燔祭の羊
<ハンサイノヒツジ>
7th.Anniversary-2「天恵」
「はっはっはー! さあ、アレンの番だよ!」
「えええ、ちょっと待ってよジョニー!」
アレンががしがしと髪を掻き回して、テーブルに突っ伏す。
ティモシーはクロウリーと共に、盤面を覗き込んだ。
チェスのルールはまだ詳しく分からないが、クロウリーに尋ねるまでもなく分かることが、一つだけある。
「アレンのあんちゃん……よっっわ」
「違う……ジョニーが強すぎるんだよ……」
くぐもった声が反論をするが、イノセンスを発動していない優しいクロウリーでさえ苦笑いをしている。
「それにしても、アレン」
「何ですか……?」
「駒がもう少ないから、無理は禁物である。よく考えて進めなければ……」
テーブルの向こうで、椅子にあぐらをかいたジョニーがへへんと胸を反らした。
隣ではジジも嫌らしい笑みを浮かべている。
「いいんだよー、降参しても!」
「そうだぞー。大丈夫、室長の薬の実験台になるだけだ」
「絶っ対! お断りです! 何がなんでも、絶対にそれだけは!」
この対戦が始まったのは、ちょうど昼食を終えて、エミリアの地獄の授業から解放された頃だ。
廊下で出会ったクロウリーと共に談話室に立ち寄った時には既に駒は盤上に並べられていた。
午後の眠気を吹き飛ばしてくれそうな予感がしたので、二人はそのままアレンの側で観戦している。
ジョニーのチェスを見るのは早くも四回目だが、ティモシーは彼が負けたところを一度も見ていない。
耳元で憐れむような溜め息が聞こえた。
振り返ると、ツキカミが両の掌を上に向けて、首を振っている。
「(だよなぁ、オレもそう思う)」
聞けば、アレンとジョニーは賭けをしているらしい。
コムイ室長の新薬の実験台になるか、以前アジア支部の女の子が持ってきたというみたらし団子を奢るか。
アレンのみたらし団子への執着は凄まじい、それは、ティモシーもよく知っている。
けれどコムイ室長の新薬が、何故そんなに嫌なのかはよく分からない。
先程クロウリーにこっそりと尋ねたが、彼は真っ青になって言葉を濁した。
あまりに脅えているので、聞く方が気の毒じゃないかとツキカミが止めたほどだ。
「ほらほら、早く駒を動かして」
「うう、ジョニーがいじめる……」
「何言ってんのさ、賭けに同意したのはアレンだろー?」
「チェスだなんて聞いてないですよ! 僕が得意なのはカードを使うやつなんですから!」
喚くアレンの耳元に回り込んだジジが、ぼそりと呟く。
「じゃあ実験台になるか?」
「いやだー!」
うわああと悲鳴をあげながらアレンがルークと呼ばれる駒を取り上げ、二つ進めて黒のポーンを取った。
クロウリーがささやかな溜め息をついた理由はすぐに知れる。
アレンの白のルークは、あっさりと黒のナイトに取られた。
アレンが言葉もなく震えている。
女王と城は既になく、騎士も上手く活かしきれぬまま、それでも彼は降参しようとしない。
不意に、談話室の扉が開いた。
風が吹き抜けるような感覚に、クロウリーがハッと扉を振り返る。
「そろそろ休憩終わるよ」
顔を覗かせたのは、キャッシュだ。
ジョニーの表情が輝く。
「すっ、すぐ終わるから!」
『このあんちゃん、さりげなーく手厳しいな……』
呆れ声のツキカミには全面的に同意したいところだ。
キャッシュがアレンの横を通り過ぎ、先程までジジがいた席に座った。
「じゃあちょっと見てこうかな」
「なら、俺も」
続いて聞こえた声に、アレンが勢いよく振り返る。
キャッシュの後に続いて入ってきたのは、アレンの兄弟子であるだ。
ティモシーには兄弟子という存在がいない。
けれど彼がそうだったらいいのに、と何度かアレンを羨んだことならある。
「よっ、アレン」
「兄さあああん! 助けてください、僕殺されそうです! コムイさんに!」
「何だよ、物騒だな」
アレンの頭をぐりぐり撫でながら、はティモシーにも微笑みかけてくれた。
「アレンの応援してくれてたのか?」
「うんっ。だってアレンのあんちゃん、チョー弱ぇんだもん」
「ははは」
クロウリーが横から状況を説明している。
二人が賭け事をしていること。
それぞれの報酬。
室長の薬のことを伝えたら、の顔色も心配になるくらい青ざめた。
一方アレンは、とコンビを組みたいとジョニーに頼み込んでいる。
「いいじゃないですかジョニー! 君の方が強いのは分かりきったことですし!」
「ダメだよ、に助けてもらうとか反則だからね!」
「まあまあ。ジョニー、一手でいいよ。一手だけ俺が指していいかな」
「えええ……じゃあ、一回だけだよ?」
正直、この盤面から一手で何かが変化するようには思えない。
だからティモシーは、その提案は無駄だとに言おうとした。
その時だ、クロウリーが、耳打ちするように囁いた。
「そういえば……」
ティモシーとツキカミは、彼に耳を寄せる。
「は勝負事にめっぽう強いのだと、ラビに聞いたである」
「そうなの?」
『せやかて、こっからはもうどうもでけへんやろ』
「ああ。確か、……彼が加わるとジャンケンも公平にならないのだと」
「え?」
二人とツキカミは、視線をテーブルに戻した。
アレンから一手預かったが、無造作に白のビショップを左前に進ませる。
「ははーん、、ちゃんとルール分かってる?」
ジョニーが黒のポーンで、そのビショップを取った。
が笑う。
「分かってるよ。ほらアレン、俺が味方だ。後は頑張れ」
「はーい……そんなこと言っても……あっ!」
小さく叫んだアレンが素早くポーンを前に出し、黒のポーンを取り去る。
それからは早かった。
ジョニーが使おうとしていた黒の僧正の行く手は塞がれている。
彼は苦い顔で城を動かしたが、白馬の騎士がそれを阻む。
僧正がようやく白のナイトを取り去ったとき、アレンが歩兵を進ませた。
数分前までの弱気を忘れたように、勝ち誇った笑みを浮かべている。
「チェーック!」
「え!? 嘘だぁ、何で!?」
「ちょっと、すぐ終わるんじゃなかったの? ジョニー」
横からキャッシュに突付かれながら、今度はジョニーが頭を抱えている。
ティモシーはを見上げた。
「すげぇ! あんちゃん、あの一瞬でここまでオミトーシだったの?」
「まさか。あんなの適当に動かしただけだよ」
「チェスって、適当で出来るもんだっけ……」
もしそんな簡単なものなら、アレンがあれほどの劣勢に立たされる事もなかっただろうに。
黄金色がさらりと揺れて、彼の笑顔を彩った。
「ただまあ、何かを賭けた『勝負』なら、悪い目が出たことはないからな」
兄さん、勝ちました!
座ったまま振り返ったアレンが、の腰に抱き付いている。
機嫌よく微笑む黄金。
肩を落とす科学班組。
クロウリーがギリギリ微笑みと言える引き攣った笑顔を浮かべた。
「す、凄いである」
ティモシーとツキカミは口を半開きにしたまま、ぼんやりと頷いた。
(主人公19歳)
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七周年記念、夜人様からのリクエストでした。ありがとうございました。
これからもよろしくお願いします!