燔祭の羊  
   <ハンサイノヒツジ>  









Gray Home Party!「信仰を詰め込んだ供物」









答えの見つからない問いを投げかけても。
祈りをいくら重ねても。
救いを求めて声を上げても。
いつだって、何一つ、返してはくれない。
手も届かない、姿も見えない、我々には感知できない何処かで、ただ見下ろしている。
クロスが知っているカミサマとやらはそういう存在だ。
大抵の人間にとっては、そういう存在である筈だ。
だからこそ。
――だからこそ、あの黄金色に、人は手を伸ばしてしまうのだ。

「赦すよ」

縋り付く手を余さず優しく掬い上げて、彼は微笑む。
一人一人の慟哭に耳を傾けて、声にならない叫びさえ拾って。

「赦すよ。生きていてくれて、ありがとう」

本当は、裁いて欲しいのだとしても。
本当は、生きていたくないのだとしても。
自分が生きていることを自分が許せないのだとしても、それすらも飲み込んで生を許容される。
だからか、縋り付いた者は彼の声を聞くと涙してしまう。

「赦すよ」

縋り付く手も、声も、熱も、魂も、全て喪った者にだって、彼は微笑む。
冷たい棺の大小に関わらず、一つ一つを、体温の低いその手でじわりと温めるように。

「赦すよ。頑張ってくれて、ありがとう」

相手が、もうその声を聞くことが出来なくても。
微笑みを見ることが出来なくても。
彼は、全員に異なる表情で、言葉で、声で、語りかける。
だから思わず、彼が触れる棺に自分が納まる未来を空想する。
いずれ訪れる「その日」にも、きっと彼は、温もりを移すように棺に手を添えてくれるのだろう、と。
一片の疑いもなく、期待してしまうのだ。

「先に寝てて、師匠」

大聖堂に並ぶ椅子の向こう側。
巨大な十字架が掲げられる祭壇の足元で、黄金色の弟子は跪いていた。
今日も彼は陽が昇ってから眠り、それから一時間もしないうちにこの場所を訪れた。
帰還した探索部隊員を労い、帰還した棺の中の隊員を弔い、そして神に祈りを捧げる。
いつもの光景だ。
けれど、今日はそれが、少し、長い。

「昨日良いワインが届いてたじゃん。飲めばいいのに」
「俺も飲む飲むぅー、ってうるせェ奴がいるから、わざわざ待ってやってるんだよ」
「えええ、何その裏声」
「どっかのクソガキの真似」
「嘘だぁ、俺そんな言い方しないもん」

今のはない、ちょっと無い、と呟きながらも、弟子は観念したように立ち上がった。
此方を向いて肩を竦めた彼の黄金色の髪を、壁や祭壇に灯された炎が照らす。
炎の明かりを受けた黄金色が、光を纏って浮かび上がり、輝いた。
彼に惹かれて寄り添った光は、黄金に取り込まれると、数段上の輝きとなってその場を照らし出す。

――ふと、その光が揺らいだ。

弟子が、不意に十字架を振り仰ぐ。
その仕草が、まるで誰かに呼び止められたように見えたので。
クロスは軋むほど強く奥歯を噛み締めた。
椅子の間、彼へと至る、祭壇へと至る一直線の通路を、足音高く大股で突き進む。
弟子がきょとんとした顔で振り返るよりも早く、その手を強く掴んで、引いた。

「わっ……師匠?」

手が冷たい。
その筈だ、ただでさえ体温の低い子供だ。
何も食べずにこの薄暗い聖堂で半日以上跪き祈りを捧げていたのなら、当然体は冷えきっている。
況してや、全身から熱を立ち上らせるようにして、一心不乱に祈りを捧げ続けていたのなら、尚更。

「行くぞ」

ふとした瞬間に、どうしてか、恐ろしくなる。
いつかこの弟子は、神の御許に帰ってしまうのではないかと。
不思議なことに決まって頭に浮かぶのは「帰る」という言葉で、それがまたクロスの危機感を煽るのだ。

「痛っ、ちょっと、離して」
「うるせェ、ボサっとすんな」
「分かったってば、離してよ」

渡しはしない。
「彼」から託された忘れ形見だ。
彼女の子だ。
クロスが育てた弟子だ。
たとえ「神の寵児」であろうとも、決して、断じて、渡しはしない。
神になど。
決して。

「――神様の声でも、聞こえたのか」
「え?」
「今日はやたらと長く祈ってたろう」

あまりにも似合いすぎる場所から彼を引き離す。
薄暗い夜の廊下まで出て、階を違えて、ようやく落ち着いて息を吐ける気がした。

「声なんか、聞こえたことないよ。シャーマンじゃあるまいし」

そんなクロスの焦燥など知らぬ黄金色は、可笑しそうに小さく笑った。
異国の巫術など何処で知ったのだろう。
また科学班で翻訳業にでも手を出していたのだろうか。
空気を慈しむように漆黒の瞳は柔らかく細められて、それなのに彼の眼差しは鋭く宙を見据えた。

「もしあんな風に声を聞けるなら、声が届くなら、……直接言ってやるんだ」

――彼らに赦しを、って。

黄金色がクロスを見上げてにっこりと笑う。
其処に在る。
応えてくれる、答えてくれる、手を伸ばして触れられる。
信じることが出来る。
人々の願いのカタチとして存在することを望まれた「教団の神様」が。
自分だけのために、自分よりも強く強く祈ってくれるから。
自分には価値があるのだと、示してくれるから。
――だからこそ、この黄金色に、人は手を伸ばしてしまうのだ。

「(それでも、こいつは、オレの弟子だ)」

彼の信じる神様から、或いは「教団の神様」から。
強引に手を掴んで黄金色を引き剥がすことが出来るのはきっと、クロスだけだ。
この世界では。
宥めるように、押さえ込んで隠すように、黄金色の髪をくしゃりと片手で掻き乱す。
芽生え始めた信仰は、刈り取らぬ限りどこまでもどこまでも増え続けていく。
それはまだ、崇めた人間にも、崇められた神にも、与り知らぬことである。









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