燔祭の羊  
   <ハンサイノヒツジ>  









聖女はかく語りき「愛の有無は問わない」










「ティキとの関係? 赤の他人です」
「「ひどっ」」

 自分の部屋に入ろうとしたところを、ジャスデビに捕まった。
 ジャスデロの質問に即答したら横で興味なさげにしていたデビットまで声を上げた。
 驚くようなことではない、明白な事実である。
 首を傾げると、デビットが笑った。

「いやまあ、知ってたけどさ」
「貴方がたも当然赤の他人ですが」
「家族じゃない! 辛辣! ヒィッ!」

 何が気に入ったのか、ジャスデロはツボにハマったらしく笑い転げている。
 デビットが無礼にもこちらに指を突きつけた。

「けどさ、」

 そんな無作法は、千年伯爵様にだけ許される行為だ。
 否、そもそも伯爵様の行為を許すだの許さないだの、自分が言うなんて烏滸がましい限りなのだけれど。

「そうは言うけどアンタ、結構ティキのこと気に入ってんじゃん」
「……はぁあ!?」

 戯言も限度を考えてほしい。
 これだから生きているモノは嫌いなのだ。
 嗚呼、この世に生きて存在していていいのは伯爵様だけ! 伯爵様、万歳!!
 そう捲し立てて、双子を追い払うことに成功した。
 壁も本棚も背表紙にもうっすらと霜が降りる自室。
 居心地の良い場所だと認識してはいるが、こんなにも部屋を恋しく思う日が来ようとは。

「嗚呼、伯爵様のお声を永遠に耳に残しておきたかったのに」

 千年伯爵が延々とティーポッドに角砂糖を放り込む素敵なお茶会に招かれ、天にも昇るような夢心地で過ごした昼下がり。
 あれが人生最上の時間だった。
 双子は、その時間の余韻を完全に奪っていった。

「ティキと私の関係だなんて、聞くまでもないことでしょうに、まったく」

 腹立ち紛れに、保管していた適当な右腕を適当に取り出して、メスを滑らせる。
 ノアの一族は自分たちを指して「家族」と称するが、自分までそれに乗る必要はないと思っている。
 自分を愛してくれる者でなければ、「家族」と呼びたくない――そんな思いが、焦燥がある。
 とすれば、やはり打ちのめされた自分を拾って新たな世界を与えて慈しんでくれる伯爵様以外を「家族」とは呼べない。
 けれど伯爵様と自分が「家族」だと称するのは分不相応で烏滸がましい。
 だから、結局「家族」なんて呼べる存在はいない。
 そういう結論に落ち着く。

「なあ、おーい」

 伯爵様は、神様だ。
 そうだ、その尊い神様の名を、この右腕の筋で書き記してみるのはどうだろう。
 否、こんな穢らわしい人間の一部だったもので神の名を記すなど言語道断。
 今のアイディアは、無しだ。

「いつもの事だけど、オレって視界に入ってねぇのかな……かと言ってあの机の前には回り込めないし」

 代わりに、ティキの名前でも描いてやることにしよう。
 ティキ。
 ティキ?
 ファミリーネームがあったはずだが、全く思い出せない。
 ティキ、その名前の綴りも曖昧だ。
 千年伯爵なら、間違えず書き記せるのだが。

「ティキ……ティキ……マイク?」
「いや、ミックだけど」

 突然隣から声が聞こえたので、流石に驚いて飛び退った。
(本人によれば)ティキ・「ミック」がそこにいる。
 いつもの事ながら、人の部屋に不法侵入する天才だ。

「ほんっとうに、貴方はノックという言葉を知らないんですか!」
「ノックしたし! なんなら、結構前から居たからな」
「返事も無いのに入ってくるなんて、普通に不法侵入ですよ。いつからいたんですか」
「お前が保管庫から腕を取りだしたくらい」
「貴方、私のストーカーか何かですか?」

 部屋に戻って本当にすぐのことではないか。
 ずっと見られていたとは。

「オレ、ストーカーするほど粘着質に見えてんの? もっとこう、飄々とした爽やかイケメンじゃない?」
「十分粘着質じゃないですか。来るなって言うのにしつこくこうして私の部屋に来てる訳ですし」
「それは用があって来てんだっつの」
「毎日用があるんですか? 何の?」
「色々あんだろ! まあ大体は千年公のメッセンジャーだけどさ」
「伯爵様の重要なメッセージを、貴方の声で聞かされる私の身にもなってください」
「いや別に重要でもなんでもない事がほとんどだけど」
「伯爵様のご発言は全てが重要ですよ! 弁えなさい!」
「お前は何様なのマジで」
「それは私の言葉ですが。で? 今日は何用ですか、まったく。聞いて差し上げないこともないですよ」
「言ってあげないこともないけど」
「聞く気が無くなったのでさっさと出ていきなさい」
「ウソウソ。ほら、手ェ出せよ」

 素直に手を出してやる。
 上向かされた掌にポンと乗せられたのは、真っ赤なマカロンだった。

「千年公が、お前にってさ。ラズベリーのマカロン。さっき茶会でひとつも食ってなかったからやる、って」
「伯爵様はそんな粗雑な言葉遣いはなさらない!」
「ごめんて」

 ティキ・ミック。
 他より少し話す機会が多いだけの、赤の他人だ。
 そう、ちょっとだけ気安く気兼ねなく言葉遊びを楽しむだけの、赤の他人だ。









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