燔祭の羊
<ハンサイノヒツジ>
12'Birthday
隣に座るが、不意に声を発した。
「……ねぇ」
「んあ?」
「何でおじさんも来たの?」
じっ、と呆れた目を向けられる。
クロスはシチューを飲み込んで答えた。
「何だ、嫌だったのか?」
「うん」
「即答だな……」
「だって、何しに来たの?」
言いたいことは分かる。
何せクロスはいつものようにこの家を訪れ、いつものように少年の母と妹と祖母代わりの老婆を口説き、
いつものように食卓を囲み、いつものようにタダ飯の恩恵に与っているのだ。
「そりゃあ、いつもより豪華な飯を食いに」
「ろくでなし」
「なかなか難しい言葉知ってるな、お前」
それもそうか、何せプレゼントに辞書をねだった子だ。
今日誕生日を迎えたが、頬を膨らませてクロスを睨む。
そもそも、物をねだるような子供では無い。
短い付き合いながらも、クロスはきちんと理解していた。
今回のプレゼントだって、そうだ。
モージスが夏頃からしつこく聞いて、先日やっと打ち明けたらしい。
もう少し甘えてくれても良いのに。
彼はそう言って、苦笑気味に笑っていた。
「おじさんのこと、どうして『ソンケイ』出来ないのか、分かった気がする……」
「そうか、また一つ賢くなったな」
「うん、もういいよ、うん」
八つになったばかりの子供に呆れられる大人も、なかなか居ないだろう。
モージスとグロリアは奥のキッチンで、ケーキの仕上げにかかっている。
は手を出そうとしては、やんわりとアンナに止められていた。
だからか。
少年が不意にテーブルに突っ伏し、ふぅ、と息をついて体の力を抜いた。
やがて頬をぺたりとテーブルにつけて、此方を見上げる。
「……でも、」
向けられた漆黒に、吸い込まれた。
「おじさんが来てくれて、よかった」
優しい笑顔。
まるで、初めて出会ったときのように。
たかだか八歳の子供に、惹き付けられた。
「ありがとう」
近頃体調の思わしくない母が、今日のために無理をしていることを、少年は知っている。
心配で、申し訳なくて、とても楽しめる心境ではないのだと。
けれど祝われる側の少年が気兼ねしていたら、それこそ母に申し訳ないのだと。
――短い付き合いだ。
けれどクロスは、外側から彼らを見てきた。
少なくともこの少年が、歳の割りに複雑なことを考えていると、知っている。
「おう」
だから、来たのだ。
いつものように勝手気ままに振る舞う自分は、明らかなイレギュラーだ。
けれど異物は異物なりに、異質な状況を打開できる筈だと、信じて。
自分の振る舞いを見て、が少しでも、心からこの場を楽しめるように。
「あら? 、眠くなっちゃった?」
グロリアがキッチンから顔を出す。
一瞬目を瞠ったが、跳ね起きた。
「ううんっ、起きてる!」
彼女が微笑む。
ウェーブがかった長い髪をふわりと揺らし、頷いた。
「良かった。ケーキ持っていくから、テーブル少し片付けてね」
「はーい!」
「お兄ちゃーん!」
グロリアの横から走り出たが、立ち上がりかけたに抱き付いた。
「見て! もお手伝いした! フォーク持ってきたの!」
「わあ、偉いね」
妹を抱き返し、が笑う。
ちょっと待ってね、なんて言う声はとても優しいのに。
振り返った少年は、先程の笑顔は何処へやら、また呆れ返った表情でクロスを見た。
「ほらおじさん、早く食べちゃって」
「食べちゃってっ」
「おじさんのとこだけ、ケーキ置けないでしょ」
「でしょっ」
「全く、これだからおじさんは」
「おじちゃんはぁっ」
の横で、は一言一言、楽しそうにふんぞり返って繰り返す。
そんな兄妹を、クロスは本気で睨んだ。
「テメェら……」
「なぁに?」
怖がりのくせに、この少女はクロスには全く物怖じしない。
だから凄んだところで何の効果もないのだが、注意しないわけにはいかなかった。
「おじさんじゃねぇ。お兄さんだ!」
「うるせぇ!」
飛んでくるボウル。
クロスの顔すれすれにそれを投げた張本人は、キッチンから顔を出してキッパリ言う。
「どこからどう見てもお前は『おじさん』だ!」
「ほらほらモージス、ちょっとどいて頂戴な」
「あ、ごめんな、アンナ」
しょうがないわねぇ、と笑いながら、アンナがケーキを持ってくる。
との顔が、分かりやすく輝いた。
「わーい!」
「うわあっ!」
ぴょんぴょん跳び跳ねる。
その横のは、テーブルを片付けることも忘れて、ケーキに釘付けになっている。
この少年の年相応な反応が何だか物珍しくて、クロスは思わず吹き出して笑った。
それは、ほんの数年前のことだったのに。
今となっては、随分と遠い出来事のように思える。
を取り巻く環境は大きく変わり、連なってクロスを取り巻く環境も変わった。
静かな部屋。
胸元からは、「物珍しく」穏やかな寝息。
クロスは腕の中で眠る黄金を梳き、ゆっくり背を叩いた。
「(誕生日、おめでとう)」
今はクロスしか紡げないこの言葉を、いつかまた、誰かの口から聞ける日が来るといい。
いつか君が、何の躊躇いもなくこの日を、この言葉を喜べる日が来るといい。
「(おめでとう)」
それまではこうして、守ってやるから。
121114