燔祭の羊
<ハンサイノヒツジ>
相互記念「異文化☆アゲイン」
「あらー! じゃなーい! 神田もラビも、何にするー?」
「蕎麦」
「んー、じゃあ俺はカルボナーラにするさー! は?」
「ん? んー……俺、蕎麦」
おや、とラビは首を傾げた。
このやり取りは以前にもしたことが無かっただろうか。
さしもの神田でさえ、唖然とした顔で金色の彼を凝視している。
そう、誰の記憶にも刻み込まれた筈だ。
が初めて「蕎麦」という食べ物に挑戦し、大惨事が起きたあの日の出来事は。
「何? 変な顔して、どうしたの」
気付けばジェリーまで返事も出来ずに固まっていたようで、当人だけがきょとんと首を傾げている。
あわあわとおたまを動かして、ジェリーが尋ねた。
「えーっと……? ほ、ほんとに蕎麦でいいのね? パスタと間違えてない?」
「間違えてないよ。俺もユウと同じ、蕎麦」
「本当に!?」
素っ頓狂な彼女の叫び声に、ざわざわと遠巻きに人が集まり始めた。
神田が引き攣った顔で言う。
「分かってんのか、飲み物じゃねぇんだぞ」
「知ってるよ。……え、ユウ、蕎麦のことも分かんなくなったの?」
剣士の米神に青筋が立ったのを見て、ラビは苦笑した。
まあまあと取りなし、物理的に割って入る。
「、忘れたんか? こないだ蕎麦食ってひどい目に遭ったろ」
「忘れるわけないだろ。日本食の、あのしょっぱさは……」
何か違うそうじゃない、と突っ込みたい自分を必死に押さえ込み、ラビは朗らかに続けた。
「だから、さ。蕎麦だぜ? 日本食だぜ? きっと碌なことねェよ。やめとこ?」
探索部隊やら、警備班員やらの視線が、に向けられている。
神田も取り敢えずは苛立ちを抑えて事の次第を注視することにしたらしい。
ラビと同じように、唾を飲んで彼の返答を待っている。
箸を上手く扱えないことを神田に指摘され、自棄になったがめんつゆごと蕎麦を飲んだあの大騒動。
二度目はごめんだと、今二人の気持ちは一つだった。
それなのに、普段は神がかった察しの良さを見せる金色が、こんなときに限って輝かしい笑顔で笑うのだ。
「でも俺、食べてみたい」
嗚呼、神よ。
ラビと神田、ジェリー、そして見守る多くの団員は一様に天を仰ぐ。
「仕方ないわね……じゃあ、お箸はもう諦めましょ、流石に」
「えっ、でも」
「でもじゃないの! フォークしかつけてあげないからね!」
「えええ、そんな……」
ジェリーはとてもいい提案をしてくれた。
これで、先日の惨事を繰り返すことは無いだろう。
ラビはずり落ちそうだったバンダナを潔く下ろし、項垂れたの肩を叩く。
「ジェリーちゃん、やっぱオレも蕎麦にするさ。フォークで」
「……ラビは箸使えるっけ?」
やろうと思えば恐らく使える。
が、それを素直に言葉に出すことは勿論しない。
彼の機嫌を損ねた挙げ句の大惨事となれば、もれなくこの場の全員から袋叩きにされるだろう。
ラビはにっこり笑って首を振った。
神田の白い目が突き刺さるが、後のことを考えればそれに耐えることくらい容易い。
「そっか。……ならいいや」
何故こう、変なところで負けず嫌いなのだろうか。
呆れはするものの、当面の危機を回避した食堂には安堵の溜め息が溢れたのだった。
大きな鍋が、三人分の蕎麦をまとめて茹でている。
料理長は大きなザルで、一息に振るってしまうつもりなのだろう。
見た目に違わぬ筋力である。
筋力だけでなく確かな技術をも持ち合わせる彼女により、天麩羅が揚げられ、高速でネギが刻まれた。
出来上がったのは、ざる蕎麦三人前。
「はいっ! お待ちどーん! 、気を付けて食べてね」
「ありがとう、ジェリー」
笑顔の二人による会話は、背景に花でも舞っていそうである。
現実には、が背を向けた瞬間に、ジェリーがラビと神田へウインクをした。
承知している。
ここから先、どこまで穏やかにこの昼食を終えられるかは、二人の手に掛かっているのだ。
三人揃って手を合わせ、早速神田が薬味をめんつゆへ投入した。
がそれを見ながら、自分のめんつゆと薬味を同じように処理する。
ラビはわさびを除いて、ネギだけを入れた。
見よう見まねで、がつゆをかき回している。
「……お前、これ何してるか分かってんのか」
「ううん」
見かねた神田が舌打ちをしながら、ラビの薬味が乗っていた皿を指差した。
「わさび、入れたんだろ。ちゃんと溶かさねぇと酷い目にあうぞ」
「あの緑のやつ? ……もうどっか行っちゃったよ」
ティエドールを前にした訳でもないのにげんなりした顔の神田。
貴重な光景だ。
ラビはしっかりと目に焼き付ける。
「勝手にしろ……」
疲れた神田の呟きを余所に、の方は楽しそうにザルの端で蕎麦をフォークへ巻き付けていた。
ラビは思わず目を瞠った。
「待て、ちょっと待って、」
「うん?」
「そりゃあパスタの食い方さ」
「……うん?」
顔を上げたが、そのまま首を傾げる。
手元が大分シュールだ。
「いや、だからな。フォークで麺を掬うだろ? で、そのままちょっとつゆに付ければいいんさ」
「……だらーって? 長いまま?」
「そうそう。ほら、ユウを見てみろよ」
が神田をじっと見つめる。
気まずそうに、或いは鬱陶しそうに視線を逸らしながら、神田が蕎麦を啜った。
ズズッという特有の音が三人の間に流れる静寂の中で、鮮明に浮かび上がる。
が顔を顰めた。
「啜って食べるなんて行儀悪いな」
「ああ? 麺はこうやって食うんだよ」
「ラーメンとおんなじ雰囲気さ」
「ああ……ああ、そういうことか」
アジア支部にはよく立ち寄るからか、その点はすぐに合点がいったようで、一人頷く金色。
フォークを逆回転させて蕎麦を解いた彼はしかし、真面目な顔で呟いた。
「俺、……ラーメン啜れないんだよな」
「ダセェな」
「はあ?」
普段はあまり聞かない低い声で唸り、険しい顔でキッと神田を睨み付ける。
神田もいい加減に苛立ちが限界に来ていたのだろう、短気な彼にしてはよく耐えたものだ。
けれどラビの内心は阿鼻叫喚である。
「(何で! 今! そう余計な一言を!)」
探索部隊や警備班員、手の空いた食堂のスタッフ達が遠巻きに必死に「落ち着いて」と声を掛けている。
皆がなんとしても声を届けたい本人が、ムッとした顔で椅子に座り直した。
「あー……、さん?」
「いいよ、やってやる。啜ればいいんだろ、啜れば! ところで啜ることに意味はあるんですか? 神田サン」
「あん? 知らねぇよ、んなこと」
「はっ、知らないで啜ってんですか、そうですか」
「テメェ喧嘩売ってんのか」
「あれ、伝わってなかった?」
「やめやめやめ! はいっ、ストーップ!」
ラビは自分の蕎麦を脇へ追いやった。
食べている場合ではない。
苛立つ神田をさらりとあしらえるが凄いと人は言うが、果たしてそうだろうか。
どちらかといえば、をこれだけ煽ることのできる神田の方が凄いとラビは思う。
しかし今現在、非常に迷惑な話だ。
「、早く食わねェと伸びちまうぜ」
「あ、そっか。ヤバイヤバイ」
「因みに、一説では香りを楽しむために啜るらしいさ」
「ふうん。ラビは流石、物知りだなぁ」
声だけなら、一息でトーンダウンしたかのように聞こえるのだが。
生憎、彼は嘲笑うように神田を横目で見ているのだ。
気付いてしまった神田が米神を引き攣らせる。
「チッ!」
「えっと、掬って、つけて、啜る。あってる?」
こちらは完全に無視する構えだ。
一瞬呆然とした神田が諦めたように自分の蕎麦へ向き合った。
完璧な食べ方を見せつけることにしたらしい。
一方、ラビは呆れることを諦め、に頷いた。
「あってるさ。けどやっぱ、別に啜らなくても……」
「いや、啜ってみせる」
「(なんで)」
蕎麦を睨み付け、時々軽快に蕎麦を啜る神田をも睨み付ける金色。
よし、と呟いて、彼はフォークで蕎麦をそっと持ち上げた。
前回よりも使い慣れた道具を手にしているためか、動作がスムーズである。
神田を盗み見ながら蕎麦の先をちょこんとつゆにつけ、麺を何とか持ち上げて、口に咥えた。
「頑張れ!」
「頑張れ!」
周囲の声援を受け、が呼吸を整える。
そして、吐ききった息を勢いよく吸い――
「っ、ん、ぶ、げほっ」
――込みきれなかった。
フォークを握り締めて噎せる彼の背をとんとんと叩く。
なんとか吐き出すことだけは避けた状態で、かえって辛そうだ。
しかし自業自得なので、フォローのしようもない。
「ごほっ、げほっ、……っはあ、酷い目にあった……」
「お前が馬鹿すぎるだけさあ……」
「何か言った?」
「いや、なんも」
ふっ、と吐息が聞こえる。
が正確にその音の方向を振り返った。
神田だ。
「(やめろ、ユウ! あーダメダメ、やめろやめろやめろ)」
念じる声は到底届かず、彼は嘲笑うように此方を見ている。
「下手クソ」
「(ああー!!)」
ラビは頭を抱えた。
傍らでは、バンッと叩き付けられるフォーク。
がつかつかと歩いて、神田の横に仁王立ちをしている。
「何だよ」
「もう一度言ってみろよ蕎麦王子」
「そっ……ああ!?」
売り言葉に買い言葉だ。
神田が立ち上がって、身長差を見せつけるように彼を見下ろした。
「下手クソっつってんだよ、聞こえなかったかリンゴ馬鹿」
もうダメさ、どうにもなんねェ。
悟りきって現実逃避をしようとしたラビの視界に、闖入者があった。
あ、と声を上げる間もない。
その人は二人に近付き、両手に一枚ずつ持った銀の盆を勢いよく振り上げ、彼らの頭頂に叩き付けた。
「ッッ!?」
「なん……ッ!?」
振り返って抗議しようとした二人が、言葉を飲み込んで顔を引き攣らせる。
「二人とも」
銀の盆を携えたジェリーが、無表情に、しかし青筋を立てて二人を見下ろしていた。
「静かに食べなさい」
はい……。
も、あの神田でさえ、 俯いて素直に返事をしている。
その様子があまりに面白くて、ラビは小さく吹き出した。
途端に二人から向けられる視線。
「オイ、……パスタの食べ方でもなんでも良いからさっさと食え」
「おう。十分後に修練場な」
二人は頷き合って、各々の席に戻った。
周囲のギャラリーは明らかにほっとしたように胸を撫で下ろしている。
がラビに向かってやけに清々しく笑いかけた。
「(あれ?)」
「ラビ、食べ終わったら手合わせしようぜ」
「(あ。……オレ、死んだな)」
何故こうなった。
ラビは項垂れながら、遠ざけていたざる蕎麦の盆を引き寄せる。
くるくると蕎麦をフォークに巻き付けて口に入れたが、一言呟いた。
「ふうん……案外美味い」
「そりゃあよかったさ……」
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「同い年トリオの日常」
「金魚鉢の遊泳」吉野さんとの相互記念でした。
これからもよろしくお願いします!