燔祭の羊  
   <ハンサイノヒツジ>  









14'Birthday









プレイベルの長閑な景色を横目に、小高い丘を登る。
吐き出す息は白い。
腕に抱いた息子、トーマスがふっくらした手を伸ばすので、微笑みながら頬にあてる。
きゃっきゃと笑うトーマスに頬擦りしながら、あと一息と足に力を入れた。
丘の上に、小さな家が二つ。
その片方の扉を叩くと、中から軽やかな声が聞こえた。

「はーい……あら、いらっしゃい! トーマスも、こんにちは」

幼馴染みのグロリア・が、豊かな髪を靡かせて扉を開けてくれる。
彼女の腕では、先月生まれたばかりの彼女の息子がすやすやと眠っていた。

「少しは落ち着いたかなーと思って……来ちゃった」

えへ、と肩を竦めて笑うと、グロリアがうふふと肩を揺らした。

「会いたかったわ。さあ、入って。寒かったでしょ?」

お邪魔しまーすと言うのにつられたのか、トーマスが「あー」と声を上げた。
勝手知ったる家の中、今までと違うのは、居間に置かれた真新しい揺りかご。

「ちょっと待っててね、

息子をその中に寝かせ、グロリアは台所に向かう。
座っててと言う声に生返事を返して揺りかごを覗き込んだ。
三ヶ月前のトーマスよりも、幾分か小さな赤ん坊だ。

「トーマス、見てごらん」

トーマスと揺りかごを同じ目線にして、息子が伸ばした手を赤ん坊に触れさせる。

だよ。良いお友達に、なれると良いよね」

小さな村で、同じ年に生まれた二人。
きっと自分とグロリアのような一生の友になれるだろう。
その予感は十二分にしている。
紅茶を二つ手に持って、グロリアが戻ってきた。
ローテーブルに置かれた一つを受け取ってソファに腰掛ける。

「どう? 調子は」
「うーん、アンナが色々助けてくれるから、頑張れてるかな」

苦笑して、グロリアが再びを抱き上げた。
目が覚めたのか、ほにゃほにゃとぐずり始めた息子をあやしながら、彼女が向かいに腰を下ろす。

「トーマスの泣き方と全然違うんだもの。最初ちょっと怖かったんだけど」
「ほんとだー、うちの子はもっと豪快だったもんね。でも個人差あるって言うじゃない」
「そうよね。……うふふ、『うちの子』かぁ」

待ってたのよ、
心底幸せそうに、グロリアが囁く。
結婚した時期はほぼ同じだったのに、子供が出来たのは此方が二年も早かった。
先にトーマスの兄を生んだ時には、喜んでくれた彼女に申し訳ない気もしていた。
グロリアが懐妊したと聞いたときには、嬉しさの余り飛び上がって旦那にキスをした。
身体の弱い彼女が無事に出産に辿り着けるかは、村の誰もが危ぶんだところではあったが。

「今年はあんまり子供が生まれないよね」

ふとグロリアが言うので、自分の記憶も辿ってみる。
確かに今年は、自分達以外の妊婦がいなかった。

「言われてみれば、そうかも。こないだ結婚した二人は? まだかな?」
「あそこは流石にまだだと思う。早すぎるよ」
「それもそっか」

がもぞもぞ動いて、手に触れたグロリアの服を握った。
起きて泣き出すかと思えば、また気持ち良さそうに眠りにつく。

「どんな大人になるのかなぁ」

少し温くなった紅茶を、同じタイミングで口にする。
グロリアがほ、と息をついた。

「どんな大人になって、どんな女の子と結婚するのかな」
「それにはまず相手がいないと。近いうちに女の子が生まれてくれればいいけどね……」
「最近どこも男の子だもんね」

眉を下げて笑い合う。
一転、グロリアが得意気に胸を張った。

「でも一人は任せて。私、次はきっと女の子を生むから」
「そんなぁ、宣言して出来ることでも……」

ないでしょ。
そう言おうとしていたのに、声は途中で喉に絡まった。
信じられない、その気持ちを込めて幼馴染みを見つめる。

「グロリア、二人目……生む気なの?」
「うん」

自信たっぷりに頷いたその肩に掴み掛かる。

「あんた、何考えてんの!?」

思わず声を荒らげた。
腕の中でトーマスがびくりと震え、激しく泣き出す。
彼女の腕の中で、つられたがぐずりだす。
慌てて息子達を宥めながら、グロリアを見つめた。

「やめてよ、グロリア。絶対やめて。二回目なんて、」

グロリアが、微笑んだ。
貴女の体が持たないよ、なんて。
言いづらくなって、ぐ、と押し黙る。
彼女はまるで、いつか伝え聞いた絵画の聖母のように、優しく優しく微笑んだ。

「そんなこと、モージスにもアンナにも言われたわ。でも――だから、よ」

細い腕で、しっかりと息子を抱き締めて、グロリアは目を伏せた。

「いつか、この子が寂しい思いをしないように……いつかが、悲しい思いをしないように」

トーマスの泣き声にかき消されそうなほど小さく、けれど決意のこもったその声に。
を見つめる強い瞳に気圧される。

「ずっと待ってた子なの。幸せになって欲しいの。私がいつ、」

いなくなったとしても。
吐息で囁かれた言葉に、思わず立ち上がった。
片手にトーマスを抱き、空いた片手で親友の頭を抱く。
柔らかな髪に額を押し付けた。

「……そしたら、妹ちゃんはトーマスのお嫁さんになってもらおうかな」

殊更明るい声で言って、グロリアの目を見つめた。
揺れる瞳に笑い掛ける。
グロリアが少しだけ目を瞠り、そしてくしゃりと笑った。

「うん」











そっと窺うように声を掛けられて、は遠くに投げていた視線を移した。

「何? フォー」
「こっちの台詞だよ」

苦笑しながら傍に来た彼女のために、肩を竦めて場所を空ける。
の隣に腰掛けたフォーが、ぼんやりと天井を眺めて口を開いた。

「ウォンが探してる。また泣きそうな顔で」
「そろそろ戻らないと駄目か……」

困ったな、と呟いた言葉に、彼女は驚いたような目を向ける。
は眉を下げて笑った。

「今日は眠れる気がしないんだけど」

のささやかな主張に、フォーが溜め息をつく。

「だったら尚更、こんなとこ居たって仕方ないだろ」

どうしようもないことを、とりとめもなく考えすぎるのが自分の悪癖と理解している。
今もそうだ。
うっかり妹が生まれたあの日のことを思い出してしまったから。

「ほら、散歩行くぞ散歩!」
「え、でもウォンが……」

躊躇うの手は強引に掴まれ、引き摺り下ろされた。

「あのなぁ、部屋から抜け出してるなんてのは、戻ってくればすぐ解決するんだよ」

金色を軽く小突かれる。
頭を擦りながら、差し伸べられた手を見つめると、呆れたような溜め息が返ってきた。

「眠れてない方が、よっぽど心配になるっての。でも、心配は掛けたくないんだよな?」
「うん……だけど、でも……」
「大丈夫大丈夫、後で謝ろうぜ。それよりさ、バクも知らない秘密の場所、教えてやるよ」

悪戯っぽいフォーのウインクに、は思わず目を瞬いた。
確かに、アジア支部は広い。
自分も此処には詳しい筈だが、まさかまだ支部長すら知らない場所があるとは。
好奇心にあっさり負けたは、はにかんで手を握り返した。

「そ、それは……知りたい」
「だろ? こっちこっち」

楽しそうに先導するフォーも。
バクも、コムイも、ヘブラスカも、エクソシストも、団員も。
誰も知らない。
今となってはクロスしか知らない、教えていない、所謂「記念日」。
せめて今日がその日でさえなければ、もう少し寝付きも良かっただろうに。
歩きながら、は目を伏せた。

「(……母さん)」

こんな記念日、なければいいのに。
忘れてしまえたらいいのに。
自分さえ生まれなければ、皆幸せに生きていただろうに――
そう思うのに、はどうしても、母を詰ることが出来ないでいる。
生まれなければ、とは言えても、自分を産みさえしなければ、とは決して言えない。
光の中のあの笑顔が、焼き付いて消えないから。









「このこが、ぼくのいもうと?」
「そうよ……、っていうの。大切にしてあげてね」
「うん……」

は生まれたばかりの妹をそっと指でつついてみた。
しわくちゃで、温かくて、小さい。
頬が自然と緩む。

「ぼくね、ずっとね、あいたかったんだ」
「うふふ」

細い手が、の頬に伸ばされた。

「あなたもこうして、望まれて生まれたのよ」
「う、ん?」

よく分からなくて、は首を傾げる。
それでも母は嬉しそうに笑って囁いた。

「お母さんもね、をずうっと、待ってたの」










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