燔祭の羊
<ハンサイノヒツジ>
70,000hit「本当は、もう少し」
「修行時代の話?」
いつも通り騒々しい科学班の中心で、アレンはと顔を見合わせる。
「そうそう!」
ジョニーとタップが、身を乗り出してメモを構えた。
近くで、リーバーも此方を見ている。
取り敢えず、二人は手に持っていた本や書類を手近なの机に置くことにした。
この机だけが、まだ物を置くだけのスペースを残している。
「俺達が一緒に旅してたのは一年くらい、だよな?」
「ええ……僕の修行に、兄さんが合流してくれて……」
師匠クロス・マリアンが遊び歩いている間の守役のような存在。
思えばは、そんな役割でアレンの修行に付き合ってくれた筈だ。
修行の最初の一年はまさに、兄弟子に守られる優しい日々であった。
その節はどうもとアレンが頭を下げると、が呆れたように笑った。
「何だよ、今更」
「いやぁだって、本当に何から何までお世話になっちゃったし……」
「なになに? どんなことがあったって? 言っちゃえ、ほらほら」
「やけに絡むな、タップ……どうしたんだよ、疲れてんの?」
やたらと迫るタップを、が不思議そうに見ている。
その背後にちらつくのは、ジョニーとリーバーの意味深なウィンクとゴーサイン。
アレンは合点がいって一つ頷いた。
皆きっと、教団の外での兄弟子の様子を知りたいのだろう。
日頃の感謝もこめて、科学班インテリ達の気晴らしと好奇心のために一肌脱ごうとアレンは決意する。
「例えばですよ、僕が道に迷ったときのことです。兄さんがわざわざ探しに来てくれたりとか」
「そうか、アレンは方向音痴なのか……」
通りかかったロブが誰に言うでもなく、憐れむような微笑みと共にそう呟いた。
反論のしようもないので、アレンは聞かなかったふりをする。
「後は、借金取りに内臓を売られそうになった時に助けてくれたり、屋上から落ちかけたのを助けてくれたり」
「聞けば聞くほど災難にしか遭ってないね……」
呻くジョニーに、兄弟子は眉を下げて微笑む。
「大体師匠は傍にいなかったしね」
「お前からは、あんまりそういう話は聞かないな? 」
完全に手を止めている科学班班長の言葉は、鋭い一言だった。
確かに、アレンは兄弟子から修行時代の苦労話をあまり聞いたことがない。
もしや、師はかつて真っ当な人間だったのだろうか。
「ど、どうなんですか、兄さん」
「俺だってそれなりに色々あったよ。借金取りはいつものことだし、ドア開けたら濡れ場に遭遇したとか」
「の口から『濡れ場』って言葉だけは聞きたくなかったなぁ……」
タップが涙を拭っている。
うんうんと頷く野次馬達を目にして、がきょとんと漆黒を瞬かせた。
「え? じゃあ……」
「言い直すな! 言い直さなくていいんだぞ!」
Sの子音が聞こえた瞬間に、リーバーが大慌てで叫んだ。
アレンとジョニーは顔を見合わせて苦笑し、発言者だけが不満そうに首を傾げる。
彼だってあの人に師事していたのだ。
間違いなく、世間一般の青年よりも爛れた世界に慣れている。
「アレンみたいに、生きるのもやっと、みたいなことはなかったの?」
ジョニーの疑問にが肩を竦めた。
「逆に、俺の時代のツケがアレンに回ったっていうか……」
うん? とアレンは目を瞠る。
今、聞き捨てならない言葉を聞いたような。
「え、初耳ですよそれ」
が慌てたように両手を挙げる。
「悪いと思ってるよ、俺は」
ごめんごめん、と言ってくれるだけ良いのだ。
きっと師は悪いとも感じていない。
兄弟子は腕を組んで息をつく。
「そもそも、師匠が思い付きで俺を合流させたんだよな……いきなり人が来て驚いたろ?」
アレンは首を捻った。
「いいえ? 僕は、少ししたら兄弟子が合流するって聞いてましたよ」
「えっ?」
科学班員達と当の兄弟子が、目を丸くしている。
とリーバー、タップとジョニーがそれぞれ顔を見合わせて、また真ん丸の目をしたままアレンを見た。
「俺はいきなり呼ばれたんだよ。弟弟子が出来たぞ、って」
「そうだったんですか!?」
今度こそ初耳だと、アレンは叫ぶ。
リーバーが深く頷いて腕を組んだ。
「あの時は大変だったんだぞ。却下する大元帥達に取り引きを持ち掛けたりして、なぁ?」
「うんうん。元帥の居場所をリークする代わりに行かせてくれって」
「教団中その噂で持ちきりだったんだ、あのだから歯向かえたって」
あちらこちらから同意の声が聞こえる中、が一人気楽に苦笑する。
「それは流石に言い過ぎだと思ってたけどなぁ。あくまで取引だったんだから」
けれど、彼と同じ調子で「大袈裟すぎる」だなんて、アレンには言えなかった。
よく考えてみれば「教団の神」が一時的にでも此処を離れるというのだから、それも当然の反応かもしれない。
も懐かしいとばかりに頷いている。
「マザーとバーバだって、俺が同行するって知らなかったんだ、お前も知らないんだと思ってたよ」
「あの二人にも言ってなかったんですか? 師匠は……ていうか兄さんもあそこ知ってるんですね」
「そりゃあ、師匠の得意先だしな。ったく、あの人はもう少し周りに説明をすべきだ」
師のフォローをするのは癪だけれど、アレンはつい眉を下げて笑った。
「でも本当に、僕は兄さんのこと、結構前から聞いてたんですよ」
――アレン、修行を始めたらまず、お前の兄弟子を呼ぶぞ。
ある意味、オレよりもお前のイノセンスに詳しいかもしれん、色々面倒見てもらえ。
大丈夫、悪いようにはしないさ。
まあとにかく人当たりの良い奴だ、まさか怖いなんてこともねぇだろう。
それに随分と場慣れしてる。
何のことってそりゃあ、アレだ、しゃっきん、いや違う、戦闘に決まってんだろ、バカ弟子。
若いが、オレに言わせればまだまだクソガキだが、……そうだな、よく出来た奴だ。
見習ってちゃんとやれよ。
……だが、アイツをそう育てたのはオレだからな、オレのこともよく見習うように。
いいな?――
愉快そうな声色、素面なのにだらしなく弛んだ表情。
自分を敬わせながら、ひたすら自慢気に兄弟子を語るクロスの言葉。
今でも鮮明に思い出せるそれを音に乗せると、ほおお、と科学班員達から感嘆の声が上がる。
「まぁ何て言うか、クロス元帥らしい口振りではあるよな」
「オレらはあんまり知らないけど、でも、言いそう」
「うんうん。素直に褒めない感じが、『らしい』よね」
聴衆となった彼らが思いの外楽しそうに聞いているので、アレンは何だか嬉しくなってきた。
「まだ他にもありますよ。えーっと、『美しいものは見ていて飽きるというが、……』んむぐぐっ」
言葉を遮ったのは、物理的な力だった。
の手がアレンの口を塞いでいる。
離してください、兄さん! ふごふごと声をあげると、彼は離した手でアレンの額を軽く叩いた。
「余計なこと言わなくていい」
「ぷはぁっ! だって、本当に言ってたんですよ。特に出発してから合流するまでなんか、毎日」
「うるさいっ、いいから黙れって」
あれっ、とアレンは目を瞬かせた。
の耳が、朱色に染まっている。
彼が顔を背けた先で、リーバーが楽しそうに笑った。
「何だ。顔、凄いぞ」
「兄貴も! ちょっと黙ってよ!」
彼は自棄になったように顔を覆ったけれど、その甲斐はあまりなくて。
「珍しいもの見ちゃったね」
アレンは、耳も首も真っ赤に染め上げた兄弟子を見ながら、ジョニーの言葉に頷いたのだった。
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「主人公が照れる話」
70,000hit、奥山まや様からのリクエストでした。ありがとうございました。
これからもよろしくお願いします!