燔祭の羊  
   <ハンサイノヒツジ>  









20,000hit「BREAK!」








怪しい。
とてつもなく怪しい。
リーバーは腕組みをして、そっぽを向くコムイを見下ろした。

「どーしたんスか、室長」
「へ? な、何のことかなぁー?」

そもそも、朝から大人しく仕事をしているあたり、怪しい。
一体何をやらかしたのだろうと、問い詰めようとした矢先。
司令室の外から、騒々しい足音が近付いてきた。
半ば壊れながら勢いよく開いた扉は、膨れ上がる二つの怒気を招き入れる。
拳銃を握り締めた神田が怒鳴った。

「どういうことだよ! コムイ!!」

備品の剣を握り締めたが怒鳴った。

「テメェ何しやがった!!」

リーバーは、気圧されながらも辛うじて呟いた。

「……は?」

神田から溢れ出るには、大きすぎる存在感。
にしては、珍しいまでに荒々しい言葉遣い。
まさか、と思い背後を見れば、巻き毛の室長は至極嬉しそうに笑っている。

「やった! 成功!」

苛立たしげな歯軋り。
二人が、各々の武器を構え、同時に口を開いた。

「覚悟しろ」









部屋の隅には、青痣や赤痣を作って伸びているコムイの姿。
研究室のどこを見回しても、班員の誰もが真っ青になってガクガク震えている。
で、何故自分が二人の相手をしなければならないのだろう。
オレだって怖い。
内心号泣しながら、リーバーは自分の椅子に腰掛けた。

「……で、朝起きたら、もう入れ替わってたのか」

ソファの左端で、脚を組み、肘掛けに肘をついて、項垂れた顔を片手で覆った神田が。
否、神田の姿をしたが頷いた。
ソファの右端では、同じく脚を組み、腕も組んで、眉間に皺を寄せたが。
……否、の姿をした神田が、物騒に顔を歪めて舌打ちをした。

「昨日の夜は、自分のままだったんだな?」

再び、項垂れた神田、つまりが頷き、しかめ面の、つまり神田が舌打ちを零した。

「そうか……」

要するに、昨日、二人の夕飯にコムイが自主実験中の薬を仕込んだらしい。
その結果、と神田の心が入れ替わってしまった。
それにしても。

「兄貴、なんとかならない?」

困りきったように、が此方を見上げた。
しかし、今、その顔は「神田」なのだ。
困り果てながらも、激情を上らせない「神田」なんて。

「(……レアすぎるだろ)」

はっきり言って、穏やかすぎて気持ち悪い。
対して、反対側に座る神田は、苛々と殺気を剥き出しにしている。
しかし、繰り返すがその顔は「」である。
本人ほど空気を支配するわけではないが、激情を露に宙を睨み付ける「教団の神」なんて。
正直、鳥肌が立つほど恐ろしい。
本人が穏やかで本当に良かったと、つい普段の生活の有り難みを再認識する。

「なぁ、兄貴」
「あ、ああ……そうだなぁ、室長の薬だからなぁ……」
「チッ、テメェも科学者だろ」
の顔してそういうこと言うなよ、神田……」

ぐさっと心に突き刺さった言葉を何とか苦笑で流して、リーバーは腕を組んだ。

「まぁ、今までの傾向から言うと、一日経てば元に戻るとは思う」
「一日中このまま?」

愕然と、が眉を下げた。
神田が横目で彼を睨む。

「オイ、俺の顔で情けない面すんな」
「は? お前の顔がもともと情けないんじゃねぇの?」
「下ろすぞテメェ!」
「どうぞー、俺の体じゃねぇし」
「はいはいストップストップ。そこまでだ二人共」

ヒートアップしそうな口喧嘩を宥めると、彼らは互いにフンと顔を背けた。
無理もないが、二人とも大分ささくれ立っているようだ。
しかし、「今日」はまだ始まったばかりだというのに、今からこれでは先が思いやられる。

「取り敢えず、朝飯貰ってきてやるよ。蕎麦とアップルパイでいいな?」
「え? いいよ兄貴。自分で行くって」

慌てて手を振ったに、駄目だ、と返す。

「言わせて貰うけどな、二人とも」
「何?」
「あ?」
「穏やかな『神田』は気味が悪いし、殺気立つ『』は怖すぎて外に出せない」

見てみろアイツらを。
半べそで震え上がる背後を示し、リーバーははっきりと首を横に振った。

「お前ら、今日はここから出るなよ」









仏頂面で食事を終えた二人は、最初と同じポーズで溜め息をついている。
ここまで恐怖にさらされていると、此方にも抗体が出来るようだ。
新入りはともかく、エクソシストと馴染み深い若手や古株は、徐々に調子を取り戻していた。

「班長ー、書類ですー」
「おう、そこ置いといてくれ」

いつもの調子でペンを走らせるリーバーを、「神田」が見上げる。

「兄貴」
「ん? どうした?」
「何か手伝うよ」

微笑を浮かべて、彼が言った。
ティエドール作のアート・オブ・神田を思い出したのは、きっとリーバーだけではない。

「あ、ああ。じゃあこの本頼む」
「分かった。……ギリシャ語か、オッケー」

楽しそうに、が本を捲った。
神田が立ち上がる。

「おい、鍛練出来る場所ねぇか」
「そうだなぁ、あっちの隅の方なら。けど神田、それの体だぞ」
「チッ、暇なんだよ」

忌々しそうに吐き捨て、床に落ちていた書類さえ踏みつけて、神田は歩いていく。
がその背を見送ってから、申し訳なさそうに振り向いた。

「ごめん、なんか……俺の体が」
「あー、まぁ気にすんな」
「しない訳には……もう、ホント複雑」
「いや、神田の顔で謝られるオレも大分複雑」

きょとんと此方を見て、彼はにっこり笑う。

「それもそっか」
「(だからその笑顔が……!)」

それこそが複雑さの大本なのだけれど。
そう伝える前に、が顔色を変えて立ち上がった。
」を指さして、わなわな震えている。
「おまっ……ちょっと、ユウ!?」

神田が振り返った。
既にこめかみには青筋が浮かんでいる。

「うるせェな、何だよ」
「何だはこっちの台詞だ! お前っ、お前、何脱ごうとして……!?」
「あ?」

見れば、神田は既に来ていた筈のベストを脱ぎ、シャツの釦を半ばまで外していた。

「鍛練すんなら脱ぐだろ、普通」
「脱がねぇよ! ホント何なんだこの……っ非常識野郎!」
「あァ!? ぶった斬んぞテメェ! 大体、中に……」

班員の耳を劈く大声で怒鳴り合った神田が、ふと「」の体を見下ろす。
一拍。
空白を置いて、彼はを見上げた。

「そういえば何でサラシ巻いてねぇんだ!」
「お前だけだよ、そんなの巻いてるの! ってか着替えた時に気付け馬鹿!」

ああもう! とが頭を振る。

「取り敢えず、頼むから、シャツは着てくれ、今すぐに」

歯軋りしながらも、何とか冷静さを保とうとするのが彼らしい。
けれど、人の言うことに惑わされず、我が道を往くのが神田だ。

「チッ、動きにくいんだよ。減るもんじゃねぇだろ」
「上等だ、この髪ばっさり切ってやる」
「は!? ふざけんなオイ鋏下ろせ!」
「じゃあお前もさっさと服を着ろ!」









「(駄目だ、仕事にならない)」

再び始まった口論に、リーバーはついにペンを置いた。
遅れた分は、明日、そこで伸びている元凶に押し付けよう。
勿論、元に戻った二人が、存分に鬱憤を晴らしきった後で。

「班長ー」
「ん? ああ、お前らも休んでいいぞ。これじゃ何も出来ないだろ」
「えっ! ホントですか!」
「やったー!」
「四日ぶりに寝れる……」

班員が各々、書類を放り出して表情を弛めた。
ジョニーとタップが抱き合って泣いている。
リーバーは苦笑を落として、未だ怒鳴り合うエクソシスト二人を見遣った。

「(ま、いいか)」

自分達にも、あの二人にも。
たまには休憩が必要なんだ。
きっと。
皆、いい気分転換になるに違いない。
一人、満足な気持ちで頷き、机上の書類を押し退ける。

「うぅ……皆酷いよ……」

端の方から聞こえる泣き声は、聞こえなかったことにして。
ふあ、と欠伸を漏らし、リーバーは机に突っ伏した。








(主人公16〜17歳)

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