燔祭の羊  
   <ハンサイノヒツジ>  









16'Birthday









本格的な冬の到来を前に、今日は穏やかな日が射していた。
来る十二月の祭典へ向けて、準備を進める広場の隅で、一人の少女が跳び跳ねるように駆け回っている。
道行く人を捕まえては、笑顔で声を掛ける少女の振る舞いが微笑ましくて。
リナリーはふふ、と声をあげた。

「どうしたの」

戻ってきたが首を傾げる。

「お兄ちゃん」
「楽しいことでもあった?」

彼はカップを二つ、器用に片手で持っていて、リナリーはその片方を受け取った。
生クリームに遮られて中身が分からない。
香りから判じると、大方、カプチーノだろう。

「あの子、さっきから色んな人に話し掛けてて。なんか、すごく嬉しそうなの」

が首を巡らせた。
彼のカップの中身は、一見、泡立てたミルクのようだが、コーヒーの香りが風に運ばれてくる。

「本当だ。はは、可愛いね」

言いながら隣に腰を下ろしたが、紙袋を差し出した。
受け取って、リナリーは中を確かめる。
元は花輪のような形をしていたであろうケーキが、二切れ。
飲み物を買いに行くと言っていただけだったのに。

「これ、」

何で、と問うつもりで顔を上げると、が微笑んだ。

「美味そうだったから、乾杯ついでにどうかと思って」

そう言って、彼はカップを軽く掲げる。
リナリーもそれに応えた。

「皆の無事に、乾杯」
「乾杯!」

今回の任務は、大成功と言えるものだった。
探索部隊は全員生き延び、意気揚々と次の任務へ向かったし、二人にも大きな怪我が無い。
それに。

「(顔色、すごく良い)」

が聖典を使わずに済んだこと。
それが、リナリーにはとても嬉しかった。
最近の彼は同調率の調整やら何やらで、あまり調子が良さそうには見えなかったから。
左手の手袋を口で外して、紙ナプキン越しにケーキを掴む姿も。
半分ほどを一口で食べてしまう姿も。

「うん?」

視線の意味を問う、きょとんとした顔さえも。
リナリーは安心して見惚れていることができる。

「ううん、……本当に良かったよね、救急セットも使わなかったし」
「絆創膏くらいで済んだもんな。イノセンスはまあ、空振りだったけど」
「そうだね」

でも、これでイノセンスまで発見できてしまったら、後で反動のように不幸が続くかもしれない。
イノセンスを掴むには、誰かが、何かが、犠牲になるものだから、なんて。
一瞬でもそう思ってしまった自分が、ほんの少し情けなくなった。
けれど、それさえ見透かすようにが微笑むので。

「(今は、喜ぼう)」

リナリーも笑みを返した。
今回、全員が無事に任務を終えたことは、変わらない事実なのだ。
良い思い出、良い前例にした方が、よほど次の勇気になる。

「来週くらいにこの広場に来たら、もっと賑やかだろうなぁ」
「クリスマスマーケット、って言うんだっけ。お兄ちゃん見たことある?」
「あるよ。師匠が飲み歩いてた横でね」
「ふふふ、クロス元帥の話になると、いつもそれだよね」
「いや、嘘じゃない、本当に。本当にいつでも、飲んでばっかりなんだって」

結局、ぱくぱくぱくと三口でケーキを食べ終えた彼が立ち上がった。
ぐっと伸びをするのもとに、小さな影が駆けてくる。
あれ、とリナリーは呟き、が傍らを見下ろした。
先程から広場を駆け回っていたあの少女だ。
金髪をレースのリボンで彩って、普段着というよりもよそ行きのような洒落た洋服を纏って。
少女はきらきらとした目で、彼に話し掛ける。
ドイツ語を事も無げに聞き取ったらしいが、ほんの僅か目を瞠り、そして伏せた。

「どうしたの、その子」

彼女は、広場の人々に何を伝えていたのだろう。
がいつもの微笑みを湛えて、顔を上げる。

「今日、誕生日なんだって」

自分の喜びを無邪気に表す、小さな子によくある行動だ。
尤も、リナリーにはその頃の記憶は殆ど無いのだけれど。
でも、嬉しいことはコムイや婦長、リーバー、ジェリー、皆に伝えたくなる、きっとその延長なのだろう。
が少女に向き直る。
膝をついてその手をとり、笑顔を見せた。

「Alles Gute!」

リナリーが聞き取れたのはそこまでだ。
興奮気味の少女の言葉も、流暢が過ぎる彼の言葉も、もう分からない。

「(この子、お兄ちゃんと誕生日が近いんだなぁ)」

そう思いながら、リナリーは少女に微笑みを向けた。
今月は、ことあるごとに教団の仲間達が彼を祝おうと画策している。
きっとこれから本部に戻れば、何らかの祝いの言葉があるだろう。
本当は皆、何となく分かっている。
の誕生日は恐らく、この月の半ば、丁度今頃なのだ。
隠しきれない憂鬱さも嫌悪感も、張り詰めた空気も。
いつもこの頃を境に、ゆるゆるといつもの穏やかさを取り戻していくから。
リナリーはケーキを食べ終えて、立ち上がった。
と同じように、少女の目線に合わせてしゃがむ。

「お誕生日、おめでとう」

そう言って笑い掛けると、少女は言葉の意味を察したのだろう、頬を染めてリナリーに抱きついた。
慌てて受け止める。

「Danke!」

耳元で聞こえた明るい言葉は、に翻訳してもらわずとも察することが出来た。
親の元へ駆け出す少女を、手を振って見送る。

「俺達も、そろそろ汽車の時間かな」

脇に置いていたカップを取り上げて、ぐいと飲み干す彼を見上げ、リナリーはほんのり微笑んだ。

「お兄ちゃん」
「何?」

此方に目を向ける彼が、無下にすることも出来ず、けれど上手な笑顔を返すことも出来ずに。
困ったように眉を下げることを、知っていたけれど。

「お誕生日、おめでとう」

それでも、リナリーが、仲間達が、正確には知らないその日にどれ程感謝しているかを伝えたくて。

「……うん、ありがとう」

いつかその言葉に、あなたの実感が伴いますように。










161114