燔祭の羊  
   <ハンサイノヒツジ>  









12th.Anniversary「太陽には内緒で」









よし! と一人声に出して、ガッツポーズを決める。
深夜、というよりもう夜明けの方が近い午前四時。
死屍累々の研究室の中で、起きているのはリーバーだけだ。
大きな山場を、今、やっと乗り越えた。
ふうー、と息をついて背凭れに仰け反ると、逆さまになった笑顔と見つめ合う。

「あーにきっ」
「……うんっ!?」

転げ落ちるかと思った。
リーバーは思わず跳ね起きて、振り返る。
大きなバスケットを抱えたがすぐ後ろに立っていた。

「お疲れ様。あ、足元気をつけて。ジョニーが寝てるから」
「は? ……うわ、本当だ。おいジョニー、何でこんなところに」

リーバーの両足の間には何故かジョニーの頭が挟まっている。
危うく顔面を踏みつけるところだった。
グガッ、と鼾をかいて熟睡しているのだが、何故、いつの間にこんな所に潜り込んでいたのだろう。
全く気付かなかった。
気付かないといえば、此方もだ。
が入室していて、気付かないなんてことがあるだろうか。
ジョニーを避けて立ち上がり、手招かれるまま彼に着いていく。

、何処に……」
「司令室。さっきジェリーに食べるもの貰ってきたんだけど、……全員分は無いからさ」

皆が起きちゃったらアレだから、とは笑うが、リーバーは気まずく頬をかいた。
自分も含め、科学班の屍達は数日シャワーも浴びていない。
場所を変える最大の理由は、それではなかろうか。
最近背が伸び始めたの旋毛を見下ろす。

「言い忘れてたけど、おかえり。さっきは全然気付かなかったよ」
「ただーいまっ。集中してるみたいだったから、大人しくしてただけだよ」
「いつ戻ったんだ?」
「日付が変わってすぐかな。シャワー浴びて寝ようと思ったんだけど、なんか腹減っちゃって」
「そっか。わざわざオレの分まで、悪かったな」
「ううん、最近兄貴とコムイを見かけないって、ジェリーが言ってたからね。お節介しただけ」

入るよー、と中に声を掛けながら、が扉を開ける。
彼が任務に出てからの一週間は、リーバーもコムイも研究室と司令室に缶詰だった。
もしかしたら室長も寝てるかも、と言う前にが苦笑する。

「あはは、誰もいない」
「何だって!?」

彼の頭の上から覗き込むと、室内はもぬけの殻だった。
がっくりと肩を落とすと、そのままふらついて眠ってしまいそうだ。
疲れた。

「いつ逃げたんだ、室長……」
「さっきまではいたんだけどなぁ。ま、いいや。此処で食べよ。あー、腹減った」

主不在の部屋だが、構わずは長椅子の奥に座り、中央にバスケットを置いた。
彼が開いたバスケットの中には、アップルパイだけでなく、食べやすそうな包子も見える。
中身はまだ温かいのだろう、ふわりと良い香りが漂ってきて、途端に空腹を思い出した。
リーバーは、観念して長椅子の手前側に腰を下ろす。

「コムイ探すのは明日にしなよ」
「そうするよ……美味そうだな、包子がオレのか」
「うん。アップルパイも、食べたければあげてもいいよ」
「そんな渋々って感じの顔で言われてもなぁ」

笑って返すと、彼は頬をむっと膨らませた。
神様をしている時には決して見せない表情に、仄かな優越感が湧く。
包子を掴み取りながら、膨れた頬をつんと突くと、不満そうに尖らせた口から空気の抜ける音がした。

「俺が食い意地張ってるみたいな言い方ー」
「だって、そうだろう」
「……えへへ、バレたか」

へにょ、と力の抜けた笑みを返されて、察する。

「(多分、こいつも眠いんだな)」

もアップルパイを一切れ掴んで、二人は殆ど同時に手にしたものを頬張った。

「ん、美味い!」

リーバーが齧った包子は海老入りだ。
とろりとした餡は少し塩気が強く、けれどよく蒸された海老の身はぷりぷりしていて甘い。
よく見ると、バスケットの中には紙が差し込まれていた。
どうやら、海老と焼豚の二種類を三個ずつ入れたとのこと。
どちらもは食べられないだろうから、これはコムイとリーバーの二人分だろう。

「んぅー、やっぱりジェリーのが一番」
「今回の任務はたしか……ウィーンだったろ。有名なアップルパイがあるよな」
「アプフェルシュトゥルーデル! それだよ、聞いてよ兄貴」

肘掛にだらりと背を凭れていたが、体を起こす。

「雰囲気のいいカフェがあったから、これは美味いものがあるんじゃないかって、期待したんだけど」

手に持った残りを勢いよく食べ切って、もぐもぐもぐと無心で口を動かしてから、彼は肩を落とした。

「……微妙だったんだよ……」
「アップルパイに失敗って、あるか? 焦げてたとか?」
「ん、シュトゥルーデルは普通のパイとは別だから……生地が薄い方が好みなんだけど」
「ああ、なるほどな。アレはうっすいパイ生地で中身を包むんだっけ?」
「そう……そうなんだよ……」

は偏食で、美食家ではない。
食に執着がある訳でもない。
味や調理法をとやかく論じる姿など、初めて見た。
二切れ目を取るためにバスケットに手を突っ込んだまま、が項垂れる。

「俺もう、絶対、そこで食べて帰るぞって、……楽しみにしてたのに。汽車も二本遅らせたのに」

リーバーも反対側からバスケットに手を入れた。
説明用紙を頼りに、今度は焼豚の包子を掴む。
齧り付くと、今度は甘辛いタレが染み出してきた。
絶品だ。
コムイが来ないなら、一人で食べ尽くしてもいいだろうか。

「こんなことなら、早く帰ってジェリーに頼めばよかったなぁ」

が掴み取った二切れ目のパイを齧り、そのまましょんぼりと俯いた。
頬を膨らませてはいるが、咀嚼の勢いが落ちて、頭がふらりと揺れている。

「こら、食いながら寝るな」

空いている手で金色をくしゃりと撫でると、ややあって寝てないもん、と返ってきた。
これはもう、間違いなく半分寝ている。
とはいえ、リーバーだって一人でいたら恐らく包子に噛み付いたまま寝ていただろう。
それくらいには、眠い。

「パイは残念だったけどさ、ゆっくりして来れたんだろ。よかったじゃないか」
「……や、ゆっくりしてる場合じゃなかったんだよ。昼過ぎには……今度は……アイスランドに……」

語尾は欠伸と混ざって不明瞭だったが、一応目的地は聞き取れた。
それこそ、さっきまでリーバー達が必死になって纏めていたのがその任務の資料なのだ。
コムイは、リーバー達が間に合わせると踏んで、先にに話を通したのだろう。
そんな立て続けの任務なんて気の毒だ。
それに、解析が間に合わなかったらどうするつもりなのだ。
言いたいことはいろいろあるのに、上司から知らず向けられていた信頼にじんわりと胸を打たれる。
が眠そうな顔でリーバーを見上げ、それからにこりと笑った。

「な、なんだ?」
「兄貴こそ。どうしたの? なんかすごく、嬉しそうな顔してる」
「いや……」

リーバーは答えを誤魔化したくて、包子の残りを口に押し込んだ。

「なんでもないよ」
「えー、はぐらかすなよ。教えて教えて。いいことなら、尚更」
「むぐっ、いやいやいや、大したことじゃないんだって。ちょっと恥ずかしいから、ダメだ」
「兄貴の恥ずかしい話、聞きたい」
「それだと微妙にニュアンスが違うな?」



朝食を求める団員達で食堂が賑わい始める頃。
秘密の実験場から司令室に戻ってきたコムイは、肩を竦めて笑う。

「どうりでリーバーくんがボクを探しに来ないわけだよ」

包子とアップルパイをそれぞれに握り締めたリーバーとが、仲良く長椅子で熟睡していた。









210808




12周年、こっこ様からのリクエストでした。ありがとうございました。
これからもよろしくお願いします!