燔祭の羊
<ハンサイノヒツジ>
Another story Thomas「神殺しの槍」
昔から、彼らは変わらない。
「あのね……トーマスって、僕達のこと、可哀想って、一回も言わないんだ」
俯いたまま、が呟く。
クロスは、頷いた。
「ほう、そりゃあ珍しいな」
「うん。だから僕……ずっと、嬉しかったんだ」
絞り出された声が、僅かに湿り気を帯びる。
が顔を覆った。
「なのに、僕が……トーマスの大事なもの、全部壊した……!」
世界も、望まれる姿も持たないままで、何を支えに立ち上がれと言えるだろう。
己への罪の意識をよすがにしろ、だなんて、誰が言えるだろう。
そうしてクロスが躊躇う間に、彼はまた姿を変えてしまうのだ。
「だからトーマスだけは、……トーマスだけは『幸せ』になってもらわなきゃ……」
「(お前のせいじゃねェんだ、)」
覆った手の下に、きっと涙は流れていない。
家族の為にと脇目も振らずに駆け、期待に応えようとする。
状況を的確に把握して、まず誰かのために優しさを奮うトーマス。
丘の上のあの家に出入りしていた頃から、彼らは変わらない。
にとってクロスはおじさんで、トーマスにとってクロスは師匠で。
昔から、彼らは変わらない。
「師匠、僕ね、……がこんなに元気ないの、初めて見たんだ」
師匠は今まで、見たことあった?
小さな声に、クロスは答える。
「お前が知らないなら、オレだってきっと知らねェよ」
納得したように頷いて、丸い瞳が宙を睨んだ。
「それでもね。は、僕と違って強いから……きっと僕を守ろうとしてくれるよ」
トーマスが、ふくふくとしたその手に槍を握って立ち上がる。
「だから、僕はせめて、……僕だけは生きててあげなくちゃ」
自分は弱いと、彼は言う。
クロスだってそう思っていたのに。
気付けば金色が頼るのも、自分が贖罪として縋る藁も、彼だった。
顔を上げてクロスを見つめる瞳には、いつの間にか強い光が宿っていた。
「師匠。僕に、死なない力をください。を守る力をください」
「(そう言えるのはお前だけだ、トーマス)」
本当は、穏やかで朗らかな人柄だと知っている。
ただ今回は、否、今回も自分達が彼の唯一の導火線に火を点けてしまっただけなのだ。
荒々しく書類を踏みつけた少年を、コムイは座ったままにこりと見上げた。
「おかえり、トーマス」
「は」
トーマスがぶっきらぼうに言って、報告書を机に叩きつける。
「は」
「今は落ち着いてる。さっき科学班に来てた筈だよ」
コムイを睨む漆黒は、一呼吸おいて、切り裂くような冷たい輝きを失った。
長いため息をついて、トーマスが目を瞑る。
机に手をかけたまましゃがみこみ、小さな声で呟いた。
「……良かった……」
コムイは微笑んだ。
こうして幼馴染みを何より優先する割りに、トーマスはいつも真っ先に司令室に来るのだ。
きっとそこには、万が一への恐怖もあるのだろう。
今回だって、そうだ。
もし彼の親友の回復が遅れていたら、コムイは一発頬に食らっていたかもしれない。
「君も、怪我はない?」
「……無いよ。するわけないだろ」
「そうだね。連続の任務で疲れたでしょ? しばらくゆっくり休んで」
「うん」
やっと立ち上がったトーマスが、肩を竦めて笑う。
「そうだコムイさん、神田に円滑なコミュニケーション法を特訓してやってよ」
「なになに、どうしたの?」
「行く先々で問題起こすんだよね、あいつ。お蔭で話も碌に聞き出せなくてさ」
困った困った。
そう言いながら、先程までとは打って変わって朗らかな笑みをみせている。
「そればっかりはねぇ」
コムイも苦笑を返す。
トーマスが、先程叩きつけた報告書を指差した。
「ここに、その事について書いておいたから。ほんと頼むよ。ね?」
「分かった、そこ最優先でチェックするよ」
「よろしく! ……よし、じゃあ僕は行こうかな」
満足そうに言って、トーマスが息をつく。
団服の襟をようやく弛めた彼は、踵を返した。
「ねぇ、コムイさん。休みは嬉しいんだけど……に無理させないでね?」
肩越しに振り返る瞳は、またも冷たい光を孕んでいた。
これは、を神と呼ぶ人間が等しく受ける洗礼だ。
「僕は疲れてるだけなんだから。遠慮しないで、必要なときは呼んでいいから」
返事を待たずに扉を出ていった彼の背に、コムイは微笑みを送った。
「勿論、分かってるよ」
いつだって、彼の頭の中は一つのことでいっぱいなのだから。
「お兄ちゃん、何か飲む?」
「うん、じゃあ紅茶お願い」
「おーい、!」
聞こえた声に、リナリーはと共に振り返った。
科学班の研究室、その入り口で、と同じ色合いの少年が手を振っている。
が軽く目を瞠り、立ち上がって出迎えた。
「トーマス! おかえり!」
彼の差し出した手をぱしんと握り、トーマスが笑みを返す。
「ただいま! いやぁ、苦労の耐えない任務だった」
「何かあった?」
「それがさぁ、……あ、ただいまリナリー」
ついでのように言う彼に、悪気は全く見えなくて。
リナリーはしょうがないな、と小さく笑った。
「おかえりなさい。何があったの?」
「それがさ、最初の任務で、神田の奴が現地の情報提供者と揉めやがって」
「ああ……ははっ、お疲れ様」
が軽く笑いながらトーマスの肩を叩いた。
トーマスも心得たようにの肩を叩き返す。
「いやいや、笑い事じゃないんだってば。ねぇ、分かってくれてる? ?」
「分かってる分かってる」
トーマスに聞いた話では、二人は親の代からの親友らしい。
共に家族と故郷を失い、修行時代も支えあって生きてきたからか。
排除されている訳ではないが、二人の間に流れる空気にはほんの少し割り込み辛い。
優しい微笑みを浮かべ、が言った。
「ありがとな。任務、代わってくれて」
が任務を代わらせるのも、謝罪でなく感謝を伝えるのも、遠慮のない言葉を向けるのも。
全部、トーマスだけだ。
寄り掛かるのではなく、互いを信頼しきったその様子が少しだけ悔しくて。
けれど。
「どういたしまして! 思ったより元気そうで良かったよ」
にっこり笑って、嬉しそうに声を弾ませて、友の復調を喜ぶ姿はあまりにも一途で。
「トーマスも、無事で良かった」
遍く愛する世界の一部として、けれど横に並ぶ者として認めあった姿はあまりにも眩しくて。
「当たり前だろー。僕は死なないよ、」
互いに言い合う唯一の約束はいつだって破られることはないから。
「(しょうがないなぁ、もう)」
リナリーは今日もこうして、笑って肩を竦めるのだ。
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