燔祭の羊  
   <ハンサイノヒツジ>  









11.終焉を知らぬ者









なー、と猫の鳴く声が聞こえる。
アレンは扉の隙間から、そっと外を覗いた。
玄関の階段、その一番下の段に、金髪の彼は座っていた。
月明かりの下、白い猫を撫でている。

「……どうした? アレン」

彼は振り向かずに言った。
アレンは一瞬肩を揺らし、扉を開けて階段を下りた。

「何か眠れなくて……横、いいですか?」
「ああ」

の隣に腰を下ろし、彼の手で遊んでいる猫を見た。
よく見れば、は猫を追い払うような仕草で、少し乱暴に撫でている。
それに気付かないのか、猫は楽しそうにじゃれていた。
彼の横顔は硬く、いつもの伏し目が、一層濃い影を落とす。

「……師匠、大丈夫かな……」

アレンは呟いた。
猫を飼っていた、とびきり美しい女性が脳裏を過ぎった。
クロスの愛人の一人で、この家の主であり、そして黄昏刻、クロスに殺された――アクマ。
あんなに苦々しいクロスの表情を、アレンは初めて見た。
クロスはあれから、部屋に閉じこもったままだ。

「あの人も一応、人間だからな」

は表情を変えずに言った。
溜め息をつき、猫を追い払っては撫で、振り払ってはまた撫でた。

「男の人には情の欠片も無いのに、女性には三十倍は優しいですからね」
「知ってたか? アレン。零に三十を掛けても零にしかならないんだってよ」
「え! そうなんですか!?」

驚くアレンに、は猫を見たままで微笑う。
ふ、と瞳を閉じ、静かに言った。

「初めから零だったなら、失って哀しむことも、無いのにな」
「……そう、ですね……」

アレンは同じように視線を落とした。
俯いた先で、猫を撫でる手つきが変わるのを見る。
まるで壊れ物を扱うように。
先ほどのような乱暴さは一切消え、ただ、慈しむように。









背後でドアの鳴る音がした。
アレンは振り返る。
クロスが二人を、を見下ろしていた。



無表情に、彼の名を呼ぶ。
彼は立ち上がった。
いつもの晩酌だろうか。

「今行くから、中で待ってて下さい」
「さっさと来い」

クロスはそれだけ言って扉の中に消えた。
は地面に下り、しゃがんだ。
擦り寄ってくる猫を、振り払った。

「お前の飼い主は、もう居ないんだよ」

言葉が通じるはずも無く、人に馴れた白猫はもう一度こちらへやってこようとする。
は立ち上がり、ダン、と片足を鳴らした。
射るような目で、立ち止まった猫をきつく見つめる。
やがて、猫は振り返り、闇の中に消えていった。
アレンはようやく、彼が猫を放そうとしていたのだと悟った。
はしばらく動かずに、猫の行き先を見つめていた。

「兄さん……?」
「可哀相って言葉は……終わりを知らない者に使うべきなんだろうな」

そう呟いて、彼は階段に足を掛ける。

「そう、ですか? 終わりを知るのは悲しいことじゃ……」

アレンの横を通りすぎ、は階段を上った。

「もう二度と帰らないものを、そうと知らないで永遠に待ち続ける者を見ても、そう言えるか?」

言葉の意味を考えて、アレンは黙り込む。
彼は扉の前で立ち止まり、息をついて振り返った。
早く寝ろよ、と肩越しに微笑んで扉の中へ入って行く。
その背を見送り、そしてアレンは猫の消えた先を見た。
闇の中に浮かぶ、小さな二つの光。
猫はまだ、そこに居るのだ。

「二度と帰らないものを待ち続ける……」

アレンは立ち上がり、がやったように、一歩踏み出して片足を鳴らした。
光は反転して、今度こそ闇夜に消えていった。



その後、猫がどうなったのかは、誰も知らない。








(主人公15歳)

090911