燔祭の羊
<ハンサイノヒツジ>
Another story NOAH「世界を奪う者」
「おやおヤ……可哀想に、こんなにぼろぼろになってしまっテ」
AKUMAの卵を奪取することに失敗した「色」のノアをようやく追い詰めた、その時。
聞こえた声に、クロスは眉を顰めた。
アレンが「嘘だろ」と呟き、マリが身を強張らせる。
ソカロとクラウド、ティエドールが緊張を漂わせた。
「あ、方舟での傷でしたっケ」
わざとらしく肩を竦めて卵の上に現れたのは、千年伯爵。
それだけなら、クロスはさして動じないでいられた。
けれど激しい目眩を感じさせたのは、その腕に抱かれたものだ。
身を潜めていた筈のバクの声が、遠くに聞こえた。
「…………?」
何故。
呆然と呟いた彼に、伯爵が顔を向ける。
「何故って、アナタ達に預けていたら、ボロ雑巾にされてしまいますからネェ?」
よっ、と言いながら、横抱きにした金色を抱え直した。
「それを良しとするなんて、本当にお人好しです、この子ハ」
クロスは顔を歪めて舌打ちをする。
病室に残して来た筈のが、どうして此処にいるのか。
彼を看ていた医療班は無事なのか。
「オイ」
「ハイ?」
睨み付けると、はぐらかすように首を傾げる。
それがまた、クロスを苛立たせた。
彼を子供のように扱うのは自分だけの特権だ。
伯爵によって全てを奪われたを、一時でもその腕に渡してしまったなんて。
「(クソッ)」
断罪者を掲げ、まっすぐ伯爵に向ける。
「クロス!?」
ティエドールが叫ぶ。
伯爵が笑みを深めた。
「おやぁ? いいんですカー? そのままだと、大事な『神様』を傷つけてしまいますガ?」
「構いやしねェよ」
「なっ、に、言ってるんですか、師匠っ」
震えそうになる手を、そうと悟らせないよう渾身の力で押さえつける。
アレンに黙れ、と告げ、クロスは再び伯爵を睨んだ。
構いやしない、これでが伯爵から解放されるなら。
彼は寄生型だ。
致命傷にさえならなければ、何とか永らえてくれるだろう。
もっとも、衰弱した今、軽い傷でさえ堪えられるかも分からないが。
クラウドが、今にも飛び出しそうなマリを引き止めた。
同僚達は、クロスがやろうとしていることに気付いたのだろう。
ソカロがアレンの首根を掴まえ、ティエドールがリーバー達を下がらせる。
足を掠めるくらいなら、害はないだろうか。
クロスが狙いを定めたその時、千年伯爵がウフフと笑った。
「クロス・マリアン……アナタの憂いを晴らしてあげましょうカ?」
彼を、救ってあげますヨ。
「何だと……?」
思わず照準をずらしたその時、伯爵がを抱き直した。
ぐったりと仰け反った首を支え、その耳許に口を近付ける。
俄に背後が殺気だつ。
クロスも再び照準を――
「起きなさイ、。我輩の『家族』」
――合わせられなかった。
今、間違いなく「家族」と。
伯爵が使うその言葉の意味を、知らない訳ではない。
だから一層、うっすらと覗いた漆黒に焦りが募った。
「……?」
ぼう、と瞬いた瞳は、呼び掛けたクロスに応えない。
彼は自分を抱く人物を見上げ、ぽつりと呟いた。
「――せんねんこう」
クロスは自分が総毛立つのを感じた。
呟きと共に、青白かった彼の肌が褐色へと色を変える。
額に聖痕が浮かぶ。
深い深い漆黒が、まるで髪と同じような黄金色へと。
今度は誰も、嘘だろ、とは呟けない。
ゆっくり、けれど確かに瞬きを繰り返したが、伯爵の腕の中で身動ぐ。
仇の手を借りて卵に降り立った彼が、すいと此方へ視線を向けた。
「兄、さん……」
アレンの声に、が視線を動かす。
ゆったりとした仕草に巻き込まれるクロス達を尻目に、弟弟子を見付けた彼は微笑んだ。
いつものようにふわりと微笑んで、そして口の端を乱暴に引き上げた。
「よう、十四番目(裏切り者)」
「――ッ!」
アレンが息を呑む。
力の抜けているソカロの手の中で、神ノ道化の発動が解けてしまった。
金色が笑みを保ったまま、可笑しそうに首を傾げた。
「何だよ、どうした? 大好きな大好きな『兄さん』だろ?アレン」
彼の視線が、一同を舐め回す。
リーバーが呟いた。
「がノアだなんて、こんなの嘘だ、そんなバカな事……」
興味深そうに見遣り、が目を細める。
「兄貴は、俺を信じてくれてるの?」
当たり前だろ、そう叫びかけたリーバーが、不意に押し黙った。
空気が冷たい。
「でも、それは兄貴に都合のいい『俺の姿』だけだよな」
眉を顰めて、瞳に怒りを乗せて、けれど口許には笑みを絶やさずに。
「なあ、そうだろ? アンタ達は、自分を貶めて見せるの、得意だから」
視線を向けられたバクが、怯えたように震える。
はくはくと開けられた口からは、しかし、一向に言葉が出てこない。
その様子を満足げに眺めて、が鼻で笑った。
「人を祀り上げて、それでいて自分達は高みの見物だ。あはは、いいご身分だよなぁ?」
「!」
伯爵が、彼の肩に再び腕を回したのを見て、クロスはやっと呪縛から放たれた気がした。
堪らず呼び掛ける。
弟子は冷ややかな笑みを此方へ向けた。
「何? おじさん」
呼び方なんて、些細な事だ。
けれど、は自分の弟子だ。
友から託された大切な宝だ。
思い出して欲しくて、敢えていつものやり取りを真似る。
「おじさんじゃない、お兄さんだ。何やってんだ、。そいつは、」
銃を下ろして、まっすぐに彼の瞳を見据えた。
「そいつは、お前の世界を殺した奴だぞ!」
――とん、と跳ねた。
それしか分からなかった。
気付けば金色は目の前に降り立っていて、気付けば胸座を掴まれていて。
気付けば、彼の瞳に見据えられていた。
「『僕』を殺したアンタが、それを言うのかよ」
逃れられない。
「あの時、世界と一緒に死なせてくれなかったアンタが、それを言うのかよ!!」
息が、止まった。
「“断罪者を下ろせ”」
脳に染み入る低い声。
危険だと、頭の片隅で警鐘が鳴り響く。
けれど、体は素直に彼の命令に従った。
赦しを請えと、過去を悔やむ声が叫ぶ。
けれど、喉を通る空気は音にならなかった。
が残忍な笑みを唇に浮かべ、囁く。
「アンタだけは、絶対に赦さない」
突き放されて、クロスはふらりと後退った。
が大仰に両手を広げた。
「俺は『支配』のノア。アンタ達の大事な世界は、全部俺に捧げて貰うぜ」
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