燔祭の羊  
   <ハンサイノヒツジ>  









16.好敵手









『あ、神田。知らない?』

何故、だれもかれも自分に聞くのだろう。
甚だ不服に思いながら、神田は階段を下った。
思えば朝、食堂で蕎麦を頼んだときも。
食後に森へ行こうとしたときも。
雨に気付いて断念し、修練場に行こうとしたときも。
昼、再び食堂で蕎麦を頼んだときも……

『あ、神田。知らない?』

団員に怖がられ避けられているこの自分が、一日でこんなにも質問攻めに遭うとは。
静寂を求めた神田は、悩み抜いた末、図書室へ向かっている。
当然他の団員も使っているのだろうが、あそこを使うのは主に科学班だけ。
上の階にいるよりも、いくらか静かに過ごせる筈だ。

「……チッ……」

それにしても全く、面倒臭い。
他の奴に聞けと何度も思ったが、先程階段の途中で出会ったリナリーでさえ自分に聞くくらいなのだから、本当に、誰もその居場所を知らないのだろう。

「(何してやがんだあの馬鹿……)」

不機嫌を垂れ流しながら、神田は図書室の扉を開けた。
窓の無い図書室だが、明かりは煌々と点されていて、読書には申し分ない環境だ。
そして神田は、真っ直ぐ奥にある机に、目を留めた。



神田には決して読み切れそうもない分厚い書物が、幾つも机に積み重なっている。
机の端にはランプ。
その明かりを受け、本を開き、頬杖をついて読み耽っている人の姿があった。
金髪が放つ柔らかな光の粒子と、各所に落ちる陰影とが相俟って作り出す、幻想的な風景。
頁を繰る仕草は勿論、紙が触れ合う音までもが、まるで、いつか見た西洋の絵画のようで。



その余りの完璧さに、不覚にも、神田は茫然と立ち尽くしてしまった。
無意識に下ろした手の先で、扉が大きな音を立てて閉まる。
絵画が動く。
が顔を上げ、少し驚いたようにこちらを見る。

「……ユウ?」

呪縛を解かれ、神田は我に返った。
自分がここに来た理由を思い出す。
その理由を作った張本人を前にしては、余りの呆気なさに舌打ちも出てこなかった。
突然深く溜め息をつかれ、がますます不思議そうな顔をする。
神田は彼の占拠する机へ歩いた。

「お前……いつからここに居た?」
「いつって……さっき」
「は? それまで何処に居たんだよ」
「普通に部屋に居たけど?」

どうも会話が噛み合わない。
部屋に行っても居なかったのだと、神田に尋ねた人の半数はそう言っていなかっただろうか。

「ったく……寝ぼけてんじゃねーの? 部屋戻ったら?」

からかい調子のこの笑顔が憎らしい。
しかもそれでいて様になるのだから、更に気に食わない。

「こんな真っ昼間に寝られるか」

神田は吐き捨てる。
の驚く顔が目の端に映った。

「……昼?」

呟かれる言葉。
神田はその呟きに引っ掛かって、彼の顔を見つめた。

「……お前の言うさっきって、朝か?」

そう聞かれたは、神田よりも先に、何が起こったのか分かったのだろう。
きまり悪そうに笑った。

「えっ、と……夜」

神田は呆れ返って正面の椅子に座る。
自然と肩が落ちた。

「夜通し読んでたのかよ……」
「そう……っぽいな」

再びの溜め息。

「よく考えてみたら……そうだよな、これ三冊目だし」

なら最初に気付け、と呟く。
椅子の動く音がして、神田は目を上げた。

「あ、ちょっ、ユウそれ持ってきて!」
「……チッ」

本棚へ向かっているに言われ、仕方なく机上の本を手にとった。
一冊なのに、なかなか重い。

「ジェリーとか、お前を捜してる」

手渡しながら言うと、は意外そうにこちらを向いた。

「え、お前まさか捜しに来たの?」
「んな訳ねーだろ。上に居ると色んな奴に聞かれて煩いんだよ」
「あはは、悪い悪い」

振り向いたが笑った。

「今度からドアに張り紙でもしようかな」



そんなちょっとした笑顔でさえも絵になるのだから。



「……嫌味な奴」
「何か言ったー?」
「何でもねぇよ」

神田は扉を開けて、先に外へ出た。
も、神田自身も、その口許が微かに笑っていたことには気付かなかった。








(主人公16歳)

091008