燔祭の羊
<ハンサイノヒツジ>
24'Birthday
昨日、同い年の三人は偶然非番が重なった。
そうだ、お湯掛け大会の記念すべき第十回戦をしよう、そう持ち掛けたのはラビだ。
が乗り気になって、神田を引きずって連行してきた。
お湯掛け大会は、最近三人が揃うと必ず行う競技である。
無人の風呂場でたっぷり体を動かすので、意外と体力が必要だ。
滑って転んでは洒落にならないので、繊細な足運びも要求される。
このスリリングさが、いい。
(因みにブックマンは悪ガキ共の悪ふざけと言った。)
各々着替えを取りに部屋へ戻り、満を持して脱衣所へ。
遅れて現れたを見て、ラビは絶句した。
気を取り直して呼びかける。
「?」
首を傾げながら振り返った彼の唇には、驚くほど血の気がない。
けれど本人は機嫌よく笑った。
「何? ゴミでもついてる?」
「あ、いや……」
自分から招集をかけておいて、今から大会の中止を提案するのも変な話だろうか。
でも、とても浴場で暴れるつもりの人間の顔色ではない。
しどろもどろになり焦るラビの心境とは裏腹に、彼は鏡を覗いてにこやかに首を振る。
「なんだ、何もついてないじゃん」
そう言って服を脱ごうとするので、思わず手を掴んだ。
「待て待て待て……」
「なんだよ」
「大丈夫さ? 。やっぱり今日はやめとく?」
「は? なんで、せっかく三人揃ったのに?」
「だってめちゃくちゃ顔色悪いさ」
が黒い大きな目を見開いて、ちらと鏡を見た。
そして再びラビを瞳に映す。
「普通だよ」
「どこが! なあ、ユウも言ってやれよ!」
助け舟を求めて黒髪の剣士を見遣れば、彼はとっくにタオルを腰に巻いていた。
顔を上げ金色を暫し目に止めた神田は、眉頭に一度グッと力を込めてから、ふいと顔を逸らした。
「さっさと来い、お前らがやるっつったんだろうが」
そうしてスタスタと浴場に入ってしまう。
「ほら、早く始めよう。じゃないと、他の人が来ちゃうかも」
も何事もなかったかのようにあっさり上着を脱いでしまった。
結局ラビはそれ以上何も言えぬまま、彼の後に続いてすごすごと風呂場に足を踏み入れたのだった。
――大会は白熱した。
発起人であるラビのやる気がないと見るや、残りの二人が手を組んで集中的にラビに湯を掛けてきたのである。
となれば、ラビだって負けてはいられないので、必死に抵抗する。
勝敗は左腕に巻いていたタオルを絞って出た水の量で決する。
抵抗も虚しく、負けたのはラビだ。
脱衣所で二人の肩を揉まされることになり、トホホと項垂れて浴場から出ようとした、その時。
「あ、まずい……」
不意にが呟いた。
声を聞くなり、舌打ちと共に手を伸ばしたのは神田だ。
金色がふらりと傾いだ、ぴったりのタイミングで脇に手を入れて腰を下ろさせる。
流れるような見事な対応には、「お見事」と言わざるを得ない。
駆け寄ったラビが言葉を発する前に、金色はそれを遮るように笑う。
「ごめん、ちょっとのぼせた……」
そう言う顔は、のぼせたとは真逆の色合いをしている。
細かく震える指先を見遣るが、ラビが何かを言う前に神田が口を挟んだ。
「立てるか」
「待って」
明瞭な口調で答えたが、細かく震える指先を握り、開くこと数回。
「いける」と一言返した彼は、神田に持ち上げられるようにして立ち上がったのだった。
――朝食の場で神田の目の前の席にどっかり座ったラビは、昨日の風呂場での一幕を思い出して思わずぼやいた。
「ユウちゃんはに信頼されてるよなぁ」
「くだらねぇ」
呆れ顔を上げた相手は、ラビの言葉を一刀のもとに切り捨てる。
「オイ、そんなことより、ファーストネームで呼ぶな」
「ユウちゃんが手を貸すと素直に借りるじゃん、アイツ。オレはどーも断られがちさ」
ラビは首を捻る。
脱衣所での自分の声は蔑ろにされたのに、神田の手は、彼は断らなかった。
何が違うのだろう。
聞こえてんのかクソウサギ、と毒づいた神田が鼻を鳴らした。
「テメェのやり方が鬱陶しいんだろ」
「はぁっ!? 心外さ!」
「壊れ物みたいに扱いやがる。そういう輩には目に見えて冷たいからな」
「壊れっ、いやだってそりゃあ、……だぜ?」
「お前にはアイツがどう見えてんだ。死ぬまで死なねぇよ」
「そりゃあ死んだら誰だって死ぬさ」
神田は心底どうでも良さそうな顔をしながら蕎麦をつゆにつけ、啜る。
彼は蕎麦を啜るのが上手い。
南瓜の天麩羅を二つに割りながら、片手間に独りごつ。
「元帥も言ってた。アレは死ぬまで死んだと悟らせない」
「元帥って? ティエドール? クロス?」
聞けば、クロスの方だという。
「(死ぬまで死んだと悟らせない?)」
死に際を見せない、ならば分かる。
猫のようだと笑うだけだ。
けれどどうも意味が違う。
咄嗟に聞き返す前に、ラビは頭をひねった。
本人が死ぬまで、こちらは死ぬことに気付けない、ということか。
「それは、……が、……めちゃくちゃ負けず嫌いだからか?」
そう、あの金色は、普段は穏やかな表情をするくせに、時折むきになって勝負にのってくる。
勝負事にはめっぽう強いので、むきにならずとも勝ちをとれるというのに。
強気で勝気で、やたらと挑発的に振る舞うことさえある。
それは、親しく話すようになってすぐに見つけた、彼の人間らしい一面でもあった。
神田は、蕎麦を飲み込みつつ頷いた。
「……分かろうとか、思う方が無理だ。本人が弱音を吐くまでは放っとけ。だいたい、」
パチンと箸を置いて、神田は呆れたように溜め息をついた。
「アイツは、お前にも弱いところを見せるだろ」
「へっ……? いや、んなの見たことねェさ……」
「察しの悪いヤツ」
鼻で笑われ、ムッとしたその時だ。
食堂の空気の、色が変わる。
空気がざわめく。
空気がざわめくだなんて、黒の教団に来るまで聞いたことも体感したことも無かった。
導かれるように目を向ければ、にこやかに手を振る姿がある。
が、林檎一個を片手に神田の隣にあっさり座り、微笑んだ。
「おはよう。うーん、よく寝た!」
「はよ。あー、えっと……」
今までの話の流れでどのように声を掛けるべきか、ラビは一瞬悩んだ。
口からは、自分らしくもない素直な言葉が引きずり出されてしまう。
「その……昨日の今日だろ、もう平気なんさ?」
「ん? うんっ」
普段の超然とした神々しさはどこへやら、本人は近頃見なかった晴れやかな表情だ。
隣に座られて迷惑そうに顔を顰めていた神田も、流石にぱちりと瞬きをして驚きを露わにした。
そして、得心したようにひとつ頷く。
「ああ、もう十二月か」
ラビも合点がいった。
聞くところによると、は自分の誕生日を厭うあまり、十一月はなにかと過敏になるのだという。
要らぬところに気を回しすぎて、調子を崩していたのだろう。
林檎をそのまま齧って、もぐもぐと噛み締め、金色は嘆いた。
「せっかく風呂の気持ちいい季節なのに、これから任務なんだよなぁ。ユウも任務だって?」
「ああ。昼からフランスだ」
「そ。俺はポルトガルだって」
昨日の今日で任務とは、忙しないものだ。
しかしそれが、黒の教団の日常である。
つい難しい顔をして、そしてラビはふと気付いた。
死ぬまで死んだと悟らせない、ということは。
「(そっか。昨日の今日だけれど、……それは、オレらしか知らねェのか)」
黙り込んだラビを見て、何を思ったかが悪戯に笑う。
「ラビのリベンジは、しばらくお預けだな?」
「(……分かりにくくて、ちょっと面倒な、困ったヤツ!)」
神田に笑われるのも当然だ、確かに察しが悪かった。
けれど、彼のペースに慣れるには、自分ももう少し時間が必要だ。
ラビは力こぶを作って笑顔で応じる。
「次の大会は、オレの大勝利にしてやるさ!」
241202
書きあがりが遅くなったので、11月と12月の狭間のお話にしました。