」
岸に着くと同時に、医療班の力自慢達が舟に乗り込んだ。
一応の応急処置はされているようだが、一人で立ち上がれる者は居ない。
コムイはに聞いた。
「着いたときには、こうだったの?」
「うん、大群に捕まってた。……こんなとこで何やってんの師匠」
まるで今初めて存在を知ったかのように、がクロスを目に映す。
「わざわざ下りてきてやったんだ、感謝しろ」
「嫌なら来なくて良かったのに」
「おー、そんなに嫌がられたら来た甲斐があったってもんだな!」
怪我人が居るのも忘れ大声で笑ったクロスを、婦長の般若の目が見咎める。
流石のクロスも、何か思うところがあったのか、その目を見て声量を落とした。
が溜め息をついた。
「あーうるさいうるさい。ったく、連れて来ないでよ、コムイ」
「いやーぁ、医療班だけじゃ人手が足りないと思ってね」
何箇所も骨折している者、頭に包帯を巻いている者。
此処まで連れ帰ってきたに、探索部隊の誰もが会釈や目礼をして下ろされていく。
笑顔で応対する。
コムイの左側から、クロスが手を伸ばした。
「お前もさっさと下りろ。オレの酒に付き合え」
「またぁ?」
予想した展開。
心底嫌そうに、は顔を歪める。
「また? じゃねーんだよ、決定事項だろうが」
クロスが強引に右腕を引っ張った。
の顔が青ざめる。
「――っ!!」
左手でクロスを突き飛ばし、うずくまってしまった。
「ちょ、?」
コムイは、医療班や探索部隊の視線を背中に感じながら、声を掛けた。
クロスが傍らでを見下ろした。
「右腕、どうした」
「……どうもしないよ」
「どうもしないなら掴んでも構わねーよな?」
再び手を伸ばしたクロス。
はじりじり後退し、恨みがましい視線を向ける。
「?」
コムイはにじり寄る。
名を呼んで問い詰めれば、彼はそっぽを向いて、呟くように白状した。
「……折った」
「腕折れてんのに舟漕ぐ馬鹿がどこにいるってんだ、あァ?」
交戦中、探索部隊に飛んで来た鉄の塊を防いだ結果なのだと言う。
それどころか、帰路の間も探索部隊達に全く悟らせなかったらしい。
放置され、通常の動きを強いられた患部は、寧ろ担当のドクターに痛そうな顔をさせていた。
医療班で婦長からこってり絞られたは、今度は科学班でクロスに叱られた。
「だって……」
「ほう? 口答えすんのか? 第一、『帳』はどうした。こういう時に使わないでどうする? 馬鹿」
滅多に無い、どころか初めて見る光景に、科学班一同は手を止め、息を潜めて様子を窺っている。
「……違うとこに盾張ってて……」
「それで自分が怪我してたらザマねぇな」
がむっとして顔を背ける。
コムイは二人を見て苦笑した。
遠巻きに見つめる科学班の後ろから、を呼ぶ。
「ちょっと用事出来たから来てー」
「あ? 今取り込み……」
「はいはーい、何ー」
クロスの言葉を遮って、ちらりともそちらを見ずにが立ち上がった。
その背後から飛んでくるクロスの怒気を、笑って受け流すコムイ。
が入って来るのを待って、司令室の扉を閉めた。
「うざ……」
刹那、傍らの呟き。
思わず苦笑が漏れた。
「ボクも元帥と婦長と同意見だけどね」
「コムイまで?」
がげんなりと、疲れ果てた様子でソファに腰を下ろす。
吊られた右腕が痛々しい。
「何で連絡くれたときに言わなかったの? そしたら舟漕ぐ人くらい、こっちから送ったのに」
厳しい声を意識して聞くと、は少しだけ考え込んだ。
「だって、何て言うか……ただでさえ皆パニックになってるのに、俺がそんな事言ったら、更に混乱すると思って」
コムイは一瞬目を見張り、やがて笑った。
「キミらしい」
「何それ」
金髪をくしゃくしゃに掻き回し、ふて腐れるに笑いかける。
「元帥には、ちゃんと謝っておきなよ? あれで一応心配してるんだから」
流石師弟、と言うべきか。
フン、と鼻を鳴らして拗ねる態度はそっくりである。
「……分かってるよ」
(主人公15歳)
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