燔祭の羊  
   <ハンサイノヒツジ>  









9th.Anniversary「いつか終わりを迎える」









「たまには退くことも覚えろさ、まったく」

ラビはうんうん唸るを背中に乗せて、溜め息をつく。
彼が暑さに弱いということは、全館の空調が壊れた去年のうちに知っていた。
黒の教団は、年中室内にいるようなインテリ達のために比較的快適な室内環境が整えられている。
けれどそれも、一年三百六十五日フル稼働させていれば不具合もやむを得ない。

「(人間だって、フル稼働してたらどこかしらぶっ壊れるもんさ)」

それこそ科学班がいい例だろう。
否、室長かもしれない、うん。
ラビは話し相手もいないので、一人で頷きつつ病室の扉を開けた。

、着いたぞー」
「んぅぅ……やだ……」
「やだじゃねェさ、ほら」

ベッドに腰掛け、背中の金色をよいせと横たえる。
奥からコムイが顔を覗かせた。

「おかえり。ありがとう、ラビ」
「お安い御用さー。ああもう動くなっての!」

コムイの隣をすり抜けてやって来たのは婦長だ。
般若の形相でツカツカと歩み寄り、起き上がりかけたの額を指でちょんと押さえた。
薄目を開けたが、流石に少し硬直して、それからぶすっと唇を尖らせる。

「……だって」
「私はまだ何も言ってないわよ、。何を言われるのか自覚がありそうね?」
「……うう……」

大丈夫だもん……という声があまりに尻窄みなので、ラビはベッドサイドで思わず吹き出した。
――宿舎と医療班エリア以外の空調が壊れたと聞いたのは、今朝のことだ。
正確には、地上五階より下の階だという。
ほぼ同時刻に聞いたのは、一昨日の帰還後に医務室送りになったが病室から失踪したという報せ。
任地で聖典の副作用を発症した彼を医務室へ押し込んだのは、他でもないラビだ。
連絡を受けてすぐに捜索したところ、空調の切れた大聖堂で蹲っているのを発見した。

「……ちょっと休んでただけだってば……」
「いや? あれはくたばりかけてたんさ」
「う、る、さ、い」

ラビを睨むときだけ迅速且つ力強い。
思わず声をあげて笑ってしまった。
見上げる顔が大変に不服そうである。
眉を吊り上げた婦長が口を開きかけた。
こうやって、まーた不毛な言い合いが始まるんさ。
ラビの期待を、奥の部屋から出てきたドクターが遮る。

「おかえり、

手には大きめのマグカップ。
空いている方の手で額に触れられ、が鬱陶しそうにドクターを見上げた。
彼がこういう顔をする相手は非常に限られていて、それは圧倒的に、同じ立場のエクソシストであることが多い。
だから少し珍しいものを見た気持ちになって、ラビは僅かに目を瞠った。

「ふむ……起き上がれる?」
「……皆が勝手に、俺を病人にしてるだけ」

婦長がまた般若顔になるのを、コムイが慌てて宥めている。
のろのろとが起き上がった。
ドクターが微笑む。

「そう、じゃあ一人で水も飲めるかな」
「飲めるよ……喉、かわいた」
「だろうね。はい」

片手で体を支えながら、が億劫そうにカップを受け取った。
まだ飲みたければ言ってね、と言い残してドクターは奥の部屋に戻っていく。

「あっ! もう、ドクター……」

婦長が大きく溜め息をついて項垂れた。
残されたラビとコムイは、ぼう、と虚空を見つめて水を飲むを眺める。
首筋に汗が伝うのを見て、ラビは戸棚からタオルを拝借した。
ついでに自分が使う分も取り出してしまう。

「ほい。使うだろ?」
「ん、うん……」

空になったカップを婦長が自然に取り上げた。
つられるようにが顔をあげる。
婦長が肩を落として微笑んだ。

「もう一杯入れてくるわね」

うん……。
生返事をしながら、彼の視線がまた扉へと泳いだので、ラビは保険のために普段より熱い腕を掴む。

「だーめーさ」

まったく、油断も隙もあったものじゃない。
コムイが苦笑いしながら傍の椅子に腰掛けた。

「空調直してもらうまでは、涼しいところにいようよ、。ね?」
「……だからコムイもここにいるの?」
「あーなるほど、道理でリーバーが連れ戻しに来ないわけさ。科学班、こんなあっつい中でも忙しいんか」
「兄貴、大丈夫かな……どっかで倒れてないかな……」
「二人ともボクが仕事サボってここにいると思ってたの!?」

コムイの叫びに、二人は素直に「うん」と頷いた。

「ひどい……ひどすぎる、しくしく……」
「どうなさったんです? 室長。ご自分で『しくしく』なんて」
「えー、婦長、そこ突っ込んじまうんさ……?」

カップを持って戻ってきた婦長が、更にコムイの心を抉る。
が自分から顔をあげて、手を伸ばした。
暑さにやられて、挙動がどことなく幼い気がする。
或いは、気が抜けているのか。
婦長が手渡したカップを受け取り、彼はぼそりと呟いた。

「ありがと」
「いいのよ、ゆっくり飲みなさい。はい、二人もどうぞ」
「サンキュー! おお、氷……うまそうさ……」
「ありがとう、婦長」

ラビとコムイにもアイスティーが振る舞われた。
大聖堂から此処までを往復したラビは、ありがたく飲み干す。
思えば自分も喉が乾いていた。
往復。
そう、ラビにしてみれば、捜索は一瞬だったのだ。
彼の行き先には、十分心当たりがあったのだから。
コムイが黄金色をそっと撫でる。

、……彼らを弔ってくれて、ありがとうね」

――ラビとが帰還する前に、かなりの数の探索部隊が亡くなったと聞いた。
ならば、逃げた金色の捜索なんて一瞬だ。
今のが無理を押して行く場所は、ラビにはそれくらいしか思い当たらない。
婦長が顔を曇らせる。
が水を飲む手を止め、じ、とカップの水面を見つめた。
空気が、凪ぐ。
小さく頷いて水を飲み干して。
それから、彼は顔を上げて微笑んだ。

「……うん」









180808






九周年、祈様からのリクエストでした。ありがとうございました。
これからもよろしくお願いします!