燔祭の羊
<ハンサイノヒツジ>
19.去りゆく背中
普通に暮らす人の夕食にしては遅すぎる時間。
けれど黒の教団の食堂では、この時間こそが混雑する時間だ。
ジェリーはカウンターで大量の注文を捌いていく。
「ははははは!!」
「ははは! そうだそうだ!」
団員の元気な声が聞けるのは良いことだ。
しかしそれにしても、今日は一段と騒がしい。
大きな任務を終えて帰って来た探索部隊の一団が、食堂のど真ん中を陣取っている。
どうやら、そこが原因らしい。
「みんなタフねぇ。……あらっ」
肩を竦めて入り口に目をやると、輝かしい黄金が窺えた。
三日前には帰還する予定だったその姿。
「!」
厨房が、喜びで俄かにざわついた。
林檎の皮が剥かれる、軽快な音が聞こえる。
「ただいま、ジェリー」
「お帰りなさ……んまっ、包帯だらけじゃない! どうしたのよ!」
「救援要請があってさ、ちょっと寄り道してきた」
笑った彼は案の定、アップルパイを注文する。
「婦長達が大袈裟なんだ。たいした怪我じゃないんだよ」
「あぁんもう、心配させないで。今日は科学班行かないで、ゆっくり休みなさい」
衝動のままに抱きしめ、離れてから頭を撫でる。
が目を軽く伏せ、珍しく素直に頷いた。
「ん……そうしようかな」
「ああ!? もう一度言ってみろ!」
「す、すみませんっ」
怒声。
食堂がひそひそとさざめき、漆黒が声の方を見遣る。
ジェリーもカウンターから身を乗り出した。
探索部隊の一人が立ち上がり、通信班の青年を怒鳴り付けている。
思い出した。
この探索部隊は、が救援に向かった先の部隊だったはずだ。
「五月蝿いだぁ? 俺達はなぁ、戦場から帰ってきたんだよ! お前らみたいに、本部でのうのうとしてた訳じゃねぇんだ!」
「ひっ」
青年が肩を竦める。
「死ぬ思いもしないようなお前らが、俺達に指図なんかするんじゃ」
「なら」
カウンターに手を掛けたままのが、静かに言った。
食堂中の視線がこちらに釘付けになる。
「通信班無しで、任務に行けばいい」
「……っ!」
「様……!?」
青年は思わぬ援護に、声を詰まらせる。
探索部隊は打って変わり、冷や汗を流して振り返った。
「誰が位置情報をくれる? 誰が室長の言葉を繋いでくれる? 救援の要請を本部に届けたのは、誰だ」
誰の方も見ずに、は淡々と言葉を乗せた。
「彼らが居なかったら、今、貴方たちはそこに居ないよ」
「それは……あ、貴方が来て下さったからでっ」
「だから、その連絡を繋いだのは誰だって言ってるんだけど」
沈黙が漂う。
探索部隊は、全員が真っ青になってガタガタ震えていた。
ジェリーも息を呑んでを窺う。
ふざけて言う場面はたまに見るが、こんなに真剣に、彼が冷ややかな言葉を紡ぐのは珍しい。
「自分の仕事に誇りを持つのは、いいことだと思う。けど、俺達の仕事に優劣は無いだろ?」
直接言葉を向けられている訳ではないのに、ジェリーは思わず身震いした。
背筋から這い上がる寒気。
絡めとられ、四肢の自由を奪われたような、感覚。
「!」
割り込んだ声に入り口を向けば、コムイが息を切らせて立っていた。
ぐっと奥歯を噛んだ、切ない表情。
が一度俯いた。
微笑んで顔を上げ、カウンターから手を離す。
「了解」
「すまない……君しか、君しかいなくて……っ」
「大丈夫。行けるよ」
微笑みが空気を溶かしていく。
ジェリーは止めていた息をようやく吐き出した。
離れていく黄金を追うように、しかし彼ではなく白服に声を掛けた。
「ちょっとコムたん! は今帰って来たばっかでしょ!」
「分かってるよ! だけど、他に生きて帰って来れるような人が居ないんだ!」
「コムイ落ち着いて。行くから」
ただ微笑って、彼はコムイの背を叩く。
こちらには、困ったような笑顔が向けられた。
「食べれなくてごめん、ジェリー」
「……気をつけて」
うん、と笑って食堂の真ん中を見た彼は、肩を竦めた。
「俺は、いがみ合って欲しくて貴方達を助けた訳じゃないよ。……お疲れ様、おやすみ」
去っていく彼の背に、誰も声を掛けられなかった。
(主人公17歳)
091101