燔祭の羊  
   <ハンサイノヒツジ>  









聖女はかく語りき「この席は譲れない」










 折角、美味い焼肉定食を頬張る夢を見ていたのに。
 汽車が揺れたか、或いは自分で舟を漕いでいたか、もしくは自分のいびきに自分で驚いたか。

「んあっ!?」

 ガクン、と身体が落っこちるような感覚。
 眠りから目覚めたラビは、胸に手を当ててバクバクと鳴る鼓動を押さえ込もうとした。
 ずっと前に科学班の研究室をうろついていた時のこと、寝落ちしそうになったタップが体をビクつかせていた。
 その時、これは筋肉の痙攣なんだよ、と説明してくれたのはジョニーだったはずだ。
 ラビもこんな風に覚醒することはよくある。
 経験する度に、浮遊感というには乱暴な落下の感覚にドキドキしてしまう。

「心臓に悪いさ」

 息をついてグッと伸びをして――意味もなく、けれど慌てて口に手を当てた。
 向かいの座席で、今回の相棒が寝ている。
 背筋を伸ばして、窓枠に頭だけもたせ掛けながら、左手を空いた座席に投げ出して。
 閉じた瞼を彩る黄金色の睫毛が、頬に影を落としている。
 起こしたら悪い。
 組み慣れた、同い年の相棒。
 科学班なんかは、神田も合わせて三人揃ってひとまとめみたいな扱いをする。
 神田はそう扱われる度に鬱陶しそうにしている。
 けれど「ファーストネームで呼ぶな!」に似た抵抗をしない辺り、そこまで不快でもないのだろう。
 ラビは、目の前の彼をじっと見つめてみる。
 笑っていない顔なんて、こうして寝ている時くらいにしか拝めない。
 そこで、ふと思い出した。

「(あれ? オレと一緒の時って、コイツ結構寝てるよな?)」

 イノセンスで調子を崩している時を除いて、彼は任務中には寝ないことで有名だ。

「お兄ちゃんが寝てるところ? 科学班の机でうたた寝してるところくらいしか見たことないと思うよ」

 そう言ったのはリナリーだ。
 一方、神田はこう言った。

「アイツはベッドに寝っ転がって目を瞑ってる」
「一人は座り込んで、一人はベッドで、それでどっちも寝てねェの? なにその部屋、超面白いな」

 神田が任務中、刀を抱えて座り込むことは知っている。
 ラビが半笑いでからかったら、神田は舌打ちを零した。

「体が休まりゃそれでいいだろ」
「そーだけどー。肩が凝りそうな姿勢さ」

 一緒に任務に出たことのあるエクソシストの中で、彼の寝ている姿を見たことがある者はいるのだろうか。
 もしかして、それって、ラビだけなのでは。

「(それはそれで特別って感じがして、気分がいいよな)」

 自分はブックマンの後継者として「特別」を作らないよう気がけている。
 一方で彼は「特別」を使い分けているように感じる。
 リナリーは彼の「特別」だ。
 彼女に向ける眼差しは何よりも優しく愛おしげだ。
 けれど、彼女には完璧な姿しか見せようとしない。
 神田も彼の「特別」だ。
 妥協のない姿勢から生まれる神田の強さを深く信頼しているのが態度で分かる。
 けれど、聖戦への疑問や弱音はそこには向けない。
 ラビだって、きっと彼の「特別」なのだ。
 それが、団員ではなく「ブックマンJr」としての自分を頼みにしたものだとは分かっているけれど。
 それでも他には見せない彼の甘えを感じて、少しだけ優越感を覚えて、嬉しくなる。

「んん……」

 汽車が大きなカーブを曲がり、窓から朝日が差し込んだ。
 彼の黄金色の髪は陽の光を受けて光の粒子を纏い、いっそう神々しく見える。
 彼が身動ぎ、窓から顔を背ける。
 ゆっくりと瞼が開かれる。
 黒々とした大きな瞳がラビを見つける。
 他人を威圧することも、畏れを抱かせることも少なくない眼差しが、ゆるく、ほころぶ。

「……ん、おはよ」

 その一連の動作に目を奪われて、呼吸も奪われて。
 ――何者にもとらわれないなんて、無理だ。
 少なくとも、彼の前では。
 甘えているのはいったいどちらだ、とブックマンには叱られそうだけれども。

「はよ。いやー、よく寝たぜ」
「うん。俺も……」

 欠伸混じりに「よく寝た」と呟く彼は、普段の姿からは想像できないほどぼんやりとしている。
 あからさまに笑うと彼はぱちぱちと目を瞬かせた。

「……もう着く?」
「いや、まだだなー」

 ふと空腹を感じた。
 あの夢の内容なら無理もない。
 できればジェリーのつくる焼肉定食を食べたいが、今は取り敢えず腹を満たせればいい。

「オレ、腹減ったさ。車内販売とかねェかな」
「どうだろう、聞いてみるか……ううん、俺はそれよりももう一度寝たい……」

 言いながらまた欠伸を噛み殺す彼に、ラビはまた笑った。
 なんだなんだ、今日は随分気が緩んでいるじゃないか。

「よっぽどいい夢でも見てたんか?」
「ううん。……夢も見ないで寝ちゃったよ」

 彼はどこか口惜しそうな目をして、けれどそれを取り繕うようにそっとはにかんだ。









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