燔祭の羊  
   <ハンサイノヒツジ>  









18'Birthdayリクエスト「君が微笑むだけだとしても」









朝、四人はこの町の入り口で二手に分かれた。
隣り合う町でイノセンスの反応とアクマの大量発生とが同時に起こったという。
神田とがこの町のアクマを駆除しに、マリとリナリーが隣町のイノセンス調査に。
行きの汽車で話し合った通りの組分けである。
問題ない、いつもの任務だ。
とは何度も組んでいるし、言うのは癪だが呼吸も合う。
一緒に行動することに異を唱える理由がない、そんな程度には気心知れた相手だ。
だから、生存者も少なそうな此方は早めに片付けて隣町に応援に行こうか、とまで話していたのに。
それくらい、何でもない任務だった筈なのに。

「……粗方片付いたか」

二人が廃墟に退避した時のことだ。
気付けば日が傾き始めている。

「うん……っ、そう、かもね……」

は既に聖典を発動して、若干息が上がっていた。
神田は彼を少し休ませるつもりだったのだ。
負けず嫌いで格好つけで鉄壁の外面を持つ彼が、人に弱みを見せてしまっている時点で限界を超えている。
足手まといを戦場に置いておく気は、神田にはない。
邪魔だ、戦いたいなら少し休んでから加われ、まあその前に俺が全部片付けるけどな、と。
家を検分するの背中に、そう声をかけるつもりだった。
が奥の部屋のドアを開ける、刹那、目を焼く閃光。
彼の姿に遮られ、神田自身の視力はすぐに回復した。

「ちっ、!」

薄目を開ける。
パートナーは無事だ。
しかし返事がない。
無防備に立ち尽くしたまま、目を庇う仕種もない。

「(何ボーッとしてやがる!)」

この馬鹿! そう言いながら手を引くと、ふらりと彼の体が傾ぐ。
途端に光が止んだ。
部屋の奥の方にアクマがいるのは明白だ。
しかしそれよりずっと、自分に体を預けたままの金色が気になった。
心配しているのではない。
違和感がある。
不意に、空気が軽くなってしまったような。
世界の重石が欠けてしまったような。

「おい、……どうした?」

そう問いかけるや否や、彼の手が無遠慮に六幻に伸ばされた。
音を立ててその手を払う。
舌打ちを一つ、腰を落とす。

「……

呼びかけに、いつもの笑顔は返されず、意識さえ向けられない。
そう、彼が神田に意識を向ける素振りがないのに、空気はひとつも動かないのに、彼の瞳は神田を見ている。
ぼんやりと。
が音もなく足を踏み出した瞬間に、神田は踵を返して廃墟を飛び出した。
けれど、が追い上げる方が早い。
ガチャ、という音。構えている。
振り返る。
放たれた銃弾を凪ぎ払う。
爆発、銃弾を追って神田に飛びかかる金色。
舌打ちの余裕を持てない。
恐らくあの光のせいで何かの幻術にかけられてしまったのだろう、ということだけは辛うじて想像できた。
なんて間抜けな奴、しかしそれを詰るのは、後だ。

――ひゅっ

それが、何でもないただのナイフだと、気付いたのは跳び退ってからのことで。
首の皮が薄く切れていたと気付くのは、もっと後。
跳び退る瞬間に風がそこを撫でたから、呪符が働く気配があったから分かったのだ。
わざわざ手を遣って確かめる暇があったら刀を構えろ。
神田は振り返り様に一閃、六幻を振るった。
急所を外そうと考える隙を見せたら殺される。
腹の底からの声を準備できないので、喉を磨り潰すように怒鳴った。

「テメェ、何してるか分かってんのか!!」

黄金、肉薄、黄金、腹に衝撃、咳き込んでなんかいられない。
弾丸を刃で弾く。
爆発、立て続けの発砲音は空中からも聞こえる。
宙に築かれた足場から炎と氷の弾丸が降り注ぐ。
弾丸と共に地上へ降りたが首を傾げる。
澄み切った無垢な漆黒。
その奥の本当の姿を隠されて揺蕩う、水面のような漆黒。
瞬きも躊躇われる緊張と酩酊感。
とん、と踏み出した彼はいつの間にか目の前にいて、執拗に神田の首を狙ってくる。
身を捩って避ければ、今度は顎を狙われる。
蹴り上げようとする足を掴んで引き倒し組み伏せるが、構わず自由な手で目に指を突き立てようと暴れる。
否、無秩序に暴れるなんて、はそんな無駄なことはしない。
背筋で体を起こし、獰猛な速度で神田の目を狙う。
力ずくでその手を払うと、相手の指が折れたような音がした。
右手、利き手だ。
けれど彼は、は痛みも何一つ感じていないように無表情のまま、動く指で拳を握る。
神田は彼の足の上から退いた。
鼻のあった場所を、拳が通りすぎる。
ゆらり、が立ち上がる。

『――神田、

ゴーレムが胸元からマリの声を届けた。
が片足を軸に、もう片方を振り抜いた。

『我々の方は空振りだった。そちらに到着次第、加勢できるぞ』
「リナを先にっ……」

不安定な体勢で、神田は声を絞り出す。
日頃から鍛練に付き合い、付き合わせているので分かる。
あれをまともに食らったら、骨は無事では済まないだろう。
を相手に機動力だけは落としたくない。

『どうした、何があった』
『お兄ちゃんは?』
「アクマに操られてる」

無線からは二人の動揺した声が聞こえる。
詰るのも答えるのも、何をするのも全て後だ。
驚くべきバランス感覚と俊敏な身のこなしを武器にするは、天才的に「戦闘」が上手い。
外見からしても力はそう無い筈なのに重たい一撃を見舞ってくることもあれば、重い物を放り投げたりもする。
それもやはり「体の使い方」の巧さなのだろうと神田の師は言った。
さて、今の彼はどうだ。
肉体的には聖典の負荷がかかっている分本調子ではないが、攻撃はいつも以上に躊躇いがない。
此方を敵と認識しているからだろう。

『マリ、場所分かる!?』
『……このまま東だ。真っ直ぐ跳べ、リナリー!』
『今行くわ!』

それでも、神田はと渡り合う自信がある。
鍛練でも彼から一本とるのは困難を極めるが、不可能ではない。
今、最も重要なのは、如何にして彼に聖典を使わせないか、ということだ。
彼はその気になれば臨界点を突破できてしまう。
普段目の前の味方を犠牲にしてまでその枷を外さずにいるのは、彼の理性が働くからだ。
同調率を上げれば自分が動けなくなること、エクソシストが減るということがこの聖戦に齎す影響。
がどうなろうが、それで教団が困ろうが、どうだっていいと言ってしまえばそれまでだ。
けれど、神田は嫌なのだ。
枷を外させてしまったら、教団がこの「扱いやすい神様」から人としての権利を全て奪い尽くすだろうと、知っているから。
いつまでも、教団は悔い改めないだろうから。
――がすっと目を伏せる。
乾いていない血が輝きを持つ。

「(やる気だ)」

即座に、神田は殺すつもりで下段から撫で上げるように斬りかかった。
血液が瞬時に小さな盾を作り、刃を受け止める。
顔を顰めたりはしないもののの動きが鈍る。
そこへ躊躇なく蹴り込む、腕で防がれ跳ね返される。
彼の腕が此方へ伸ばされて、指が引鉄に掛かった瞬間だった。

「お兄ちゃん!!」

上空から大音声で、リナリーが叫んだ。
空気が変わった。
世界が黄金色に収束する。
が僅かに目を瞠り、動きを止めた。
神田の横を通り過ぎる風。
髪が巻き上げられて、通り過ぎた彼女の黒髪が靡く。
降ってきたリナリーが、その勢いを殺さぬままでの腹に膝蹴りを見舞った。
神田は思わず自分の腹に片手を伸ばす。
「黒い靴」を発動したままのリナリーの足技は何度か食らったことがあるが、あれは、痛い。
ノーガードだったもあっさり吹き飛ばされて、背後の民家に突っ込んだ。

「やだっ、やりすぎちゃった!」

お兄ちゃーん! リナリーが慌てて民家に駆け寄っていく。
あの分なら恐らく意識も奪えただろう。
神田は息を整える間も惜しんで踵を返した。
もとの廃墟に駆け戻りながら、六幻を発動させる。
目を閉じたまま、感覚を研ぎ澄ませて扉を蹴破った。
瞼の裏でも光が見える。
その奥に、ヤツはいるのだ。
考えるまでもない、刀を振るう。
瞼の裏の光が止んだとき、神田は手応えを得て目を開けた。
壁の壊れた部屋の奥、金髪の少女の姿をしたアクマの残骸が死臭を放っていた。

『神田、私も合流した。聞こえる範囲のアクマは破壊したが……』
「こっちも片付けた。多分それで全部だろ」
『そうか。じゃあ此方で待ってるぞ』

多くの言葉を使わなくても、マリは神田の言いたいことを察してくれるのでありがたい。
微笑んでいるような兄弟子の声の後ろで、リナリーの声がする。

『お兄ちゃん、ごめんね! 痛かった?』
『いや、……うん、ごめん、俺のせいだから、謝らないで……手間かけて、ごめんな……いってぇ……』

ついでに、呻くの声も。
神田は六幻を収めて、いつも通りの舌打ちをゴーレムに聞かせた。

「おい、
『なに……あ、ごめん、ユウ。世話掛けた』
「テメェ……合流したら一発殴らせろ」
『ちょっと今は勘弁してくれない……? いったたた……』
「知るか!」

全く、とんだ任務だった。
大きな溜め息を落として、六幻を肩に担いだ。









181114




「主人公が何かの理由で敵側になってしまい、戦う」
2018Birthday、小町様からのリクエストでした。ありがとうございました。
これからもよろしくお願いします!