燔祭の羊
<ハンサイノヒツジ>
3rd.Anniversary「白鳥を縛る水草」
此処が五月蝿いなんてことは、あってはならないのだけれど。
図書室は、今日も静かだ。
ラビにとっては二週間ぶりの、任務のない休日。
久々にゆっくり本を読める。
アレと似たジャンルの本は、先日読んだ。
あの作者はつまらなかった。
記憶と背表紙を照らし合わせながら、棚を巡る。
ふと、光の届かない暗がりに違和感を覚えた。
あれは、本当に書棚の影か。
否。
何かが、其処にある。
ラビはそっと近づき、目を瞠った。
「……?」
棚と棚の細い隙間に、見知った黄金色が埋まっている。
「おーい、そんなとこで何やってるさ」
ぺたんと腰を下ろした彼は、顔を上げない。
笑いながらの肩を叩こうとして、ラビは思わず手を止めた。
彼の周りが、いやに温かい。
よく見れば、肩も頻りに上下している。
露になっている項にそっと手を当てると、明らかに高すぎる熱が感じられた。
咄嗟に思い至ったのは、彼の武器の副作用。
しかしすぐに思い直す。
前回の任務が長引いたので、は今、長めの休息をとらされている筈だ。
では、何故?
「ん……、」
考え込んでいると、手の下の体が動いた。
のろのろと上げられた顔。
潤んだ瞳が、ラビを見上げる。
呆けたように此方を見つめたは、一拍置いて、呟いた。
「……ラビ」
いつもならよく通る声が、掠れていた。
ラビは彼の額に触れる。
熱い。
「すげェ熱いんだけど……大丈夫? 風邪さ?」
「……大丈夫……」
呆然としていた彼の表情が、刹那、我に返ったように苦々しく歪む。
触れていた手を払って、ラビを睨め付けた。
「……何で、いるんだよ」
「それはこっちの台詞さ。何やってんだよ、こんなとこで」
説き伏せている最中にも関わらず、彼は傍らに山と積まれた分厚い本を引き寄せる。
それを抱えて立ち上がろうとするものだから、ラビは慌てて彼から山を取り上げた。
「って、重!」
「返せよ。それ、科学班に持ってくんだから」
ラビはブンブンと勢いよく首を左右に振った。
壁に手をついてやって立つような人には、とても渡せない。
けれどは溜め息を落とすと、上半分を強引に自分の腕に収めた。
「……じゃあ、半分よろしく」
そう言って、先に立ってドアへ向かってしまう。
ラビは急いでその後を追った。
「待てってば!」
図書室を一歩出れば、彼は見違えるほど「いつも通りに」廊下を歩いている。
浮かべていた筈の汗さえ引いているのは、一体どんな魔法の為せる業か。
すれ違う団員からの声に応える表情も、いつも通りだ。
ようやく人気の無くなった廊下で、ラビは彼の横に並んだ。
「医務室行ったんか?」
「行ってない。……必要ない、大丈夫」
切羽詰まったような声に、ちらりと窺えば、頭の痛みを堪えて顰められた眉。
「(どこが『大丈夫』だよ)」
今は任務をしている訳ではないのだから、なにも、無理をする必要は無いのに。
「なぁ、やっぱオレが持ってくさ」
彼は、答えない。
寧ろ歩く速度を上げられてしまった。
ラビは早足で追いすがる。
前を見たまま、が言った。
「これ置いたら、部屋、戻るから」
扉の前で、彼は立ち止まる。
横の壁に一度凭れ、乱れた呼吸を整えて、振り返った。
眉を下げた、苦笑。
「頼むよ。皆には、黙ってて」
そう言って、は扉を開けた。
ラビは小さく溜め息を落とす。
彼の考えているだろうことも、この一年で大分理解できるようになった。とはいえ。
「(たまには頼ってくれたっていいのに)」
君が「人間」だと、オレは知っているのだから。
此処は相変わらず騒がしい。
研究に没頭していたら、人は静かになるはず。
という通説は、少なくとも黒の教団科学班には通用しないのだ。
神田は眉間に皺を刻みながら、机の間を抜けた。
「えー、つれないな神田くん。お茶でもしていきなよー」
「ふざけたこと抜かす暇があるなら仕事しろ」
ただ、報告書を出しただけなのに。
司令室を出ても着いてくるコムイを、冷たく突き返す。
疲労のためか、やたらテンションが高い。
うんざりしながら、丁度通りかかった机に目を向けた。
「おい、リーバー」
「そこでオレに振るのか……室長、仕事してください」
「してるよ! でもさ、ボクもそろそろ休憩……嘘、嘘! 今の嘘だから! ペン投げないで!」
神田は溜め息をついて、二人から目を背けた。
思わず、瞬く。
司令室にいる間に来たのだろうか。
室内にと、ラビがいた。
二人とも、十五冊ほどの本を抱えて、班員の間を回っている。
危なげないに対して、ラビは酷いものだ。
彼は神田が気付いてから、もう三回も机の角に脚をぶつけていた。
その度にを振り返っては、視線を落とす。
そして再び、しつこいほど金色に目を遣りながら、班員へ本を渡そうとし、躓いた。
「わ、ちょっと、ラビ!」
「へ? うわっ!」
「(馬鹿ウサギ)」
さては、何かやらかしたか。
大方、余計な一言での機嫌を損ねたのだろう。
いや、しかしそれにしては。
「おーい、大丈夫かー?」
「そっち行くって! 動くなー」
「い、いや! えーっと、大丈夫さ、大丈夫!」
班員の呆れ混じりの笑い声。
は、彼の周りの男達と朗らかに笑ってラビ達を見ている。
もしも揉め事が起こったのならば、流石の彼も、もっと意地の悪い笑みを見せるだろう。
それは、神田の経験から明らかだ。
では、何故?
何故、ラビはあれほどを見ているのか。
何故、あれほど気に掛けているのか。
神田は黄金を、笑う漆黒をじっと見つめた。
――嗚呼、
「(何で俺がこんなこと考えなきゃならねぇんだ)」
でも、自分が動かなければ、どうせまた誰も気付かない。
「おい、」
「ん?」
神田は彼の名を呼び、リーバーの机の近くを示す。
「居たんだ、ユウ」
「テメェらが後から来たんだろ」
「いや、順番とか、どうでもいいけど」
瞳に力が無い。
頬が赤い。
いつもより長い瞬き。
近くで見ると、異変はより明らかで、それでも憎まれ口を叩く彼へ、苛立ちは募った。
ち、と舌打ちをして、強引にソファーへ座らせる。
「何?」
「目、瞑れ」
「なん……」
「瞑れっつってんだろ」
言葉を遮って押し切れば、も渋々といった様子で目を瞑った。
「……で? どうすんの?」
「少し黙ってろ」
唐突な神田の発言も、普段ならからかわれていただろう。
しかし今日のは、一度片目を開けただけで、大人しく口を噤んだ。
やがて、俯き始める顔。
眉はきつく顰められ、僅かに開いた唇から浅い呼吸が漏れる。
訝って声を掛けようとするコムイとリーバーを、手で制した。
「(……何で俺がこんなこと)」
遂にぐらりと傾いだ熱い体を受け止めて、ソファーに倒す。
「、どうしたの?」
腐っても室長だ。
コムイが真っ先に、彼を覗き込んだ。
ラビが早足で此方にやってくる。
神田はコムイを横目で睨んだ。
「見て分かんねぇのか」
困ったような顔をして、コムイがソファーに屈む。
額に手を当てても、金色の睫毛が震える気配は無い。
「ああ、風邪……か。良かった。リーバーくん、毛布持ってきて」
やっと辿り着いたラビが、ソファーを見遣った。
ほっと息をつく。
「ユウ! 助かったさ、オレじゃ言うこと聞いてくれなくて」
眉を下げて言うラビを、鼻で笑った。
「誰もテメェなんかに期待してねぇよ」
「ちょっ、酷ェさ!」
「うるせぇ」
自分で止まれないのなら。
誰にも止めてもらえないのなら。
少なくとも俺達が、引きずり倒して止めてやるから。
(主人公17歳)
120813
三周年記念、kuan様からのリクエストでした。ありがとうございました。
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