燔祭の羊  
   <ハンサイノヒツジ>  









05.魂の宿る場所 【タイトル:Hiver様<扉、窓、場所>より 】









また、だ。
クロスは息をついた。
甲板に佇むのは、小さな背中。
まただ、自分はまた、彼の背中を見ている。
その向こうには、彼の生まれた国。
彼らの眠る、国。

「(モージス)」

未だ空虚な胸に、寂寞感が襲う。
けれど、それは自分だけでは無いのだと。
目の前の彼が涙を溢さないのに、自分が悲しんではいけないのだと。
何度も心に言い聞かせて、少年の背中へ、一歩踏み出した。



強い風が吹き過ぎた。
フードが外れた事にも構わず、彼はただ前を見つめている。
触れた頬は冷たく、クロスは船室から持ち出した毛布を彼に巻いた。
そっと肩を抱くと、華奢な体が抵抗なく凭れ掛かる。
少年は、何も言わない。
見開いたままの漆黒は、遠ざかる陸地を映していた。

「寒くないか?」

彼のフードが外れてから、空気に溢れだした切なさ。
子供達も、恋人達も立ち去った甲板に今、佇んでいるのは二人だけだ。
が徐に腕を上げ、手摺を掴む。
ぽつり、声が落ちた。

「おいてきちゃった」
「ん?」

子供らしい柔らかな手に、白く関節が浮かぶ。

「みんな、置いてきちゃった」

声を震わせることもなく、涙を溜めることもなく。
ただ、手だけが悲しみを形に表している。

――置いてきたのか?

国を離れ、自分達は、彼らをあの地に置いてきたのだろうか。
いいや。彼らに、置いていかれたのではないだろうか。
この世界に二人きり、置き去りにされたのではないだろうか。

「……お前はまだ、」

彼岸と化したあの場所へ、二度と会えない彼らに逢いに、迎えに行けたなら。
追いかけることが出来たなら。
けれど。
胸の隙間を埋める存在が、此処で、息をしている。

「まだ、一人じゃない」

自分が彼の心の隙間を埋めることは、きっと、出来ない。
それでも。

「(モージス)」

再び強く吹いた風から守るように、クロスは、を抱く腕に力を籠めた。








(主人公9歳)

110416