燔祭の羊  
   <ハンサイノヒツジ>  









10th. & 90,000hit Anniversary-1「それだけでいいんだ」









バクは帽子ごと頭を抱えた。

「どうして! あいつは! じっとしていないんだ!」
頭の後ろで手を組んだフォーが言う。

「それがアイツだからなー」
「それでもだ!」

まったく! と言いながら部屋を出ると、慌てたウォンが後を追ってきた。

「申し訳ありません、バク様! 私がずっとお傍にいればよかったものを、なんとお詫びすればよいか……!」
「あーもうっ! いい、ウォンのせいではないっ!」

補佐役が必要以上に自分を責める前に釘を刺す。
もう一度、まったく! と零しながら医務室への道をズンズンと進んだ。
体重を感じさせない軽い足取りで、フォーがバクを追い越す。
夜明けにぐっすり眠ったからか、機嫌が良さそうだ。
昨夜はの傍に寄り添っていたので、彼女が寝たのは朝方だった。

「そういえば……ウォン、お前も少し休んでいいんだぞ? 昨日から寝てないだろう」
「そーだそーだ。寝るなら今だぞ、ウォン。あたしもバクも起きてるし」
「うう、しかし……いえ、それでは殿を寝かしつけたら、休ませて頂きますね」

今回も、支部の護衛にやって来たのはだった。
実は、タイミングが合えばの方から率先して挙手してくれているらしい。
支部周辺を彷徨くアクマを退け、破壊したところまではいつも通り。
そして、戦闘後に彼が調子を崩すのも見慣れた光景になってきた。

「(いや、見慣れてはいけない)」

無理を押して戦わせているのだと、それは毎度改めて自覚し、己の発言の過失を省みなければならない。
それはそれとして流石にバクも、ウォンもフォーも、対応自体には慣れてきた。
昨夜もウォンが笑顔でを見張り、休ませたのだ。
ところが、今朝になって身支度を済ませ科学班に向かったバクに、ジジがこう言った。

「なあ、が翻訳してくれるって言うから資料渡したんだが……やっぱマズかったか?」

話によると、ふらっとやって来たがにこやかに申し出たらしい。
余りに平然としていたので、その時のジジは疑問も抱かず翻訳を依頼してしまったのだとか。
恐らく、朝食を運んでウォンとフォーが医務室から離れた直後の出来事だ。
大きな溜息をついて、バクはノックもせずに医務室の扉を開け放った。

!」

正面のベッドに、金色は身を起こしていた。
食事用に出したテーブルに本を開き、右手にはペンを、左手には中華粥の入った椀を持っている。
匙の代わりにスプーンを使っていたようだが、それは口に咥えられたままプラプラと揺らされていた。

「へ、ふぁく?」

が驚いたように目を瞠り、不思議な発音でバクの名を呼んだ。
バクは自分の唇を引き結び、つかつかと歩み寄る。
驚いて瞬きをするの口元からスプーンを抜き取ろうとすると、彼は慌ててペンを手放した。
バクが掴む前に自分の手でスプーンの柄を握り、口から引っ張り出す。

「んあっ、な、何?」

彼の動揺した声を聞くというのは滅多にないことなので、今でなかったら珍しがって笑っていた。
今は、言いたいことがこんがらがって頭の中でせめぎ合っている。
結局考えもせず口を開いた。

「何、じゃない! 行儀が悪いっ!」
「へっ? え、ごめんなさい?」

が首を傾げる。
ベッドに腰掛けたフォーが肩を竦めて、何気なく机上の本を閉じた。

「そうカリカリすんなよ、バク」
「カリカリじゃない。マナーはいいに越したことはないんだぞ」

ベッド脇の椅子を引いて腰を下ろす。
腕組みをすると、が笑いながら頬を掻いた。

「いや、誰も見てなかったし……つい癖で……」

えへへと可愛らしくはにかむのは、リナリーさんにだけ許される行為だと思う。
バクは溜息をついて、まあ別にいいんだと返した。
さり気なく粥の器を確認したウォンが微笑む。

「こう言ってはなんですが、少し意外な仕草でしたね」

そう? と聞き返すに、そっと食事を促す様子があまりに自然で、バクは感心した。
促されるまま粥を口に運んだが、ぼんやり宙を見ながらまたも咥えたままのスプーンを揺らす。
フォーの笑い声にはっと目を瞠り、頬を仄かに赤くしてスプーンをそろそろと引き抜いた。

「師匠にも怒られたんだよね。ていうか、バク何で……此処って監視カメラとかついてたっけ?」
「うん? ……あれ。お前、バクが何しに来たか知らない?」

が頷く。
それでバクも、まだ本題に入っていなかったことを思い出した。
テーブルの上で置き去りにされていた本を取り上げる。

「あっ、それまだ途中、」

追うように手を伸ばすの額を、指で弾いた。
痛っ、と額を押さえる彼にびしりと人差し指を突きつける。

「大人しく寝てろと言っただろう!」
「えーっ。だってもう平気だし……暇だし……」
「本当に平気なら、フォーを誘って鍛錬してる筈だ」
「それは、えっと……フォーも寝てると思ったから……」

顔を背けたが唇を尖らせる。
バクは更に言い募ろうとしたが、その途中でフォーがにやりと此方を見上げているのに気付いた。

「何だフォー、その顔は」
「べっつにー? べーつに、人を指さすのはマナーとしてどうか、なんて思ってないけど?」
「んなっ!?」

言われてみれば、自分もマナーとしては褒められないことをしている。
バクがわなわなと言葉を失っている間に、ウォンがの額へ手を触れた。

殿、まだ熱が引いていないようですから、ご無理はなさらず」
「う、んんー……ウォンが言うなら……」
「僕に言われても素直に聞いてくれ……!」
「いやー、ウォンは抗いがたいっていうかね」

粥も乗っていないスプーンを咥えて、が笑う。
その笑顔に怒る気もすっかり失せてしまって、バクは肩の力を抜いた。
まあ、いいのだ。
バクが神にしてしまった、彼が、他愛もないことで笑っていられる時間が少しでも増えればいい。

「……ウォン、スプーンのことも言ってくれ」
「根回しは卑怯だろ、バク!」









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十周年&90,000hit記念、uno様からのリクエストでした。ありがとうございました。
これからもよろしくお願いします!