April Fool's Day Revenge!!















職員室の窓は、午後の陽光をふんだんに採り入れている。
暑すぎる温もりを背にして、ティキは机に突っ伏した。
今日は散々な午前中だった。
語弊がある、今日も、だ。
噛みまくり、段取りを間違えた朝会での司会役。
伯爵大先生から、にこやかに冷たい言葉が下された二時間目。
朝のことをネタに生徒から弄られた三時間目。
そして普段は優等生なアレン・ウォーカーの、堂々たる早弁現場を目撃した四時間目。
説教をしようにも、優等生の食い意地は甚だしく、そして少年は強かだった。

「ちょっとまってください! たべちゃうので!」

せっせと重箱を掻き込み、もぐもぐしながらのたまう始末だ。
ナメてやがる。
結局厳しく言うことなど出来ずに降参してしまったのはティキの方だった。
かと思えば、ほうほうの体で帰り着いた職員室では、アレンの同居人であるイライアが彼に説教をしている。
確かに、金色の新米教師が少年を呼び出す校内放送があった。
アレンはどんな近道で職員室に来たのだろう。
そしてイライアはいったいどこでその話を聞き付けたのだろう。
アレンの方も神妙な顔をして「ごめんなさい、兄さん」などと。
「こら、学校では『先生』だ」「えへへ」「ったく……次からは気を付けろよ」などと。

「(俺の苦労は……)」
「ティキ先生」

言い様のない無力感と嫉妬心に苛まれていたティキを、イライアの声が呼ぶ。
憎らしく、けれど憎めない後輩だが、今は流石に温かな態度など取れそうもない。
ティキは生返事をして、ぐりと首を動かし、死んだ魚のような目で彼を見た。
察しろ、新人。
けれど相手は小首を傾げ、その美しい微笑みを惜し気もなくティキに向ける。

「昼飯、行きませんか?」

重箱を軽く持ち上げて言うイライアに、やはり罪などはなくて。
ティキは深い深い溜め息をついて、苦笑した。

「……だな」

とはいえ、ティキを苛める張本人、生徒達のいる食堂には行きたくない。
それを知ってか知らずか、並んで歩くイライアが進路を変えた。

「ん? なに、どこで食うの?」
「ティキ先生も五時間目、空きですよね。理科室行きましょうよ、ミザン先生しかいないし」
「おっ前、よくあいつと食う気になれるな……!」
「え?」

ミザンとイライアといえば、犬猿の仲だ。
いや、思えば、一方的にミザンがイライアを嫌っているだけだった。
日々疎んじるような目を向けられながらもよくこんな提案が出来るものだ。

「(でもあいつ、何だかんだで結構コイツのこと気に入ってるよな)」

良い意味でも悪い意味でも、そもそもミザンが他人に興味を持つこと自体が稀なのだ。
きょとんとした顔のイライアが、じーっとティキを見上げている。
いっそ生徒よりも無垢な瞳を見るのが気まずくて、ティキは顔を逸らしながら適当な言葉を探した。

「いや、なんてーの、……お前らそんなに仲良かったっけ?」
「んー……ティキ先生が元気ないみたいだったんで、ミザン先生もいたら気が楽かと思って」
「は? オイ、ちょっと言ってる意味が分かんねぇんだけど」
「だってお二人、仲良しじゃないですか!」

華やかな笑顔がティキを照らす。
見惚れたのは一瞬、慌てて叫んだ。

「待て待て待て! え!? 何か色々誤解してない!?」
「はは、そんなに照れなくたって」
「違うからー! どこがどうなるとそうなるんだよ!?」

うーん、イライアが言葉を探すように視線を上に投げる。

「どこがどうも何も、いつも一緒にいるし、こないだはプロポーズしたって聞きましたし」
「何ソレ、え、あと嘘だからな、ソレ、マジで」
「そうなんですか? 誰から聞いたっけな……」

そうそう、とお茶目に人差し指を立てて新米は笑う。
片手に五段ずつぶら下げている重箱の重さなど感じてすらいないような、軽やかな動作だ。
いつもそうだ、どんだけ食うんだコイツは。

「リナリーだ。生徒達が言ってたんですよ、ミザン先生から聞いたーって」
「はあ!?」

ティキは今度こそ真っ青になりながら叫んだ。

「アイツそんなこと触れ回ってんのか!」

目に浮かぶ、普段は微塵も見せないコミュニケーション能力を極限までフル活用している様が。
人の悪い笑顔で、或いは庇護欲を誘う儚い涙目で(きっとこっちだ)喧しい女子達に吹き込んでいる様が。
その時、目の前の戸がガラリと引かれた。
騒ぎを疎んじた内側からではない。
無慈悲な金色の神様によるものだ。

「ミザンせんせーい、昼飯一緒に食べませんかー!」

ここは校内唯一、北側にしか窓のない寒い寒い理科室である。
薄暗い室内から、気のない返事が聞こえてくる。

「職員室に戻りなさい、新米。なぜ私が貴方と」
「伯爵先生の行きつけのバー知りたくないですか」
「さあ、こちらに。お茶も出しましょう」
「頂戴します」

隣の椅子の埃をさっと手で払い、せっせとビーカーに紅茶を注いでいるミザン。
必死すぎていっそ憐れだ。
しかも伯爵先生をあれだけストーカーしておきながら、未だ行きつけの店すら知らないとは。

「……いや待て、なぜ貴方がそれを知っているんですか」
「師匠……校長から聞きました。なんでも、たまに校長も連れ立って行くそうで」
「くそっ、あの変態……!!」

扉の前で完全に置いてきぼりを食っていたティキは、糾弾したい旨を思い出し、慌てて中に入った。

「そうだっ、オイ、ミザン! 生徒に何てこと吹き込んでんだよ!」
「おや、居たんですかティキ」
「居たよ! ずっと居ました! つかそんなことより、お前!」
「何です? 私は貴方の発言をそのまま生徒に話しただけですよ」

早速重箱を一つ開きながら、イライアが訊ねる。

「実際のところ、どうなんです? ミザン先生」
「何が」
「ティキ先生からプロポーズされたんですか? ええと、『俺のために毎日メシを作ってくれ』ですっけ」
「いや、違うんだイライア、誤解すんな」
「言われましたよ」
「ミザンンンン!!!」

ティキはバンと机を叩いた。
跳ね上がったブロッコリーを、イライアが見事にキャッチして口に入れている。
ミザンがそれとなくコップ代わりのビーカーを守りながら、その向こうでにやりと嫌な笑みを浮かべた。

「何ですか騒々しい。疚しいことでは無いんでしょう? ティ・キ・先・生?」
「うっわ、何その言い方! 違うからホント! あれは! ミザンも前後の文脈から察しろよ!」
「頭から消し飛びましたね、前後の文脈なんて。何せ人生初の衝撃だったもので。しかもまさかの人物から」
「うーわーやめてくれー!」

机に突っ伏して呻くティキ。
二人からの反応は無い。
恨みがましい目を向けると、ミザンは澄ました顔で茶を飲んでいるし、イライアも無心で重箱を空けている。
かと思えば、唐突にイライアが顔を上げた。
口に物を詰め込んで、素早く机の下に屈んでいる。

「な、何してんだよ」

戸が引かれる音。

「オイ、ミザン」
「ちっ……何用ですか」
「うわあああ!」

ミザンがあからさまに眉を顰め、ティキは叫んで振り返った。
この声は間違いない。
この地を這うような低い声は。
どんなタイミングでも出会いたくない相手、赤い髪が教室を覗き込んでいる。

「てめぇ、ティキ、こんなとこに居やがったのか」
「な、何デスカ」

震える声で訊ねると、クロスががしがしと頭をかきながら部屋に一歩踏み込んだ。

「朝のことで色々言いたい事はあるがそれは置いといて……お前ら、イライア知らねェか」

ティキは救いを求めてミザンを見たが、端から彼に助けを求めることが間違っていた。
諦めてクロスに目を戻す。

「あー、いや、知りません」
「今度は何を贈るんです? まさか下着とか言いませんよね」

ミザンに鼻で笑われた校長はしかし、真顔で目を瞠った。

「よく分かったな」
「マジかよアンタ」
「通報されますよホントに」

心から冷めた気持ちになりながら、ティキとミザンこそ真顔で本音を漏らした。
二人にドン引きされたクロスであるが、そんなことは意にも介さぬ様子で逆に何やら胸を張っている。

「今更何だってんだ。子供の頃なんかお前、オレがトータルコーディネートしてたんだぞ」

自慢げではあるが、ティキとしては足元の後輩が憐れでならない。
校長が、机の上の重箱をちらと見て踵を返した。

「まあ、いい。オイ、お前ら、隠し立てした罪は重いぞ」

肩越しに、職場の最高権力者はニヤリと笑う。
ティキの背筋を凍らせるのはともかく、ミザンの顔を存分に歪ませるその笑顔は最早犯罪の域である。

「先に帰ってるぞ、イライア。直帰しろよ」

ピシャリと閉められる戸。
去り際の言葉の恐ろしさに、ティキとミザンは足元を覗き込んだ。

「……お前、めっちゃバレてんじゃん」
「……そもそも貴方、こうなると分かって何故ここで働いてるんです?」

体育座りで伏せていたイライアが、顔を上げて眉を下げる。

「……何とも、言いがたいです……」
「貴方が来なければ伯爵大先生様の愛は私が独り占めできたんですよ!」
「いや、それはねぇよ」

話にかこつけて握り拳を掲げるミザンに心底呆れながら、ティキは椅子に腰を下ろした。
実はまだ、昼飯を口に入れてすらいない。
通勤途中のコンビニで調達したアップルパイの袋を開ける。
机の下から顔を出したイライアが物欲しそうにティキを見た。

「や、やらないからな」
「……いいです、持ってきてるんで」

そう言ってまた椅子に掛けたイライアの重箱の三段目からは、ホールのパイが現れる。
二重のハーモニーを奏でるパイの臭いにミザンが鼻の前でひらりと手を振った。
パイにフォークを突き刺して、イライアが唇を尖らせる。

「余所に応募しようにも、そこかしこにあの人の手が回ってるんですよ」

ぽつりと呟かれた事実は、ティキは言わずもがな、ビーカーを持つミザンの手さえも跳ねさせた。
二人は思わず金色を凝視する。
金色は溜め息をついて、苦笑した。

「過保護なんです、ほんと」
「いや、ソレちょっと違う……」
「恐ろしい人ですね、校長……」

フォークを銜えたまま小首を傾げるイライア、さらり流れる黄金色、あざといまでの漆黒。
全てを横目に見ながら、ティキは大きく口を開けてパイに齧り付いた。

「(案外、馬鹿だよな)」



おまけ
「ところで新米、……伯爵大先生様の行きつけのお店とは?」
「『シェリル'sラウンジ』ってところだそうです。可愛いお姉さんはいないけど酒が美味いって……」
「えっっ!!」
「あれ、ティキ先生ご存知ですか?」
「シェリル……ってそれ、……多分俺のニイさんの店だ……」
「へえ! 世間って狭いですね」
「ティキ……貴方まさか知ってて黙って……?」
「はあ? んな訳ねーだろ、初耳だって」
「貴様……そうやって人のことを蔑んでいたんですね……!」
「人の話聞けって!」
「このっ、外道おおお!!」
「うわあビーカー投げんな!!」
「(もぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐ)」
「お前も何で我関せずで食ってんの!? 助けて!! お願い!!」









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