燔祭の羊
<ハンサイノヒツジ>
50,000hit「結果は見えていた」
任務から戻ると、いつから帰還していたのか、ティエドールと鉢合わせた。
師はどうやら神田を探していたらしい。
やたら機嫌の良いティエドールに引き摺られ、神田は談話室にやって来た。
「いやね、新しいエクソシストが来たんだよ。ユーくんと歳も変わらないんだって」
「……そんなことより、ユーくんって呼ぶのやめてください」
「まあまあ、仲良くなれるかもしれないだろう? 紹介してあげるから会ってみようよ、ね?」
「どうでもいいです」
いくらつっけんどんに返しても、この師匠には通用しない。
溜め息をつきながら、談話室に入った瞬間のことだった。
強烈な存在感。
ぞわり、と。
奇妙な感覚が走り、全身に鳥肌が立った。
部屋が特別に暖かかった訳ではない。
それなのに、身体中を優しく空気に包まれた心地がした。
ソファに座って笑っている少年に、目が釘付けになる。
呼吸が止まりそうなほど鮮烈に焼き付いたのは、眩い黄金色。
そして、此方に向けられた深い深い漆黒だった。
「ユーくん。彼が、その新人だよ」
少年に見入っていた神田は、師の声を聞いて我に返る。
気付けば、少年の隣には偉そうにふんぞり返った赤髪の男が座っていた。
誰だこいつ、という不審者を見る視線も意に介さず、男は呑気に煙草を吹かしている。
少年はその煙を厭うことなく平然と立ち上がった。
その様子が、少しだけ意外に思えた。
「こんにちは、ティエドール元帥」
「こんにちは、。この子が前に話した、わたしの弟子だよ」
と呼ばれた少年が、惜し気もなくにこりと笑った。
「はじめまして。俺、・っていうんだ。よろしく」
差し出された手を無視しようとしたら、ティエドールが強引に握手の形に持ち込んでしまった。
密やかに舌打ちを溢し、そっぽを向く。
「……神田だ」
「神田……それって、ファミリーネーム? 名前は?」
がにこにこと笑って聞いた。
神田は今度こそ分かりやすく舌打ちをした。
「何だっていいだろ」
「良くないよ。あ、さっき元帥がユーくんって呼んでた気がするけど……それ?」
小首を傾げる様はとても爽やかだが、生憎神田にはどうでもいいことだった。
しつこい。
しつこい上に、変な奴だ。
ただ話しているだけだというのに、なぜかずっと笑い続けている。
何が楽しいのか、もしや神田を馬鹿にしているのか。
一瞬そう思いもしたが、すぐに考え直した。
神田の少ない人生経験が、あの血生臭い経験が、違うと叫んでいる。
――こいつは、「彼」を思い起こさせるのだ
飽きもせずに仲間達に話し掛けていたあの笑顔が、しつこく会話を迫ってきた彼の声が蘇る。
神田は奥歯を噛み締めてを睨み付けた。
「オイ、なに人の弟子にガン飛ばしてやがる、クソガキ」
沈黙を保っていた赤髪の男が、突然低い声で口を挟んだ。
神田は対抗心を燃やして男へ視線を向ける。
「こら、ユーくん」
こつんと頭頂に落とされた優しい拳。
しかし、師は神田ではなく赤髪に向かって目を眇めた。
「人のこと言えないでしょキミは。ほら、あれが、クロス・マリアンだよ」
前半は赤髪の男に、後半は神田にあてた言葉だった。
神田の耳にすら届く、例の傍若無人元帥とはこの男のことか。
噂に違わず面倒臭そうな奴だと、神田は目を逸らした。
逸らした視線の先に、漆黒があった。
「神田、ユー?」
新人が目を輝かせて神田を見つめている。
「(うぜぇ)」
全く興味を失っていない様子のにげんなりしながら、神田は呻いた。
「ユウ、だ。つーか名前で呼ぶな」
「何で?」
きょとんと目を瞬かせ、がまた首を傾げた。
「元帥は呼んでたじゃん」
「それは……」
それだってやめろと言っているのだ。
ただ、師が聞き入れてくれないだけで。
漆黒に神田が映っている。
そのまま見ていたら、いつか吸い込まれてしまいそうに思えて、慌てて顔を背ける。
「理由なんて、何だっていいだろ」
「よくない!」
「は?」
肩を揺さぶられる。
強引に体の向きを変えられた。
苛立ちながら目を遣ると、思いの外強い瞳がきりりと神田を睨んでいた。
肩に置かれた手から、じわりじわりと体が温められていくような気がした。
「その名前でお前を愛した人だって、いるんだから」
この馬鹿は何を言っているんだ、そんなこと俺には関係ない。
呆れ返るのと同時に、そのまっすぐな言葉は神田の胸を懐かしさで満たしていく。
「ちっ」
舌打ちと共にその手を振り切ると、少しだけ頭が冷静になった。
手のあった場所が、冷えたように感じる。
そうだ、どうせこいつも、きっと神田の前からいなくなってしまうのだろう。
半ば自棄になって鼻で笑えば、がまた片眉を上げたのが見えた。
「一ヶ月」
「何?」
神田は意地悪く口を歪ませる。
「一ヶ月くたばらなかったら、名前で呼ばせてやるよ」
が表情を消した。
「こら! ユーくん!」
ティエドールの声も聞こえていないかのように、視線を彷徨わせる。
怖じ気づいたか、と神田が興味を失いそうになったその時、の後ろでクロスが笑った。
視線を動かす間も与えてくれない。
がにやりと笑って神田を見上げた。
「たった一ヶ月でいいの?」
その笑みに嫌な予感が一瞬だけよぎる。
けれど、そう思った時にはもう言葉が口をついて出ていた。
「どうせ無理だろうけどな」
「ふうん?」
そろそろ行くぞ。
煙草を灰皿に押し付けて、クロスが立ち上がる。
赤髪に向けて頷いたが、きらきらした笑顔で振り返った。
「忘れるなよ、神田!」
望みのない「勝負」を挑んでしまったと知るのは、ぴったり一ヶ月後のことだった。
141114
「神田と主人公が出会って間もない頃」
50,000hit、PP様からのリクエストでした。ありがとうございました。
これからもよろしくお願いします!