燔祭の羊
<ハンサイノヒツジ>
2nd.Anniversary「近付く」
「兄さん、」
「ちょっと、待ってろ……今、上がる方法考えるからな」
兄弟子の右手が、赤い左手を、堅く掴んでいる。
アレンは彼を見上げた。
視線を感じたのか、彼はアレンを見下ろして微笑んだ。
「大丈夫」
再び頭上に目を遣ったに倣い、アレンも更に上を見る。
縁を掴む彼の左手が、小さく震えていた。
あ、と思ったときにはもう遅かった。
師の帰りを待ちながら、教会のテラスで日に当たっていた二人。
その柔らかな時間を、アクマの下卑た笑い声が唐突に壊した。
がス、と銃を構える傍で、アレンは慌てて左腕を発動させる。
アクマ達も、どちらの人間が半人前なのか、すぐに分かったのだろう。
自分に迫ってくるアクマ。
上手く間合いを取れずにもたつきながら、何とか二体のアクマを壊した、その時。
兄弟子の鋭い声が飛んできた。
「アレン!!」
背にあった手摺が、傾く。
足場が消える。
がくん、と下がる視界。
茫然と伸ばしたまま、発動の解けた左手。
宙へ躍り出る金色。
――そして、今に至る。
兄弟子は、アレンの手を掴むために自らも片手で壁の縁にぶら下がっている。
繋いだ手の弛みを、再び堅く握り直された。
歯を食い縛る音が、重みを堪える呻きが余りに申し訳なくて、アレンは俯いてしまった。
地面に叩き付けられた手摺が、粉々になっているのが見えた。
「アレン」
掛けられた声に、慌てて顔を上げる。
「っ、はい」
「手、もう少し、強く掴んでくれないか?」
「……っ」
真剣な眼差しを左手に向けたまま、彼が言った。
頬を汗が伝っている。
浅い呼吸。
いくらでも、片腕で支えられる重みと時間には限度がある。
かといって、此処から落ちれば、二人とも無事では済まないだろう。
アレンは、手を握り返すことが出来なかった。
自分なんかの為に、兄弟子が危険を冒すなんて。
――この手を離してしまおうか
でも、歩き続けるって、約束した
――この手を離してしまおうか
でも、歩き続けるって、マナと、
「離すなよ」
気付けば、がアレンを見下ろしていた。
漆黒は、息が止まるほどに苛烈な厳しさを孕んでいる。
「お前が、俺の手を離すつもりなら、俺も壁から、手、離すからな」
「どうして、」
「弟を見捨てる訳ないだろ」
大丈夫だ、と彼は言い切る。
「俺は絶対離さない。だから、お前も離すなよ、アレン」
痛い程に握られた手が、顰められた眉が、低められた声が。
頼っていいのだと。
甘えていいのだと。
委ねていいのだと。
力強く、熱く胸を打つ。
アレンはおずおずと、その手を握り返した。
が、ふわりと微笑む。
「もう少し、頑張れ」
「! アレン!」
遥か上の方から、師の怒鳴り声が聞こえた。
兄弟子は、クロスが上がってくるのが見えていたらしい。
驚くアレンに笑い掛け、彼は上へ声を張った。
「師匠!」
応えるように、足音が近付いてくる。
すぐに、仮面に隠された顔が二人を覗き込んだ。
「何してんだお前ら」
「ごめんなさい」
小さくなったアレンは、苦笑気味のと声を揃えて謝った。
「、持ち上げられるか?」
「たぶ、ん……っ」
が、力む声に合わせて僅かにアレンを持ち上げる。
伸ばした右手を、師が思いきり引いた。
「うわ、」
急浮上。
思わず暴れると、脇を掬って抱き上げられる。
ぽいと床に放られ、強かに腰を打ち付けた。
頭にも拳骨を食らう。
「痛っ!」
涙に滲んだ視界の奥で、クロスがの左手を掴み、引き上げた。
テラスに座り込んだが息をつき、左肩に手を当てる。
「あ……肩外れた」
「ああ? ったくこの、馬鹿タレ」
金色を殴り、呻く暇も与えずに彼の肩を嵌めたクロス。
その光景に青ざめながら、アレンは二人の傍に寄った。
「兄さん、大丈夫ですか?」
「ん、平気平気。お前は? 怪我無いか?」
「はい。あの……さっきは、すいませんでした」
小さな声で謝ると、彼はさらりと笑って首を緩く横に振った。
傾き始めた太陽の光に縁取られたその笑顔が、眩しくて、温かくて。
知らず知らずのうちに、アレンも笑顔を返していた。
(主人公15歳)
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