燔祭の羊
<ハンサイノヒツジ>
80,000hit「いつものあなたはかっこいい」
師匠であるクロスが、朝日を浴びながら煙草を吹かしていた。
鍛えた全裸の後ろ姿は、尻にまで陰影が窺える。
は寝たふりをやめて、ベッドに転がったままクロスを見上げた。
眠い。
でも寝たくない。
ごろん、ぽやん……、と赤い髪を見ていると、腰に手を当てた師が大きく頷いた。
「……よし」
残り短い煙草が、灰皿に押し付けられる。
「今日は買い物に行くぞ」
「かい、もの……?」
思っていたよりずっと眠たげな声が出たので、は自分でも驚いて、ぱちぱち瞬きをした。
クロスが振り返る。
「寝れてねェなら、寝るか?」
ううんと必死で首を振り、起き上がった。
「じゃあ決まりだ。お前の服を買いに行く。最近、丈が合ってないからな」
「まっ、まだ着られる……」
「合わないやつを着せてんのはオレの美学に反する。いいか、買いに行くから支度しろ」
「あぅ……」
そうまで言われてしまっては逆らうこともできず、は俯いて頷いたのだ。
おじさんは、本当にだらしがなくて、けれど時に頼りになる大人であった。
師匠は、自分の面倒をそれは細やかに見てくれる人である。
それが、には申し訳なくて堪らない。
こんなに迷惑をかけて、おじさんが、師匠が、神様に拐われてしまったらどうしよう。
目をかけてもらうたびに、怖い未来を想像しては心がしくしくと泣くのだ。
それにクロスはこうして、時にのための物も買ってくれる。
でもは知っているのだ。
この人はいつだって誰かに借金をしていること。
そもそも借金なんてシステムも、旅を始めてから知ったことだけれど。
最初は何でも買えるのだと思ったが、すぐに褒められたことではないと気付いた。
「(ほら、やっぱり、僕のせいだ)」
俯きながら、連れられるままブティックに入る。
クロスにべしんと頭を叩かれた。
「オラ、顔上げろ。どれがいい」
「……やすいやつ……」
「ダメだ。着るならそれなりの物を着ろ」
じゃあ、なんにも着ない……と言いかけて頭を振る。
それはダメだ。
もっとダメだ。
「そうだな……おっ、これなんてどうだ、似合いそうだぞ」
はちらりと目を上げ、正面の棚を見た。
手編みのセーターのようなものはなく、最近流行りの機械製が多い。
クロスは右手側で手招きをしていた。
てろてろと歩み寄ると、服を渡される。
「試着してみろ」
「ん……。……んぇっ?」
生返事をしながら抱えた服にぼんやり目を落として、は思わず声を上げた。
「どうした、いきなり変な声出して」
「ししょ……おじさ、ううん、師匠、これ、……これ、違うよ」
「あん? 何が違うって? 子供用の服だろうが。サイズは少し大きいくらいがいいんだぞ」
「えっ、あの。えっ、そうじゃない……」
だって。
は抱えた服と、隣に立つ母娘を見比べた。
重たい気持ちのとは真逆で、綺麗な身形の少女はうきうきと母親の袖を引いている。
「ねぇ、ねぇっ、ママ! あたしあの服がいい! 可愛いもんっ!」
彼女の襟元には、レースのフリル。
袖口にも、レースのフリル。
母親の袖にもレースのフリル。
「何がそうじゃないってんだ、ハッキリ言え」
「ぅええっ……? だって……だってこれ……」
はもう一度手元を見る。
このシャツ、あからさまに袖と襟がフリルまみれだ。
言うしかない。
言うなら今しかない。
きっと師匠は間違えちゃったんだ!
「だってこれ、女の子の服だよ」
仮面に隠れていない目をほんの少し瞠ったクロスは、の手から服を取り上げた。
ほっと息をつく。
ああ良かった、師匠ってばやっぱり間違えちゃっただけだ、うん。
しげしげ服を見回したクロスが一人頷き、服をの手に戻した。
「……あれ?」
「大丈夫だ、男物だから」
「うそ……っ、だってフリル……!」
クロスがすっと腕を伸ばす。
唐突な仕草にきょとんと彼を見上げると、師は自慢げに笑った。
「見ろ、オレと揃いだ」
「あ、そういえば……」
確かにクロスの服にはフリルが多い。
袖口なんか邪魔なほど大きなレースが付いているのだ。
「な。問題はないだろ」
「うん……」
頷きかけて、は慌てて首を振る。
「えっ!? だめっ、や、やだよ!」
「あ? オレとお揃いが不満ってか」
「ち、ちがっ……!」
「おーおー、一丁前になぁ。思春期にはまだ早ェぞ」
「そういうことじゃ、ないってば!」
「じゃあ何だ、どういうことだ、ええ?」
「えええーっ」
頭の上からを見下ろすクロスの顔が、陰になっている。
隣の女の子は師の顔をちらりと目にして泣き出してしまった。
きっと見慣れない人には怖い顔なのだろう。
けれどは師匠のこんな顔、慣れっこなのだ。
脅したって、無駄だもん。
だって、フリルは、ダメなんだもんっ!
「(でもどこから説明したらいいのかな?)」
言葉を探して唸っていると、クロスの手がわしゃわしゃ頭をかき回した。
「ほら、自分で選ばねェなら、オレが全部決めちまうぞ」
「だめっ! 選ぶっ!」
師匠になんか任せていられない、何を着せられるか分かったもんじゃない。
は憤慨してクロスを押し退けた。
師のことは、尊敬しているのだ、とても。
感謝しているのだ、深く。
しかしそれとこれとは別問題なのだ。
は頬を膨らませた。
「僕ぜったいにフリルなんか着ないからねっ」
「ふん、センスのない奴め」
「し、師匠には言われたくないっ」
背中に声を放り投げ、適当な服を手に取る。
ふと顔を上げると、鏡の中のクロスが静かに微笑んでいた。
反射的に瞬きをする。
再び見たその顔は、声と同じ仏頂面だった。
「(見間違い、かな)」
見間違いだろうな。
は鏡から目を離した。
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