燔祭の羊
<ハンサイノヒツジ>
26.芽吹く
「科学班って、大変なのね……」
リーバーの横で、ミランダは呟いた。
反対隣に座るが笑う。
「多分エクソシストより激務だよ」
「それは言い過ぎだろ」
計算の手を休めず、リーバーが言う。
は、遠くから聞こえた声に立ち上がりつつ、首を横に振った。
「だって俺達には休みがあるし。どうかしたー?」
声の方へ向かうの背に、リーバーが苦笑した。
ミランダは刻盤に気を払いながらリーバーを見上げる。
「科学班の手伝いなんて……君って、ホントに何でも出来るんですね」
「いや? アイツ計算はてんでダメなんだ」
「え、そうなんですか?」
頷きながら、リーバーは傍らの飲み物に手を伸ばした。
中身は炭酸飲料だそうで、ミランダは今度、食堂で試してみようと決めている。
「元帥が言うには、親父さんが言語学者だったらしいんだ。自分の知識を片っ端から仕込んでたんだと」
俺が知ってるってのは内緒な、とリーバーが微笑んだ。ミランダはしっかり頷いた。
「でも、それも凄いことですよね……」
「まぁな」
が山積みの書類を持って戻って来た。
既に置き場のないリーバーの机に目をやり、その隣の自分の机に書類を置く。
「こっちがジョニーで、こっちはロブから。出来れば今日中にって」
「げっ……了解」
書類に目を走らせたリーバーが、疲れを通り越し、悲しい顔をする。
は労いの声を掛け、ミランダに向き直った。
「俺、ちょっと書庫行ってくるね」
「君も何かやるの?」
「ううん、頼まれ事。資料取ってくるだけだよ」
――が行ってしまう
ミランダは慌てて立ち上がった。
「わ、私も手伝うわ!」
声が上擦り、リーバーを始め、周囲が何事かと振り返る。
ミランダは我に返り、恥ずかしくなって座った。
顔が熱くなるのを感じる。
こんなことさえ上手くいかないのだから、自分が恨めしい。
ふ、と目の前に手が差し出された。
「じゃあ、お願いしようかな」
顔を上げると、この上なく優しい、彼の微笑み。
「ミランダ」
「は……はい……」
まるで、魂を抜かれてしまったようだ。
ミランダは茫然と答え、自分の手を預けた。
先程とは違う意味で顔を赤くしたミランダの横から、リーバーがメモを出す。
「悪い、ついでに二冊頼む」
ミランダを立たせたが、そのメモを見て苦笑した。
「了解」
書庫から帰りながら、が笑った。
「良かった……ミランダが来てくれて」
隣を歩くミランダは、彼を見上げる。
「私、でも?」
は頷いた。
「もちろん」
二人は分厚い書物を、十五冊と五冊に分けて運んでいる。
科学班への階段を下りながら、が口を開いた。
「夜中の鍛錬は程々に」
「あ……」
に話を聞いてから、昨日、一昨日と、ミランダは殆ど寝ずに自主練をしていた。
彼には、隠していたのに。
「どうして……?」
資料を抱え直し、彼は確信を持った顔で首を傾げた。
「あんま寝てないだろ?」
ミランダは頷いた。
はやっぱり、と前を向く。
「ミランダの事だから、コツコツやってんだろうなって」
溜め息と共に彼は苦笑して、半歩先を行った。
「ごめん。俺が色々変なこと、言ったからだよね」
足が、一瞬止まってしまう。
しかしミランダは急いでその背を追った。
「貴方が謝ることじゃ……」
が立ち止まり、振り返る。
打って変わって、不安な眼差し。
追い付いたミランダは、首を横に振った。
「違うの、私は……」
一瞬の、躊躇。
彼にならどんなことも言ってみようという気になるのだから、不思議だ。
「私は……私なんかでも、貴方を支えられたらと、思って……」
あの時のように、が押し黙った。
今度こそしくじったかと、ミランダはなんだか泣きたくなって、下を向いた。
「――ありがとう……」
呟きに顔を上げる。
彼は微笑み、次いで明るく笑った。
「頼りにしてるよ、ミランダ」
ミランダを残し、は科学班へ足を踏み入れた。
残された言葉が耳に、笑顔が目に焼き付いている。
資料を運ぶ間、ミランダはそればかり、頭の中で反芻していた。
「リーバー班長……資料です」
「あーサンキュー、そこ置いといて」
言われた場所に書物を置くと、その腕をリーバーが引いた。
小声で耳打ちされる。
「……ミランダ、何かしたか?」
「え……私、何かヘマを!?」
「違う違う! と、何かあったのか?」
「へ?」
リーバーは驚いたように、を目で追っていた。
「アイツのあんな明るい顔、久し振りに見たぞ」
(主人公18歳、Night.15〜Night.16)
100213