燔祭の羊  
   <ハンサイノヒツジ>  









02.黒猫の事情 【タイトル:Hiver様<動植物>より 】









ゆったり歩いているようで、師は随分と足が速い。
否、単にコンパスの問題なのかもしれない。
朝から歩き通しの今日も、はクロスの団服を握り、早足でその後を追っていた。
速すぎて疲れると訴えれば、きっと彼は速度を落として歩いてくれるだろう。
けれど、それはいかにも甘えているようで決まりが悪い。
これ以上の迷惑を掛けてはいけないのだ。
右も左も分からない自分の面倒を見てくれているのだから。

「(……それに)」

それに、自分は知っている。

「(迷惑、掛けたら……)」

迷惑を掛け、心配を掛けた結果、どうなってしまったか。
考えただけで、背筋に走った寒気。
思わず小さく身震いをする。
彼まで同じ道を辿らせてはいけない。

「どうした?」

僅かな変化にも向けられる視線は、無表情のようで実はとても柔らかだ。
今までその視線を相手に向ける側だった為か、どうにも慣れなくて気恥ずかしい。

「……なん、でも……ない……」

微かに弾む息を抑えて言うと、そうか、と簡潔な応えが返ってきた。
変わらない速度。
一人で物思いに耽ると、決まって伏し目になる自分だが、今は違う。
体に、特に足へと襲いかかる疲労感に負け、遂に下を向いて目を固く瞑ってしまった。

「(疲れた……)」

息をついて、瞼を上げる。
フードから見える小さな世界に、大きな黒が入り込んだ。

「……?」

思わず走らせた視線。
道の端に、黒猫が丸まっている。
その傍らに、真っ白な子犬が身を寄せていた。

「……え……」

ぱちりと瞬きを落としても、光景は変わらず、黒猫と白い子犬が寄り添い合っている。
食い入るように見つめるの視線に気付いたのだろうか。
猫はちらとこちらを見遣り、再び顔を背けた。



ぐいと手を引かれる。
見上げると、立ち止まったクロスが怪訝な目を向けていた。
滲んだ汗を拭われる。

「どうした、暑いのか?」
「あ……」

――心配掛けてる

どうしよう、と惑わせた視界には、子犬の顔を優しく舐める黒猫の姿があった。

「あの、師匠」
「何だ」
「その、歩くの……は、速い」

思い切って言葉に出すと、師は一瞬目を瞠った。
そして。

「ふっ……はっはっはっは!」

突然の大笑いに、は目を白黒させる。
けれどクロスはお構いなしに、うっすら涙まで浮かべながら笑っていた。

「えっと……師匠?」
「この、馬鹿弟子が。変な顔してると思えば、そんなことで悩んでたのか」

気付かれていたなんて。
気まずさを感じて唇を噛み、俯く。
その頭に、優しい手が乗った。
手は軽くぽんぽんと弾んでいる。

「修業だ、修業。頑張って歩け」
「……うん」
「ほら、行くぞ」

置いていかれぬよう、歩き出した団服を反射的に掴む。
先程よりほんの少しだけ遅くなったクロスの歩み。
は僅かに顔を上げて、揺れる赤い髪を見つめた。








(主人公9歳)

110211