燔祭の羊  
   <ハンサイノヒツジ>  









Another story「誰がため」









途切れないアクマの血の弾丸。
応えるような、連続した爆発の音が聞こえた。
びくりと肩を跳ね上げ、そちらに脅えた目を向ける。
間違いない、あれは「福音」だ。

「っつ、ぅ……」

傍らから聞こえた呻き声に、はっと意識を引き戻された。
は屈み込む。

「もう少しだけ、頑張って。今、固定するから」

探索部隊員が、脂汗を浮かべながら頷いた。
残りの三人は、掠り傷だ。
結界装置を壊されて、よく生きていてくれたと思う。
は落ちていた木切れを拾い上げた。
彼の折れた腕にそれを添えたまま、腰のポーチから包帯を取り出す。
緩やかなウェーブがかかった金髪が、肩を滑った。
轟音。
背後からの風に、髪が揺れる。
探索部隊達の悲鳴。
振り返ると、レベル1のアクマが二体、此方を見ていた。
アクマなんて怖くない。
仲間が死ぬ方が、ずっと怖い。
私がやらなきゃ。
私がやらなきゃ、だって、

――私は、黒の団服を着た、エクソシスト

悲鳴を飲み込んで、がたがたと震える左手を伸ばす。
怖い。
呼吸が荒くなる。

「いっ、の……せんす……っ」

銀色のブレスレットは、光らない。
背後の絶望を、全身で感じた。
砲口が此方に向けられる。
涙が込み上げる。
は、叫んだ。

「イノセンスッ!」

――輝きを目にする前に、アクマの断末魔が聞こえた。

「邪魔だ!」

結い上げた黒髪。
気高い横顔が、爆風の向こうから現れる。

「戦わねぇなら引っ込んでろ!」

探索部隊が安堵の息をつくなか、は唇を噛み締め、頷いた。
今は、悔やむよりも出来ることを。
任務に出る度、いつも自分に言い聞かせている言葉を、今日も胸の内で呟く。
手放してしまった木切れと包帯を、もう一度探索部隊の腕に添える。

「……、」

痛みを堪えた滲むような声が、名を呼んだ。
目を上げると、眉根を寄せた隊員がに微笑んでいた。

「手当て、ありがとう」

そんな優しい言葉を、与えられる資格は無いのに。
浮かんだ涙を見せないように俯いて、首を振って返す。
手早く、しっかりと包帯を巻き、端を結んで留めた。
離れた場所からは止めどない爆音。
「福音」か、「六幻」か、考えたくはないが、「聖典」かもしれない。
が盾を張っていこうとしたのを止めたのは、神田だった。
彼がのことを信頼してくれた訳ではないと、知っている。
の身を案じたのだ。
優しい人だと思う。

「ニン、ゲン……殺ス……」

の大好きな二人が、戦っている。
優しい仲間が、背後にいる。
怖い。
けれど。
近付くレベル1へ向けて、はもう一度左手を伸ばした。

「イノセンス……『神の命令(サリエル)』ッ!!」

ブレスレットが、輝いた。
十字の飾りがぐんと膨らみ、銀色の大鎌が現れる。
震えながら、柄を掴んだ。

「――ひっ……!」

ちらり、ちらり、と視界に雪が舞う。
こんなに晴れた春空の下で、現れるはずの無いものだと、知っているのに。
アクマが迫る。
降りしきる雪の中、大きく鎌を振るった。
逃げられた、でも、後ろには決して行かせない。
雪が降る。
大嫌いな雪が降るこの景色の中で、はもう一度、鎌を振った。

「ッ!」

一体のアクマを切り裂いた。
けれどその後ろに、また一体。
返す刃で狙いを定めるも、上手く当たらない。
砲口と向き合う。
恐ろしくはない。
恐ろしくなんかない。

さん!」

体を竦ませる、この幻の雪さえ、無ければ。

「――火炎弾!」

空気を切り裂く鋭い声、低い発砲音、唐突な温度上昇、爆発。
四散して燻るボディの向こうから、降り積もる雪の向こうから。
と全く同じ、けれど全く違う黄金が駆けてきた。

様!」
「嗚呼、様……!」

隊員達の声が、明るく色付く。
の横を過ぎて、探索部隊達を窺った。

「皆、……良かった、無事だね」
「は、はい! あの、アクマは……」
「もう大丈夫だよ。本部に連絡を」
「畏まりました!」

頼む、と柔らかく言い置いて、彼の手がの肩に掛かる。

「よく頑張った、

雪の中で、兄が優しく微笑んでくれた。
その笑顔を、ぼう、と見つめた。

「……お兄ちゃん」
「うん」

抱き締められて、堪えた涙が零れ落ちる。
イノセンスに向けていた意識を、切り離した。
雪が、かき消える。
の背に、手を回してしがみつく。

「大丈夫、何も怖くない。俺がついてるよ。大丈夫、大丈夫だ」

肩に顔を埋める。
小さな子供のように、恐怖を吐き出したい一心で、ただただ声をあげて泣いた。
だから、兄がふ、と瞳を翳らせたことには、気付かなかった。









少女の泣き声の合間に、荒い呼吸が聞こえて。
駆け寄った時には、妹の身を抱き締める腕の力が弱まっていて。
そうして後悔したことは、何度あっただろう。

「神田、くん?」

背後から、小さな声が聞こえた。
その怯えきったような様子が、腹立たしい。
肩越しに振り返り、ち、と舌打ちを溢す。

「何だ」
「う、ううん、別に……何、してるの……?」
「見りゃ分かんだろ」
「うん……」

神田は再び木刀を握り、素振りを始めた。
以前なら、すかさず茶々を入れる彼女の兄の姿も、此処にあったというのに。
ちらと様子を窺えば、が木の根元に膝を抱えて座っている。
俯いて、伏し目がちに地面を見ていた。
が肩代わりしていた任務の一端が、彼女に戻されるようになって、一年近くが経つ。
それでも、の同調率は依然低いまま、兄のサポート無しでは戦場での発動も儘ならない。
結局、の任務を減らすという目的は、遂げられていないのだ。
けれどコムイは、文句を言わない。
共に任務に出た探索部隊達も、表立っては何も言わない。

「(甘すぎんだよ)」

それでは、意味が無いのだ。
最もを溺愛している筈の彼が、この措置に頷いた意味が、無くなってしまう。
神田は素振りをやめて、振り返った。
地面に木刀を突き立てて、放り投げるように言った。

「アイツのとこ、行かねぇのか」

帰還してから、はまだ一度も目覚めていないと聞いた。
そう、てっきり彼女は付き添っているものだと思っていたのに。
が、膝に顔を埋めて答える。

「……今、治療中、だから」

神田は舌打ちを返した。
兄の容態が悪化すると、彼女はいつも病室を離れる。
傍にいればいいと、医療班は彼女に言うけれど。
が妹に強がるのと同じように、もまた、兄を前にして泣きたくないだけなのだ。
涙なんて、任務で散々見せている癖に。
自分のイノセンスが怖いなどと、エクソシストらしからぬことを言っては、泣く癖に。
そのくせ、

――決して目を逸らそうとはしないから

自分の不甲斐なさからも、恐怖の根源からも、信じたくない現実からも。
決して目を逸らさずに、向き合おうとするから。
こんなに鬱陶しいのに、もう一声、掛けてしまうのだ。

「だったら、油売ってる場合じゃねぇだろ」

神田は、木刀を地面から抜いて、彼女の足元に投げた。
濡れた漆黒が、乱れた黄金の間から覗く。

「甘ったれんな。泣いてる暇があんのかよ」

僅かな沈黙の後、彼女は鼻を啜って立ち上がり、スカートの土を払った。
木刀を拾って、刀とは違う持ち方で握り締める。
相手の心を見透かすような、それでいて包み込んでしまうような、の瞳とは違う。
愚かな迄の一途さで、苛烈に心を射抜くの瞳が、神田を見上げた。

「……うん」

本当は、分かっている。
問題の原因は、彼女の心の中にあるのだから、型だけ練習を重ねても、上手くはいかない。
こればかりは、神田にはどうすることも出来ないが、せめて。

――いつ、俺が居なくなっても――

自らを礎と心得る、あの馬鹿な兄貴の願いのために。
彼女を想う、優しすぎる団員達のために。
いつまでも自分を赦せない、彼女自身のために。

「あの、これ、借りるね」

彼女が、戦い切れるように。
彼女が、生き残れるように。

「ちっ……終わったら返せよ」
「うん、ありがとう」

立ち止まる背中を、蹴り飛ばすくらいのことは出来るだろう。










131114








   BACK