燔祭の羊  
   <ハンサイノヒツジ>  









10th-Anniv. 最果ての形









今いるこの場所が何処なのか、それすら、は知らなかった。
先行く人の後を追って、ただ歩く。
その繰り返しで、毎日が終わる。
悪夢のようなあの日は、時の流れと共に過ぎ去った。
しかし未だに、何が起こったのかも分からない。
理解したくないだけだと、心の何処かで感じてはいるけれど。
フードの向こう側、モノクロの世界から不意に喧騒が聞こえた。
空を劈く「悲鳴」。びくん、と体が固まった。
声も出せない。
息すら出来ない。
現実の悲鳴と、記憶の中の悲鳴が重なって聞こえる。
誰に手を伸ばせばいいの?
誰が、手を伸ばしてくれるの?

――そんな人、何処にいる?

立ち竦んだ体を、乱暴に掴まれた。
建物の際に引き摺られる。
肩を強く掴まれて目を上げれば、赤い髪と白い仮面の隙間から、強い目が此方を見ていた。

「此処で大人しくしてろ、いいな」

――嗚呼、まだ、この人がいた

言うだけ言い置いて、広い背中が遠ざかる。
あ、と手を伸ばしたの動きを止めたのは、傍らで響いた女性の歌声。
ドレスを纏い、顔を布で覆った女性が、聞いたこともない美しい歌声を響かせた。
途端に、二人の周囲に歪みが出来上がる。

「(な、に、これ……)」

外壁を背にして、その場にへたり込んだ。
女性が此方を見るような角度で、頭を傾げている。
何かが爆発するような音。
記憶の棘を掠める、「発砲音」。
見覚えのある「誰かの顔」がついた機械と、ぬいぐるみのような外見の機械。
あの赤髪の向こう側で、二つの機械は派手な音を立てて崩れた。
赤髪の手には、が知るよりも少し大きな、「全てを壊すもの」。

――夢じゃ、なかったんだ

そう自覚した途端に、意識が途切れた。
自分が見てきたものは紛れもない現実で、愛しい人たちはもう何処にも居なくて。
知りもしない町並みと、家族ではない人達と、訳の分からない機械がある、この「夢」は。
夢なんかじゃない、これこそが現実。
いっそ、記憶の全てが夢なら良かったのに。

「おい、!」

は目を開けた。
赤髪と仮面の狭間から覗く強い目が、を見ている。
この人だけが、現実であり、夢。
夢であり、唯一の現実。

「大丈夫か。怪我は?」

いつになく焦った顔をした「おじさん」。
クロス・マリアンの袖を、は震える手で摘まんだ。

「……あれ、は……なに……?」

クロスが肩越しに、機械を振り返った。
を片腕で抱え上げ、機械から遠ざかるように歩き出す。

「あれは、AKUMAだ」
「……悪魔?」
「いや、それとは違う」

前髪の影に隠れた彼の瞳を、追う。
クロスがいつもよりずっと小さな声で呟いた。

「あれはな。愛する人の魂を喚び戻した、人間の姿だ」
「たましい……」

そうだ、と。
いつもよりずっと固い声で、絞り出すように、クロスが呟いた。

「愛を利用されて兵器になった、人間だ」

点と点が、漸く結び付いた。
結び付けてしまった。
理解が、出来た。
は、呟く。

「ぼくの、お父さんは……」

きちんと声にしたはずだったのに、その呟きは掠れた息に変わり、空気に落ちた。

「……お母さんを、よんだんだね」

――そしてお母さんが、を殺したんだ

掴んだクロスの服は、皺になっている。
は小さく笑った。

「ぼくは、だれを殺したの?」

いつの間にか、涙が頬を伝っていた。









140601