燔祭の羊
<ハンサイノヒツジ>
07.あげない
酒場の喧騒を蹴散らすように、クロスは笑い飛ばした。
「お子様はジュースにでもしとけ」
「はぁ? 俺、何で来たの」
「オレを引き立たせる為だろうが」
「ふざけんな」
苛々と辛辣な言葉を飛ばしながら、がジュースのコップを手に取る。
その横に座った女が、豊満な胸を半ばまで曝け出しながら弟子に身を寄せた。
「もう、クロスさんったら分かってないわねぇ。背伸びしたいお年頃でしょう?」
ねぇ? と華やかな笑顔を向けられたが、愛想笑いも見せずに距離を取る。
反対側に座っていた女にも似た笑顔を向けられ、彼は辟易した様子で溜め息をついた。
どぎまぎしている素振りはまるでない。
「はん、可愛くねェな」
クロスは左側に侍る女を引き寄せ、肩を抱き、膨らみに手を滑らせた。
嫌々と言いながら身を擦り寄せる女の耳元に戯れのキスを落とすと、小さな歓声が上がる。
いい香りだ。クロスは満足して、ニヤリと笑った。
弟子を見遣る。
黄金色の彼は相変わらずの仏頂面で、冷たく此方を見ていた。
「(ちっ、何だってんだ)」
そろそろにも、世間一般の楽しみを教えてやってもいいだろう。
そう思って、折角行きつけの店に連れてきてやったというのに。
クロスはぴくりと眉を顰める。
この店は悪くない。
酒も美味いし、女も顔やスタイルだけでなく、気配りが上手い。
初な少年相手でも、十分に楽しませてくれるだろうに。
ましてや、彼女たちは随分前からを見てみたいと言っていた。
念願叶った今日は、最大限のもてなしにあっている。
だというのに、この弟子の仏頂面は何だ。
教団にいるときはこんな顔は滅多にしない。
女に体を寄せられたなら、漂う香りやその柔らかさに委ねてしまえば良いのに。
大体、事に及べばいたって初々しく、愛らしく甘えてみせるくせに。
「(まさかこいつ、女に興味ないのか?)」
愛を囁いてくる女を適当にあしらい、適度に絡み合いながら、クロスははたと思い至った。
冷や汗がこめかみを伝う。
弟子を盗み見れば、冷たい伏し目で女たちの媚びる声に適当な答えを返している。
「(いや、本当に……?)」
もしや本当に、女に興味が無いのだろうか。
いやいや、とクロスは首を振った。
村では将来の結婚相手も決まっていたと聞く。
ならばまるきり興味が無いともいえないのではないか。
「(けどそれは……ガキの頃の話だろうが)」
もう一筋、冷や汗が伝った。
クロスが欲望を抑えきれず、そしてが懇願してきたあの時。
二人の奇妙な関係はそこから始まった。
まさかアレが、から女への興味を奪ってしまったのか。
「クロスさん? クロスさんってばぁ」
「おーい、マリアン様ー?」
「もう、どうしちゃったのかしら……」
猫なで声は耳を掠めている。
しかし今のクロスにとっては、雑音でしかなかった。
「(オレのせいじゃねェか!)」
自分に殴りかかるモージスの幻覚まで見える。
ああ、どうか許してくれ。
酒と思考の渦に巻かれて、クロスは頭を抱えた。
「やっぱ俺も何か飲みたいな」
「えっ、でも」
「大丈夫、師匠こっち見てないし」
だから、弟子と女たちの会話に反応するのが一瞬遅れた。
気付いたときには遅すぎた。
が注がれた酒を一息に煽り、グラスを置く。
「い、意外と飲み慣れてるのね」
呆気に取られる女に、がふわりと笑い掛けた。
「そんなこと無いよ」
それだけではない。
空気が、ぐっと束ねられる。
クロスには分かった。
弟子は今、自ら意識して空気を縛り付けたのだと。
教団でも、余程の恐慌状態を鎮める為でなければ使わない手法だ。
耐性の無い者が目の当たりにしたら、意識を根こそぎ持っていかれてしまうだろう。
事実、クロスですら一瞬唾を飲み込み、グラスを落としかけた。
笑顔の直撃を受けた女は、大して酒も入っていないのに真っ赤な顔で口を開閉している。
反対隣にいた女はグラスを落とした。
クロスの横の女たちはグラスからワインが零れているのも気付かずボトルを傾け続けている。
「(おいおい……)」
いつの間にか煙草は燃え尽きて、灰皿の中で最後の火を燻らせていた。
何とか握り締めたグラスからは、結露した水がぽたりと垂れる。
膝に落ちた水を適当に払い、クロスはごくりと唾を飲み込んだ。
が機嫌よく笑って立ち上がった。
先程まで座っていたソファに片膝を掛け、赤面する女に覆い被さるように背凭れへ手を着く。
空いている手が、彼女の頬に触れた。
「ねぇ」
このたった一言が、全員の鼓膜を揺さぶる。
「大人だったら、この後朝まで何をするの? お姉さん」
「えっ、あ、そ、そうね、それは……、」
息も絶え絶えに言葉を詰まらせる女の耳許に、彼は顔を寄せた。
「『背伸び』させてよ」
甘く若い囁きが、クロスと女たちの呼吸を完全に奪う。
一足早く生還したクロスに、ちらりと漆黒が向けられた。
そして、ニヤリ、と。
「(アイツ……!)」
その悪ぶった笑みは、まるで自分そっくりで。
頭にかっと血が上る。
何を思ったか、最初に散々からかったのが悪かったのか、この弟子は自分を挑発している。
気付いたクロスは眉を跳ね上げ、立ち上がった。
「帰るぞ、!」
「ったく、何やってんだお前は」
「そっちこそ。俺だって興味が無い訳じゃないんだよ、流石にさ」
その言葉には若干の安堵を覚えたクロスだったが、取り敢えず先行く金色を軽く叩く。
いてっ、と身を竦めたが頭に手を遣って振り返った。
「大体、師匠が悪いんだからな」
「ああっ? どの口が言ってやがる、どの口が」
まだ柔らかい頬を摘まんで両側に引っ張る。
痛い痛い痛い! すぐさま上がった悲鳴に、限界まで引っ張った頬から手を離した。
赤くなった頬を擦りながら、はぷいと顔を背ける。
「……どうせ、女の人の方がいいんだろ」
豊かな赤髪の下、クロスの耳が熱を持った。
(主人公15歳)
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