燔祭の羊
<ハンサイノヒツジ>
22'Birthday
リナリーの誕生日が近付くと目に見えて浮かれるのが、兄のコムイだ。
近付くというよりは、誕生日が終わるとすぐ、次の誕生日を目指して計画を立てているらしい。
そんなに前からお祝いの準備がなされているなんて恥ずかしいけれど、嬉しいことに変わりはない。
リナリーだってコムイの誕生日に向けてあれこれケーキの研究に励んでいる。
けれど、コムイの方がそれに気付いているかは不明だ。
毎度「こんなに祝ってもらえるとは思わなかった」という顔をされる。
リナリーからの想いには興味が無いみたいで、それは少し癪だ。
「ジェリー達は、今年はどうするの?」
さて、今日のお茶会の議題は十一月のイベントについてである。
リナリーにとって第二の兄ともいえるの誕生日が近付いているのだが、未だノープランなのだ。
「一応、去年から温めてる企画があるのよ。だけどそもそも、十一月生まれってことしか知らないじゃない?」
リナリーが第二の兄として慕うの誕生日は、十一月だ。
それしか知らない。
本人が祝わなくていいと言い張るからだ。
「うん。だから皆、毎年一ヶ月ずーっと盛り上がっちゃってるよね」
本当は気付いている、その慶ばしい日は十一月の中旬であると。
けれど、正確な日付はクロス・マリアンしか知らない。
それをいいことにサポート派、とりわけ探索部隊は毎日お祭り騒ぎで楽しそうにしている。
どんな理由であれ、団員がパーティーなどで楽しんでいる姿を見るのが、は好きなのだ。
だからそのお祭り騒ぎを止めるのは忍びない、けれどやはりあまり嬉しくはないといったところか。
去年のは、十一月に立て続けに任務を引き受けて極力教団に帰らないようにしていた。
「そ。やることは決めてるんだけど、タイミングが難しいのよねぇ」
――お兄ちゃんがあんまり喜ばないなら、お祝い、しない方がいいのかな?
リナリーは、以前コムイに相談した。
正直、教団員全員の誕生日は知らないから、全員の誕生祝いをしている訳では無い。
大々的に祝ったりされない人もいるのだから、もそうして触れない方がいいのだろうか。
兄は眼鏡の奥の目を丸くして、パチパチと瞬かせた。
「リナリーは、お祝いしたくないのかい?」
「したいよ! だって、お兄ちゃんが生まれて、私達と出会ってくれたことが嬉しいもの」
答えると、コムイは眼鏡を外した。
目頭を軽く揉み、それから微笑んだ。
「なら、祝ってあげようよ」
「でももし嫌がってるなら……悪いかなって、思って」
黒の教団に集う人々は、様々な経歴を持ってこの場にいる。
多くの人が胸の内に辛い過去や悲しい別れを抱えている。
の「これまで」をリナリーは知らない。
知らないからこそ、迂闊に触れることは躊躇われた。
コムイは、そんなリナリーの気持ちを丸ごと分かっている表情で頷く。
「うーん、どうもボクには、が祝われることに引け目を感じてるように見えるんだけどね」
「……引け目」
なにか嫌な思い出があるのか。
そう考えたことはあったけれど、引け目という言葉は思い浮かばなかった。
「そう。でも、それならなおさら祝ってあげるべきだと思ってるよ」
「どうして?」
「だって、彼の主張を受け入れることになっちゃうじゃないか」
リナリーが首を傾げると、コムイはまた眼鏡をかけ直した。
「誕生日に、引け目を感じる必要なんてない。彼が分かってないなら、何度でもそう伝えてあげなくちゃ」
この世に生まれて、今生きていることを皆から祝われる、ボク達の素晴らしい仲間だよ、って。
得意げなウィンクと共に軽やかに言われた言葉を、リナリーは思い出して、噛み締める。
「……めいっぱい、楽しんでもらわなきゃね」
ティーポットの中の茶葉を覗いていたジェリーは、リナリーの声に顔を上げてニヤリと笑った。
「今年の厨房の計画、聞く?」
「えっ、なになに?」
楽しい話のはずなのだが、その悪そうな顔。
気になる。
「誤発注っていう名目で、大量に林檎を仕入れて、フルコースを振舞おうと思って」
「林檎のフルコース? 前菜から、デザートまで?」
「そんな格式ばったものじゃないけどね。作れるだけ多くの林檎料理を、テーブルいっぱいに並べるのよ!」
どう? と胸を張るジェリー。
リナリーは想像した。
食堂のあの長机の、端から端まで全部違う林檎料理が並んでいたら?
そもそも、デザート以外の林檎料理なんてリナリーは思いつかない。
それでもこのジェリーがやるというなら出来るのだろう。
ああ、どんな方法で調理をしたとしても、きっと食堂中に甘くて少し酸っぱい林檎の香りが漂うのだ。
「それ、お兄ちゃん、絶対喜ぶよ!」
アップルパイの香りもいいけれど、きっと焼き林檎の香りが勝つだろう。
こんがりと焼け、少し柔らかくなった果肉。
想像だけで美味しい、バターと砂糖とシナモンが混ざりあった甘い汁がじゅっと口の中に溢れてくる。
「リナリーも、そこに加わってみない?」
「わ、私も?」
甘い空想から引き戻される。
ジェリーは大きく頷いた。
「そっ! 料理人総出でメニューを考えてるんだけどねぇ、デザートまで手が回らないのよ」
「まさか! それは謙遜しすぎだよ、ジェリー。デザートから思いつきそうなものじゃない?」
ジェリー達が林檎のデザートを思いつかないわけが無い。
それだけで長テーブルを埋め尽くすことの出来る優秀な料理人達だ。
「大変なのはそれ以外よ。食事のメニューをあれこれ考えてたら、逆にデザートをむしろ絞れなくって」
「……思いつくやつ、全部作っちゃったら?」
それには流石に林檎が足りないのよ、とジェリーは眉を下げて笑った。
「出来れば滅多に作らない食事の方に力を入れたいじゃない。でも、デザートは必要でしょ?」
「もちろん、あったら嬉しい……そっか、たくさん作るのも、絞り込むのも、同じくらい大変なのね」
「そ。だからね、デザート部門のメニューを絞り込んで欲しいのよ。それで、」
ジェリーの手が、リナリーの手をぎゅっと握る。
「リナリーの創作デザートもそこにドドンと並べちゃうってのは、どう!?」
確かに、リナリーはいつ任務に呼び出されるかも分からない身だ。
このノープランの状態から、あまり手の込んだ準備は出来ない。
今年も、一番自信のあるチョコレートケーキでいくしかないと思ったけれど。
「チョコレートケーキじゃなくても、……美味しく作れるかなぁ」
「当然よ! リナリー、アナタのお料理の師匠は誰?」
「それはもちろん、ジェリーよ」
サングラスの奥の瞳は、リナリーを煽てるのが本当に得意なのだ。
不安な気持ちも、全部ひっくり返されてしまう。
――降参だ。
「……今年の誕生日プレゼントは、これで決まりね」
「いやん、まだ決まりじゃないわ、リナリー」
「そうね、これから一生懸命考えなきゃ!」
さあ、厨房のメンバーが一年がかりで考えた計画に乗っかるならば、下手を打つ訳にはいかない。
試作品は二回くらい作りたいし、科学班のメンバーにも味見をしてもらわなければ。
リナリーがぐい、と紅茶を飲み干すと、ジェリーも茶器を盆に載せた。
「続きはキッチンで相談しましょ!」
「賛成ー!」
喜ばれないかもしれないけれど、美味しいと言わせてみせる。
美味しかったからまた食べたい、と。
また作って欲しい、と。
「また今度」の言葉を引き出してみせるのだ。
「厨房の作戦の日、任務入らないといいなぁ」
うん、未来を楽しみに過ごせるって、悪くない。
2017'Birthday前日譚
221114